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記憶という知恵



――
魂にとって知恵は美味。
それを見いだすならたしかに未来はある。
あなたの希望の断たれることはない。
――



私は、私の通ったふたつめの小学校の校長先生を、今でも尊敬している。
校長先生は森先生というお名前だったが、そのお言葉は賢者の言葉だったと信じている。

森先生は、全校生徒の顔と名前を覚えていられた。

私もまた、森先生のお顔をいまでも目蓋の裏に思い出すことができる――毎週月曜日の朝、講堂で語られる先生が語りながら間々ふっと笑われる時、少しだけ垂れ目をした一重まぶたの末端に、幾重もの皺が波のように重なり合う様子を見るのが私は好きであった。

ある日、森先生は、図書館の片隅ですれ違ったひとりの落ち着きのない少年の名を呼んでくださった。

校庭でもよく見かけるが、図書館でもよくすれ違うね、とおっしゃってくださった。私の生涯の後悔というものがあるとするならば、その時、森先生の好きな物語は何ですかと、質問できなかったことである。

あたかもついに告げられなかった初恋の想いのように、緊張のために、羞恥のために、臆病風のために、さながら意地っぱりのように唇をつぐみ、口蓋にふくんだまま呑み込んでしまった小さな問いかけを、私は終生悔やむに違いない。

もしも聞いていたなら、森先生はきっと答えてくださっただろう。森先生はきっと、素晴らしい物語を私に与えてくださったに違いない――それがあったなら、私はもっと別な人生を送っていただろう。もしかしたら――

そう思うと、悔やんでも悔やみきれず、時にやりきれない思いがする。

それでも、もう一度再会したいと願う「教師」がいるとしたら、森先生をおいてほかにいない。

森先生だけが、私が唯一心から敬愛する「教師」である。(それ以外の「自称教師」たちは、老若男女、人種国籍、有名無名、宗教無宗教を問わず、どいつもこいつもハシにもボウにもかからんようなアンポンタンか、オタンコナスか、クソッタレの類でしかなかった。)

森先生が校長先生をされていた間は、私は毎日学校へ通うことが楽しくて仕方がなかった。その時は気づかなかったが、当時、校舎全体を包んでいた雰囲気はほんとうに素晴らしかった。教師も生徒もみな同じ方向を向いて、一体となって生き生きと自分の人生に取り組んでいた。

森先生はいつでも、マイクも使わずに月曜の朝礼をされた。話されていた内容は、ひとつかふたつくらいしか記憶していないが、いつでも子供ながらに真剣に傾聴していたのを覚えている。

森先生が県の教育委員会へ栄転されることが決まって、市の小さな小学校から去ってしまうと分かった時、私は泣いた。

講堂に整列した全校生徒に向かって――その一人ひとりに向かって――森先生は最後までマイクを使わずに話された。終いに、花束を手にしながら、皆さんありがとう、と大きな声で叫ぶようにおっしゃられた。

その声に――若者のように精悍だが、わずかにかすれ、かすかに潤んだその声に――私は激しく泣いた。

森先生のような素晴らしい先生にはもう二度と出会えない――そう思った。

森先生が去ってから、学校の雰囲気はいちじるしく悪くなった。下手の乗った馬が道草を喰うように、教師たちはものの見事に堕落していった。それに呼応して、生徒たちの心も堕ちていった。私もまた、その頃から学校へ通うことが心底ツマラナクなっていった。

それゆえに、私はいつも思うのである。

いかなる組織であれ、誰がその頂、その要に居るのかほど、重要なことはない――と。

だれが「親」であり、だれが「王」であり、だれが「神」であるのか――これほど重要なことが、この地上においてほかにあろうか、と。

そうとはいえ、

いかに神のように素晴らしかった森先生といえども、しょせんは「人」であった。そして、「人」である以上は、あくまでも「人」にすぎない。

それゆえに、

もしも「賢者さえも、虐げられれば狂い、賄賂をもらえば理性を失う」という言葉のとおりに、

現場の校長先生としては一流だった森先生が、教育委員会における政治家としては三流であった事実を知ることになっても、私は驚くことはない。

私は森先生が「人」であって、「神」ではないことも知っている。すなわち、私はいかなる「人」を信じることもけっしてない。いかなる「人」も信じるには値しないことを、この身をもって習い覚えて来たのだから。


それでも、

それでもなお、

私は森先生のことを記憶にとどめ、終生忘れることはないであろう。

というのも、私は森先生から森なにがしという人間の「生き様」を知ったからである。

インターネットの時代と言われて久しい当世においては、人はありとあらゆる「知識」にアクセスすることが可能である――それもほとんどが金銭的な対価を求められることのなきままに。

さりながら、「生き様」なるものはそう簡単にアクセスできるものではけっしてない――たとえこの世を支配できるほどの富を対価として差し出してみたところが。

過剰な演出や装飾は、悪しざまに言ってしまえば、「嘘」にもなり得る。

そのようないかな「嘘」を見分ける力も、身にまとわせるノウハウもまだ知らず、ただ素のまま、地のまま、ありのままに生きていた幼年時代にあって、終生忘れられないような印象を残してくれた「人」がいるとしたら、私にとってそれは森先生ただひとりだった。

自他においてあらゆる「嘘」の見聞を済ませた大人となった今にいたってなお、当時よりもはるかに強い印象を心に刻んでくれる「人」もまた、森先生ただおひとりである。

けっして忘れられないような印象を心にもたらしているのは、森なにがしという人の「生き様」であり、それ以外のナニモノでもありはしない。

全校生徒の顔と名前を知り、その人となりまで知り、あるいは知ろうとすべく、自ら語りかける――

自分こそが組織におけるもっとも偉大な存在であるにも関わらず、その組織の末端の、取るに足らないガキの一匹にまで語りかける――

いささかノスタルジックなセンチメントにほだされてこのような文章を書いていたとしても、それがなんであろう、

この世のあらゆる組織の中で「森先生」をなぞらえようとしたその結果、イヤというほどの「嘘」にまみれるしか手立てのなかった大人の心にとって、いまなお迫り来る「感動」をもたらしめる印象があるとしたら、

森先生の「生き様」をおいてほかには、だれかさんの十字架における「死に様」ぐらいだろうか。


都会からやって来たというただそれだけの理由から、同級生のみならず担当教諭からも、対抗心という田舎者の遺伝子にこびりついたぬぐいきれない劣等意識の表側を丸出しにされていた少年は、ある日、図書館の片隅で名を呼ばれ、見つめられ、少しだけ垂れたまなじりに、幾重もの皺を波のように重ね合わされながら微笑まれた。

聞けばよかった。

言えばよかった。

たったひと言、

森先生のお好きな本はなんですか――と、言えていたなら…!


がしかし――

私は知っている。

あの日、あの時、あの瞬間に、どうしても訊けなかったのは、

「わたし」という今なお私の中で生き続ける少年が、森先生を終生記憶し、心に思い続けるためであったと。

というのも、

もしも森先生の推薦された本の題名を聞いてしまえば、今の大人の私はきっと――いや、今なお生き続ける「わたし」という少年は必ずや幻滅し、失望していたに違いないから。

たとえ、森先生が『ごんぎつね』や『べろだしちょんま』やといった、少年の「わたし」も大人の私も、ずっと心に愛して来たような物語を教えてくださっていたとしても、

あるいは、まかりまちがって、「聖書」の中の逸話をそっと両手の上に置かれていたとしても、

それは変わらない。


森先生の「生き様」を記憶するために、いかなる物語の媒介も必要ない。

言葉も必要ない。

全校生徒の顔と名前を記憶し、その子供のひとりひとりに語りかけていた――ただそのような「事実」だけで、私の記憶すべき「感動」は補ってあまりあるほどなのである。


いったい何を「補って」だというのか――?

それを書くことはこの文章の主眼ではなく、そんな不粋きわまることを調子づいてやってみせようとするほど、私はやぼったい「田舎者」なんかでもない。

ただ、ひと言――

ある陽も西空へ傾きかけた夕まぐれ、瓦解した瓦礫を掘り起こしていたら、そこに一輪の小さな花が咲いていた――そんなかけがえのない「記憶」にたどり着いたのだというふうにだけ、書き記しておくこととしよう。


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