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3代将軍家光の命で、名前が変わったお寺【第19回】梅上山光明寺(東京都港区)

来年4月に築地本願寺で勤められる「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」を記念して、宗祖・親鸞聖人(1173-1263)が関東の地に残された由緒を伝える「ご旧跡」を、令和の時代に昭和の香りを残すおじさん僧侶2人が巡ってみました。今回は、梅上山光明寺(東京都港区)です。

ご旧跡紹介


『光明寺縁起』などによると、1212(建暦2)年、一説によれば1250(建長2)年、武蔵国豊嶋郡桜田村霞ヶ関の地に、天台宗の僧侶だった了栄によって真色山・常楽寺が創建されたのが光明寺の始まり。

 了栄は1226(嘉禄2)年、武蔵国滞在中の親鸞聖人の教化を受け、浄土真宗に宗旨を改めた。時代は下り、1540(天文9)年に疫病が流行した際、本尊・阿弥陀如来像が光明を放って人々を救ったと信じられたことから寺号を光明寺と改めた。

 1590(天正18)年には徳川家康が江戸入府した折、時の住職・証高が境内の紅梅に古歌を添えて献上したところ大いに喜ばれたことから、江戸時代、正月の寺社献上の第一は光明寺の梅であったと『寺社書上』に記されている。1604(慶長9)年には江戸城造営のため、寺領を霞ヶ関より現在の西ノ久保(港区虎ノ門)に移す。1645(正保2)年に、家康の故事にちなみ、3代将軍家光の命で山号を真色山から梅上山に改めた。

現地ルポ


 東京メトロ日比谷線神谷町駅から徒歩1分というアクセスの良いお寺。中に入ると「梅上山」の山号にもなっている梅の木があり、正面の階段を2階に上がると本堂前がテラスになっています。

 東京タワーを間近に臨むこの「神谷町オープンテラス」は平日9時から17時まで予約不要で開放され(寺の用事があるときはお休み)、飲食の持ち込み可能、全席禁煙で参拝者・地域住民・在勤者などの憩いの場となっています。毎週水曜はテラス店長・木原祐健さんによるお茶とお菓子のおもてなし(こちらは予約制)もあり、人気を博しています。
 

旅ある記

星 今回は相方が風邪を引いてしまい、1人でまいりました。石上和敬住職とお話を進めたいと思います。本日はよろしくお願いいたします。
石 よろしくお願いします。そもそも光明寺は旧跡寺院として紹介されたことはないんですけど、星さんその辺は大丈夫?
星 開基の了栄さんが親鸞聖人から直接のご教化を受けたということで、事跡を辿るという意味で今日は参りました。厳密な文献学ではなく、伝承の部分で何かあれば。
石 『光明寺縁起』にご化導のことは書いてありますが、実は了栄さんの詳しいことはあまり伝わっていないんです。それと、細かい違いはありますが、光明寺の縁起は港区高輪の證誠寺さんの縁起と初期の歴史はほぼ同じで、元は同じかも知れませんねという話はしています。
星 ところで証高さんが徳川家康とつながりがあったということを伺いましたが、江戸期以降では何かご紹介できることはありますか?
石 文化文政時代に光明寺の第26世住職を務めた雲室さんが有名です。雲室さんは優れた文人で、多くの絵なども残されています。
星 貴重なものを拝ませていただきありがとうございます。
石 仏さまじゃないのでその表現は……。
(星顕雄)
 

公共交通機関でレッツアクセス!
〒105-0001 東京都港区虎ノ門3-25-1
電話 03-3431-5985
築地→(東京メトロ日比谷線・中目黒行き・180円)→神谷町→(3番出口)→光明寺
参詣者用駐車場数台分あり

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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