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どこかへ行き、帰ること。それは決して当たり前ではないと私たちは知った。

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「行き」と「帰り」です(本記事は2023年10月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

 コロナ以来となる海外旅行へ、行ってきました。久しぶりの海外、それも行き先はロンドンと遠出だったので、行く前は密かに緊張していた私。出発前夜は、「あれは持ったんだっけ」などと様々な思いが巡って、よく寝付けなかったものです。
 
 とはいえ無事に現地に到着し、旅がスタート。自国の外に出るという刺激が細胞に沁み入るかのようで、
「思い切って出かけてよかった!」
 と思うことができたのです。
 
 そうこうしているうちに、帰国の日がやってきました。「お土産類が全てスーツケースに入るだろうか」などと、出発前とは異なる緊張感に見舞われたものの、なんとかパッキングも済んで、ヒースロー空港へ。チェックインして荷を預ければ、あとは飛行機に乗って日本に帰るだけという安堵感に包まれます。
 
 が、しかし。その日は管制塔のシステムトラブルということで、空港は混乱していました。欠航になる便すらチラホラ出てきた時、私の脳裏にムクムクと広がったのは、
「帰りたい!」
 という気持ち。
 
 特に海外旅行においては、「帰る」という行為も大きな楽しみの一つと言っていいでしょう。帰りの飛行機は、行きとは違ってワクワクするわけではないけれど、旅行中の緊張から解放され、“ホーム”に帰ることができるという喜びがもたらされるのです。
 
 もちろん、帰国したらまた仕事に追われる日常がやってくるけれど、しかし帰りの飛行機の中は、「旅行」のストレスからも「日常」のストレスからも解放される空間。日本に戻ったら何を食べよう、お土産は誰に何をあげよう……などとどうでもいいことを考えつつ機内食を食べていればいいという、リラックスタイムなのです。

 だとというのに、急に迫ってくる欠航という暗雲。ロンドン滞在中は、「まだ帰りたくない」などと口走ることもありましたが、それは旅先のノリというものであり、内心はもちろん、帰国する気満々でいた私としては、やはり飛行機は飛んでほしいのです。

 飛ぶのか、飛ばないのか。……と緊張しつつ待った結果、定刻から三時間遅れで飛ぶことになった時は、思わず安堵の声を漏らした私。喜びのあまり、帰りのフライトはあっという間に感じられたのでした。

 家についてスーツケースを開けながら、旅行というのは帰るために行うものなのかもしれない、と私は思っていました。海外で強い刺激を味わったが故に、「日本はやっぱりいいな」とか「家、最高!」という実感が湧いて着たのであり、自分がいる場所を、旅先では見直すことができることを再確認。旅は、「ホーム」を客観的に見てありがたみを再確認させる効能を持っているのでしょう。

 期待でいっぱいの「行き」と、安堵に包まれる「帰り」。旅とは、その二つの思いに挟まれた時間です。コロナで家に居続けなくてはならなかった時は、「外出しなくていいというのも、それはそれで嬉しい」などと思ったものですが、あの時間がずっと続いたなら、私達はおかしくなってしまったに違いない。

 どこかへ行くこと。そして無事に帰ってくること。それらは決して当たり前ではないと知った私は、きっとまた来年も、わくわくしながら、どこか遠くへ出かけていくに違いありません。


 
酒井順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『処女の道程』(新潮文庫)など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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