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有名な“イケメン”仏像があるお寺【第21回】龍頭山 華水院 善福寺(神奈川県大磯町)

来年4月に築地本願寺で勤められる「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を記念して、宗祖・親鸞聖人(1173-1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。今回は、龍頭山 華水院 善福寺(神奈川県大磯町)
です。

ご旧跡紹介

 寺伝によると、善福寺の開基で関東六老僧のひとりに数えられる了源はもともと武士で、1213(建保元)年、和田義盛の乱で功をあげ、源実朝より平塚荘を賜ったが、世の無常を観じて出家し、平塚入道法求禅門と名乗った。

 その頃、親鸞聖人は関東をご教化しており、平塚入道は1229(寛喜元)年、国府津に滞在中の親鸞聖人のもとへ行き、生死いずべき道をたずね、本願大悲の念仏の教えを聞き随喜のあまり直ちに弟子となり、了源という法名を賜り、母の生地の近くであるこの地に草庵を結んだ。1234(文略元)年には、親鸞聖人が京都へ帰る折、聖人ご自刻のご影像と聖徳太子像を授かった。

 戦国時代になって、善福寺は小田原北条氏の念仏禁制により打ち壊され、寺基を移転した時期もあったが、やがて念仏禁制が解かれ大磯に復興した。
了源は1251(建長三)年、60歳で往生の素懐を遂げた。

 翌1252(建長四)年の親鸞聖人の御消息には、「ひらつかの入道殿の御往生のこときき候ふこそ、かへすがへす申すにかぎりなくおぼえ候へ。めでたさ申しつくすべくも候はず。おのおのみな往生は一定とおぼしめすべし」という記述がある。

 討ったり討たれたりの世の中で、いのちのはかなさ、世の無常を観じ、聖人に出遇われお念仏のみ教えに帰依し、極楽浄土に往生されたその事実を、聖人は喜びの言葉で記された。

現地ルポ

 「親鸞聖人は相模川を通じて神奈川や山梨にも布教に訪れたのではないか」という、9月号で取り上げた正福寺遠山住職の言葉もありましたが、鎌倉と親鸞聖人が逗留されたという国府津の中間地点に、善福寺や相模川河口があります。

 この辺りに伝承が多く残っているのは、親鸞聖人が水路を使ってご移動なされていたことを想像させます。

 了源が聖人から賜ったとされる像は、1992(平成四)年、「了源坐像」として国の重要文化財に指定されましたが、善福寺には「親鸞聖人ご自刻のご影像」として伝わっております。それ以前には大英博物館にも展示されたことのあるご影像だそうです。

 また、本堂に入ってまず迎えてくださるご本尊の阿弥陀如来像は、「イケメン」とのことで、その界隈では有名だそうです。

旅ある記

藤 いやあ、星さん、去年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』見てた?
星 それが……、見てないんですよね
藤 あんな名作を! 大磯の善福寺さんの開基、ひらつかの入道こと了源さんのお父さんが出てくる「曾我兄弟の仇討ち」があんなにクローズアップされていたのに!
星 今になって悔やまれます
藤 1193(建久四)年、源頼朝主催によって富士の裾野で巻き狩りが行われ、曽我十郎祐成なり、五郎時致兄弟が、父の仇敵である工藤祐経を討った事件ですよ〜
星 現代日本では考えられない事件ですが、憎しみの連鎖に直面して、了源さんはまさに世の無常を思ったのでしょうね
藤 星さんもいいこと言うんだね
(藤本真教・星顕雄)

公共交通機関でレッツアクセス!
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電話 0463-61-1193
築地→(徒歩もしくは東京メトロ日比谷線・中目黒行き)→東銀座→(都営浅草線・西馬込方面・計290円)→新橋→(JR上野東京ライン・1170円)→大磯→(神奈川中央交通・平塚駅北口行きバス・210円)→花水→(徒歩3分)→善福寺駐車場・30台

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。