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浄土真宗で有名な「平太郎さん」をご存じですか? 【第5回】大部山 真佛寺(茨城県水戸市)

来年、京都の西本願寺で「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」が勤められることを記念して、関東の地に残された宗祖・親鸞聖人の由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。

ご旧跡紹介

『真佛寺略縁起』などによると、建保6(1218)年、常陸国那珂西郡大部郷(ひたちのくになかさいのこおりおおぶのごう)(現在の水戸市飯富町)の富農・北條平太郎維芳は、この地の蓮皇院という空き寺に、稲田草庵より親鸞聖人をお招きして、100日間、念仏の教えをご教化いただいた。

 以降、そこが念仏道場となり、のちに真佛寺となり、今日に至る。平太郎はまた、親鸞聖人の曾孫であり本願寺第3代の覚如上人が著した『親鸞伝絵』の記述などでも知られる。『伝絵』と寺伝によると、ある時、仕えていた領主である佐竹季賢のお供をして、紀州熊野権現に参詣することとなった平太郎は、親鸞聖人に言われたままに、身を清める特別な作法をすることもなく熊野本宮に到着。

 するとその夜の夢に熊野権現が現れ、その不浄をとがめられるが、忽然として聖人が現れ「彼は私の教えによって念仏する者です」とお答えになった。権現は何も言わず、かえって平太郎を礼拝し、そこで夢が覚めた、という。

現地ルポ

 ところは水戸市飯富町。車で行けば常磐道水戸北スマートIC(ETC専用)のほど近く、坂を上った山の上に浄土真宗単立・真佛寺があります。開基・真佛房(専修寺開基の真仏とは別人)はその法名よりも、前述の『親鸞伝絵』に登場する俗名「平太郎」としてよく知られます。平太郎は民話『平太郎一代記』や浄瑠璃『三十三間堂棟木の由来』、浮世草子『世間胸算用』の題材としても親しまれてきました。

 真佛寺本堂は、きれいな湾曲した屋根が特徴ですが、東日本大震災で瓦に大きな被害を受け、葺き替えたといいます。ご本尊は、源信和尚作と伝えられる阿弥陀如来立像。

 また、聖人が69 歳の時ご自作のご真影(聖人像)、聖人42歳ご自作で、小島草庵に安置されていたと伝えられる阿弥陀如来像、本願寺第3代覚如上人ご真筆の「平太郎夢想の御影」などが伝わっています。境内には親鸞聖人お手植えの菩提樹や真佛上人(平太郎)の墓などがあります。

 旅ある記

藤 今回は真佛寺の北條正倫副住職にお話を伺いましょう。
北 こんにちは。
星 早速ですが、平太郎さんは『親鸞伝絵』に「平太郎なにがしという庶民」として登場しますが、実際この辺りではどのような地位だったのでしょう。
北 正確なことはわかりませんが、言い伝えから判断すると、当時の大部郷一体を束ねるリーダー的な存在であったようです。また領主・佐竹季賢公のお供として熊野に同行していることから、何らかの形で領主に仕える身であったと推測されます。
藤 ここに集まるお同行も多くいたらしいですね。
北 親鸞聖人が門弟に宛てた手紙『親鸞聖人御消息』によると平太郎さんの元に100人近くのお同行がいたと思われます。
藤 「平太郎さん」っていう言い方が親しみやすいですよね。
北 親鸞聖人面授口訣のお弟子の中では、唯一生涯俗人として、お念仏の教えに生きたことから、俗名で多く知られるのでしょう。
星 私も俗人と言われて親しんでいただ……。
藤 それは意味が違うと思うな。
(藤本真教・星顕雄)


公共交通機関でレッツアクセス!

〒311-4206 茨城県水戸市飯富町3427 電話 029-229-7980
築地→(東京メトロ日比谷線・北千住方面・170円)→上野→(JR常磐線特急・2310円)→水戸→(徒歩)→水戸駅北口→(茨城交通・水戸藤が原ニュータウン西行きバス・440円)→安戸星→(徒歩5分)→真佛寺
※参拝には事前連絡が必要

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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