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“見えてない”という自覚を忘れると、人は怪物になる。僧侶が読み解く映画『怪物』


『怪物』 
是枝裕和監督 2023年日本作品

 
 カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞の2冠に輝いた作品。予告編をご覧になったり作品名から、ホラー映画かと思われる方も多いでしょうが、ご心配には及びません。正視に耐えないシーンはありません。ただ、正視しているかは問われます。

 小学5年の同級生・麦野湊と星川依里。ふたりの少年の日常に起こる大小の事件を、彼らの親、担任教師、校長、そして少年自身それぞれの立場から描きます。

 脚本を担当した坂元裕二氏は作品執筆の動機をこう語ります。


「以前、車を運転中に信号待ちをしていて、前のトラックが青信号に変わっても進もうとしなかったことがあるんです。なかなか進まないから僕はクラクションを数回鳴らしたけれど、それでもトラックは動かない。ようやく動いたと思ったら、トラックが進んだ後に見えたのは車椅子の方だったんです。その人が横断歩道を渡りきるのを、トラックは待っていた。なのに、僕には見えなくてクラクションを鳴らしてしまった」

〝見えていない〟という自覚を出発点としたという坂元氏。その自覚を忘れた時、人は何者かを怪物に仕立ててしまうことがありえます。

 仏教ではさとりに至る道の第一に「正見」を置きます。「正見」とは「世界の道理や有様を、偏りなく、そのままに受け止める」こと。これはそのまま、物事を正しく見ていないのがあなたですよ、あなたは偏見から自由ではありませんよ、そのことに気づいてください、という厳しいメッセージでもあります。

 『怪物』、2回観ることをお勧めします。1回目と2回目ではかなり違う作品に感じるはずです。


松本 智量(まつもと ちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。
自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。


本記事は築地本願寺新報の転載記事です。過去のバックナンバーにご興味のある方はこちらからどうぞ。

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