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日本フェンシング協会前会長 太田雄貴さんと考える「スポーツの未来」とは

コロナ禍で、スポーツやエンターテインメントの意義やあり方が問われています。その中で、今後、スポーツの立ち位置はどう変わっていくのでしょうか。そんななか、画期的な取り組みを多数行ってきたのが、今年6月まで日本フェンシング協会会長をつとめていた太田雄貴さんです。浄土真宗本願寺派の宗門校・平安高等学校(現・龍谷大学付属平安高等学校)出身で、フェンシング日本初の五輪メダリストである太田さんに、アスリートとして、そして運営側としての視点から、コロナ禍以降のスポーツの在り方やスポーツの未来について伺いました(本取材は、2021年5月26日に行われました)。

スポーツの在り方はコロナ禍でどう変わったのか?

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――コロナ禍によって、多くのスポーツ大会や活動が軒並み中止や延期を迫られました。運営側として、太田さんは、こうした社会の変化をどう受け止められていますか?

太田 「スポーツ(Sport)」の語源は、「desporter(遊びや気晴らし)」だと言われています。その語源の通り、スポーツは生活必需品ではない。「不要不急ではないので、いまは控えるべきだ」と言われるのは当然だと思います。
 また、映画館や美術館などほかのエンタメ産業も中止になっているので、スポーツ大会が同様に延期や中止を迫られるのは納得できます。

 特に、コロナ禍で大きく取り上げられたのが、東京五輪の開催ですよね。ほかの文化活動は中止や延期なのに、「五輪は例外だ」と言われても、違和感を抱く人が多いのもわかります。ただ、僕個人がなによりも思うのが、あくまで五輪は平和の祭典であるということです。アスリートのひたむきな姿を見た観客の方々に「明日から頑張ろう」という幸せな気持ちになってもらうことが、五輪開催の一番の目的です。なのに、五輪によって日本に住む人々の意見が真っ二つに割れ、分断されてしまうのは、まさに最悪の事態です。これだけは何としてでも避けたい……というのが、率直な思いですね。

――昨年、世界中のスポーツ大会が延期や中止になるなか、日本フェンシング協会では、「完全オンライン開催」での全日本選手権を実施し、話題を呼びました。

太田 コロナ禍の中でも、ファンのために何かできないか。そう考えた末に思いついたのが、「インターネット配信ならではの観戦体験を提供したい」という想いでした。
 名称を「無観客試合」ではなく、「完全オンライン開催」としたのは、僕が「無観客試合」という呼び方が好きではないからです。「無観客」と言われると、有観客よりも価値が下がると考える人も多い。でも、逆に考えれば、無観客試合にも良さはあるんです。

 たとえば、有観客の場合、見やすさに関する優先順位は、まず会場のお客さんであり、テレビや配信は二の次です。その場合「本当はこの位置から映像を撮りたいけど、お客さんがいるから撮れない」という事態に陥ることも多かった。でも、無観客なら、そうした制約条件をはずし、カメラアングルや照明の位置などすべてを細かくハンドリングでき、よりよい試合映像を届けることができる。こうした新たな価値があることを伝えたくて、「完全オンライン開催」という名称を使っています。
 そのほか、位置情報ゲーム「ドラゴンクエストウォーク」とのコラボや、オンラインで見ている人が応援する選手に送金できる投げ銭システム、協賛してくださったNTT 西日本さんと実施させていただいた、オンライン上で選手とハイタッチがで きるリモートハイタッチ。そのほか、スポーツエンターテインメントアプリ「Player!」で、選手や指導者たちによる解説を裏配信するなどの取り組みも実施しました。

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2020年全日本選手権では、前年まで行われていた観客席のある会場での開催を取りやめ、オンラインを意識し、座席のないホールでの開催を実施した。 画像提供:日本フェンシング協会

――新たな取り組みに対する、ファンの方の反応はいかがでしたか。

太田 フェンシングを昔から愛好するコアユーザーのみならず、フェンシングの試合を一度も見たことがないライトユーザーの方が増えたように思います。そもそもフェンシングは、経験者が全国10万人ほどのマイナースポーツなので、「ライトユーザーをどう取り込んでいくか」は一貫して大きな課題でした。だから、初めてフェンシングの試合を見る人であっても、以前からフェンシングが好きなコアなファンであっても、楽しめる設計を心がけたのですが、それが功を奏したのだと思います。

――選手たちの反応はどうでしたか。

太田 選手にとって、「人前で試合をする」という緊張感は非常に大切なものです。コロナ禍で、試合の機会が減っているいまだからこそ、オンラインかオフラインかを問わず、「誰かが見ている」という緊張感がある中で試合の機会をできるだけ増やすことが、僕ら協会側の使命だと思っています。そうした意味でも、完全オンラインでの全日本選手権は意義があったのではないでしょうか。
 また、日本代表選手の「見られる」機会を増やすため、毎週日曜日に「サンデーカップ」という練習試合を行い、ネット中継しています。
 この試みは、選手のためのみならず、ファンの方々との接点を増やすという目的もあります。
「日曜日この時間につければ、フェンシングのマッチを見られるんだ」という認識が、ファンに浸透したらうれしいですね。

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画像提供:日本フェンシング協会

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画像提供:日本フェンシング協会

―スポーツ業界でも、フェンシング協会のように、新たな取り組みを行う団体が増えていくと思います。スポーツと社会の関わりはどう変化していくと思いますか。

太田 今後は、二つの傾向が強まるのではないかと予想しています。ひとつは、より手軽なスポーツを好む人が増えるという予想ですね。実際、コロナ禍でおうち時間が増え、健康志向が強まった反動で、ランニングやウォーキングなどのフィットネス人口が増えています。シューズ1足あれば道具が要らないという利点もあります。
 もう一つは、スポーツのコミュニティとしての価値が高まるという予想です。男女混合のフットサルのように、一度にみんなで同じ空間で、同じ体験を共有できるスポーツに強い価値が生まれるのではと思っています。これは自身がプレイするだけではなく、試合等を一緒に観戦するというスタイルも含みます。同じ試合を見て、みんながその感想を言い合ったり、一緒に応援したりする。いわゆる「ファンとしても楽しめるスポーツ」の需要が増えるのかな、と感じています。フェンシングをはじめとする競技人口が少ないスポーツほど、まさにこの層を狙っていくべきだと思っています。そのためには、テレビやネット上での露出をどう増やして、人々にフェンシングの情報を届けていくかが、大きな課題ですね。

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――スポーツ振興に向けて、新たに力を入れていらっしゃることはありますか?

太田 現在、力を入れているのは、子どもたちに本物のスポーツを知ってもらう、という取り組みです。我々は渋谷区や千葉県などにある小学校への訪問を頻繁に行っているのですが、ここで意識しているのが、人を応援する喜びや本物を感じられる体験をしてもらうということです。フェンシングに限らず、どの競技でもよいので、子どもたちには、ぜひ早い段階から本物のスポーツ体験に触れてもらいたい、と思っています。
 また、全国のフェンシング人口を増やしたいという想いもあります。現在、フェンシング協会は渋谷区、静岡県沼津市、佐賀県の3つの自治体と協定を結んでいるのですが、たとえば、沼津市では、沼津駅前に新たなフェンシング場がオープンして、官民一体でフェンシングタウンを作っていこうという取り組みを行っています。その中で、元日本代表コーチの長良将司さんを指導者として沼津に送り出したところ、フェンシング人口が6〜7倍に増えました。
 佐賀県では、ふるさと納税の項目に、日本フェンシング協会への返礼品なしの寄付援助を設けていただいています。こうした取り組みを通じて、佐賀におけるフェンシング人口も沼津のように増やしていきたいです。

――最後に、太田さんは浄土真宗の宗門校の平安高等学校のご出身だそうですね。当時の思い出を伺えますか。

太田 平安中学と平安高校に通った6年間は、人生の中でも一番濃くて、かつ楽しかったですね。当時は、正月の1月1日に「修正会(しゅしょうえ)」(現在は1月5日に実施)という特別行事があって、大学生になった後も、必ず元旦には母校に帰り、参加していました。いまだに「節目を大事にしよう」という意識があるせいか、正月に実家に帰った際は、京都の西本願寺に参拝しています。
 築地本願寺さんには、以前、後輩の試合の付き添いとして東京に来たとき、宿坊に泊めていただきました。その際、朝のお勤めに参加してから、試合に臨んだのを覚えています。
 また、平安高校の卒業生として、いつかやってみたいのは、本願寺派の中学や高校のフェンシング選手が集まる本願寺杯です。せっかくたくさんの関連学校があるので、参加できる学生も多いはず。ぜひ、いつかこの夢を実現させたいですね。
(人物撮影・長谷英史、構成・藤村はるな)

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太田 雄貴 氏
1985年滋賀県出身。小学校3年からフェンシングを始め、平安高校在学時には史上初のインターハイ3連覇を達成。高校2年の際に、全日本選手権優勝。2008年北京五輪にてフルーレ個人銀メダル獲得。2012年ロンドン五輪でフルーレ団体銀メダル獲得。2015年フェンシング世界選手権では日本史上初となる個人優勝を果たす。2016年には現役を引退し、日本人で初めてとなる国際フェンシング連盟理事に就任。2017年8月から日本フェンシング協会会長に就任。2021年6月に会長を退任。

※本記事は『築地本願寺新報』7月号に掲載された記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。