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あの親鸞聖人も田植えをしていた?【第6回】親鸞聖人御田植え歌の碑(茨城県水戸市)

来年、京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められることを記念して、関東の地に残された宗祖・親鸞聖人の由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。

ご旧跡紹介

 『真佛寺略縁起』などによると、親鸞聖人が常陸国にいた頃の建保6(1218)年、常陸国那珂西さ郡大部郷(現在の水戸市飯富町)の富農・北條平太郎維芳は、この地に稲田草庵より親鸞聖人をお招きして、100日間、念仏の教えをご教化いただいた。

 しかし季節は5月で農作業の繁忙期。ある日法座を開いても誰も山に上がってこなかったことがあり、聖人が里を見渡せば、人々はみんな田植えの真っ最中。これでは忙しくて説法など聴く者はないと、聖人は衣の裾をまくって自ら泥田の中に入り、ご自作の田植歌を歌い、田植えを手伝いながら仏の教えを説いた。その田植歌は次の通り。

聖人作「田植歌」

五劫思惟の苗代に 兆載永劫のしろをして
一念帰命の種をおろし 自力雑行の草を取り
年々相続の水を流し 往生の秋になりぬれば
この実とるこそうれしけれ
 
(意訳)
 阿弥陀さまが長い間かかって準備してくださった田に、他力信心の種を植え、本当の信仰には邪魔な自力雑行の草を取り、怠りなく念仏を称えるように、水を流して稲を育てれば、秋になると収穫ができるように必ず極楽へ往生できるのは、なんとうれしいことか。


現地ルポ

 この田は水戸市飯富町の真佛寺から北に約1㎞。一角には「親鸞聖人旧跡」と書かれた碑が建っています。2019(令和元)年の台風19号では、那珂川などの氾濫で付近一帯が冠水し、地上数m が水に浸かりました。幸い今は田んぼも元に戻っていました。また、真佛寺より北西に2㎞ほど行った台地には、平太郎元屋敷跡があります。平太郎はここに屋敷を構えて農業を営む傍ら、領主・佐竹季賢に仕えていましたが、聖人の弟子となってからは真佛寺に移り住みました。元屋敷跡の邸宅横には真佛上人(平太郎)墓もあります。

 旅ある記

星 御田植え歌の内容はこの碑に刻まれているとおりですが、当時の節回しが伝わっていませんでした……。
藤 星さんさっきも言ってたね。こだわりますね。それよりほら、碑の正面にある木の上の方に流木が引っかかっているから、3年前の台風であの辺まで水没したっていうことですね。考えてみると水害に地震、疫病と、親鸞聖人の時代と世相が似ているかも知れないですね。
星 そうですね。そういうことに思いを馳せるという意味でも、御田植え歌の碑は真佛寺にお参りする際にはできれば訪れたいところですが、元屋敷跡は今は普通の民家ですね。
藤 真佛寺住職の古いご親戚とはいえ、ご紹介していいものか……。
星 真佛寺でお求めできる『大部の平太郎ものがたり』に地図も載っていますから、この資料をおすすめしましょうか。
藤 それって「続きはWebで」みたいな感じ? ご旧跡紹介でやるのはどうなんだろう。
星 では音楽家の赤瀬川恵実さんが、独自に御田植え歌に曲をつけ、夫の赤瀬川至安氏と一緒に歌った『しんらんさまの田植歌』のリンクを貼っておきますね(※こちらをクリック)。続きはWebで!
藤 ホントにやるんだ……。
(藤本真教・星顕雄)


 

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〒311-4206 茨城県水戸市飯富町3427 電話 029-229-7980
築地→(東京メトロ日比谷線・北千住方面・170円)→上野→(JR常磐線特急・2310円)→水戸→(徒歩)→水戸駅北口→(茨城交通・水戸藤が原ニュータウン西行きバス・440円)→安戸星→(徒歩5分)→真佛寺
※参拝には事前連絡が必要

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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