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末端で先端だからこそ、残される宝物を探して。能登半島訪問で思ったこと

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「末端」と「先端」です(本記事は2024年8月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 今年の元日に発生した地震で、大きな被害を受けた能登半島。この地が好きでたまに足を運んでいた私ですが、地震以来、能登を訪ねることができずにいました。

 そんな時、金沢に行く機会があったので、思い切って珠洲の友人を訪ねることに。地震発生直後の頃、この連載にも書いたことがある、孤立集落に残されてしまった、あの友人です。

 レンタカーを借り、のと里山海道に乗って一路、半島の先端に位置する珠洲へ向かいました。最初は快調に走っていましたが、能登半島に入ってからは、次第に道が悪くなってきます。段差や未だ工事中の箇所もあり、スピードを出すわけにはいきません。

 景色を見れば、屋根にブルーシートをかけた家が目立つように。崖崩れが発生している山も、少なくありません。

 ブルーシートの数は、半島の奥に進むにつれ、次第に増えていくようでした。端が崩れたままの道もあれば、注意を促す表示もあちこちに。復旧工事で片側規制になっていたり、やっと一台が通れるくらいの道をそろそろと走ったりと、運転にも非常に神経をつかうのです(とは言え私は助手席でしたが)。

 珠洲市内に入ると、状況はますます悪化しました。町の一角では、道の両側の多くの家が、崩壊しているか傾いているかといった状況。家の解体も、手がついていません。

 ようやく珠洲の知人のところに到着したのは、出発から四時間後でした。地震直後は、その倍ほども時間がかかったということなので、かなり道路の復旧が進んでいるとはいうものの、半島であるが故の遠さを実感します。

 久しぶりに会った友人と、思わず抱き合った我々。友人は涙を浮かべながら、
「だんだん、つらくなってきた……」
 と、話し始めました。地震発生直後は夢中で頑張り、家族や地域の人達と協力して、避難所になった県内の旅館へと移動したのだそう。数ヶ月を過ごしてから能登に戻ってきたけれど、次第に疲労や不安が募ってきたというのです。

 いつもは明るく元気な友人の涙を見て、私達も目頭をおさえました。

「来てくれて嬉しい。現場を見ないと、わからないことっていっぱいあるから……」
 との言葉に、無言でうなずきます。

 以前も書いたように、日本海を北前船が盛んに往来していた時代、能登半島は様々な物や情報が集まる、先端的な場所でした。しかし海運から陸運の時代になると、半島は陸における〝末端〟になってしまったのです。

 しかし能登には、「能登はやさしや土までも」と言われる人情、丁寧に育まれた美しい里山、そして手間を惜しまず作る漆製品等の工芸といった、様々な魅力があります。それは、「先端」ではないからこそこの地に残ったものであると同時に、今の日本においてその手の存在は、かえって先端的と言えるのではないか。

 友人は、
「金沢に引っ越した方が楽なのは確かだけれど、この地に残ってがんばる」
 と言いました。半島だからこそ残されている貴重な宝物を守り続けるのは、簡単なことではないでしょう。が、新しい日本の姿にもつながる光は、半島の末端であり先端である地から、必ず輝くはず。そのために自分ができることは何かを、これからも考えていきたいと思います。

 
酒井順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がベストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『枕草子(上・下)』(河出文庫)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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