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世の中、結局のところ何が変化して、デザインや知財にどのように関係してくるのか。

 世の中の変化と、変化への対応の必要性が言われるのは今に始まったことではありませんが、特にここ数年、その動きが強まっているように感じます。テレワークやオンライン会議が普通になり、オフィスにある郵便切手や封筒は余ったまま。スーツや革靴の出番は激減し、家の靴箱にはスニーカーが増えました。
 そんな形式的なことはともかくとして、現場で実質的に社会を動かしている世代がグッと若くなっていることも痛感します。
 DX、AI、メタバース、MaaS、CASE、ESG、脱炭素、ワークライフバランス、ダイバーシティ…いろいろキーワードが飛び交っていますが、そういう個々の現象ではなく、今、社会の根っこの部分でどういう構造変化が起こっているのか。デザインにせよ知財にせよ、これからの役割やあり方を考える上で、キーワードに踊らされるのではなく、根本的な認識をしっかり持っておきたいところです。

 その点についての私見ですが、一番大きな構造要因は、社会を前に進める基本的な仕組みや考え方の変化ではないか。

  前回の記事でも少し言及しましたが、バブル期に社会人になった自分達の世代、さらにその上の世代は、「企業が競争することで社会が前進する」ことを大前提に仕事をしてきました。
 ライバル会社よりも少しでも早く、より良い商品やサービスを市場に提供し、競争に打ち勝つことができるか。それは決して「金儲け=善」を意味しているわけではなく、各々の企業が収益拡大を目指して競い合うことが社会を前に進める力になるという、中学校の社会の教科書にも書いてあるような資本主義経済の基本的な考え方に基づくものです。

 ところがそういった社会システムはもはや限界に近づき(「達し」か?)、競争による格差拡大や大量消費によって生じる環境問題など、その弊害が大きくなってしまっている。社会が資本主義経済を採用している理由は、経済成長という数字に示される結果を出しやすいということではなく、その制度が社会を前に進める力になることにあるはずです。

 であるならば、社会を前に進める・よりよいものにするという本来の目的に立ち帰り、自由な競争に委ねる競争至上主義を修正して、社会が解決すべき課題を設定し、企業が有するさまざまな経営資源を持ち寄ってその課題を解決し、そこから得られる果実が企業に還元されることによって資本が回転する仕組み(以前の記事に書いたサービス・ドミナント・ロジックは、まさにその考え方です)に構造を転換していくことが必要なのではないか。
 そうした社会課題の設定を官だけに頼るのではなく、官民の区別なくさまざまなアクターが問題を提起すると、そこに共感が集まればそれがプロジェクトとして起動され、そうした動きが各所で起こることで社会が前進していく。ここでいう「社会課題」とは、環境問題とか経済格差とかいった大きな社会問題に限定されるのではなく、身の回りにある困りごとの解決や、人々が幸せを感じられる機会の提供なども含まれ、そうしたさまざまな課題に目を向けた取り組みが、社会を前に進める力になっていく、ということです。

 共創、共感、想い、みんなの~、ソーシャル~、社会の問題を解決~など、エモいキーワードを見かける機会が増えているのは、そうした動きが世の中に広がり続けているからであって、社会をどのようにして前に進めるかという考え方の変化が、さまざまな現象の根本にあるように思います。
 少し前の日経ビジネスに「Z世代のトリセツ」とかいう記事がありましたが、働く世代間の意識の違いも、こうした社会の変化をどれだけ自分ごととして認識しているかの違いにあるのではないでしょうか(想定する未来までの距離が長いほど、持続的な社会構造を求めて、当然ながら後者の考え方を自分ごととして意識するはずですので)。

社会をどのようにして前に進めるかという考え方の変化

 こうした変化をしっかり認識しておかないと、たとえば最近注目されているオープンイノベーションにしても、社会課題を解決するための共創ではなく、企業が競合他社との競争に打ち勝つために、競争力のある商品やサービスを生み出すための手段と考えてしまいがちになります。
 重要なのは「自前⇔協業」という軸ではなく、「競争⇔社会課題の解決」という軸なのではないか。
 社会課題に重心を置くならば、自社で何ができるかではなく、ある課題を解決するために何が必要かというアプローチになり、外部資源の活用=「共創」は必然となってくるものですが、自社が競争に勝つことを第一の目的に、商品やサービスの競争力を高めるための「協創」であれば、社会の構造の捉え方はこれまでと何ら変わらないことになるからです(そのように定義することが一般的というわけではありませんが、下の図では「競争に打ち勝つための協業」を「社会課題を解決するための協業」と区別するために「協創」と表記しました)。

「共創」と「協創」

 また、「企業価値」の見方も変わってくるのではないでしょうか。
 競争に打ち勝つことが目的であれば、競争に勝つ力=競争力が反映された、数字に表れる収益力や成長性が企業価値の基準になりますが、社会課題の解決に重心を置くならば、課題解決に対する貢献、すなわちその企業が社会に存在する価値こそが企業価値と言えるのではないでしょうか。
 尤も、後者は定量的に示すことが困難なので、上場企業については、その存在価値を収益力で計らざるを得ないことになる側面は否めないでしょうが、少なくとも未上場の中小企業については、社会から必要と認められ、求められる存在であることが、その企業の存在価値であるはずです。

 さらに、経済のサービス化の進行に伴って「モノからコトへ」ともよく言われますが、それも同じように「モノ⇔コト」という軸ではなく、「競争⇔社会課題の解決」という軸で捉えることが、より重要であると思います。「コト」であっても競争が激化すれば先に言及した弊害が生じるのは同じことですし、自社が提供する「コト」のコモディティ化が進展すると、その企業は課題解決のために必要不可欠な存在とは認めてもらえなくなってしまいますので。
 より重要なことは、「モノ→コト」ではなく「売る→解決する」への転換です。

「モノ→コト」ではなく「売る→解決する」へ

 デザインの領域では、さまざまな場面でデザインの対象の拡大が指摘されていますが、以上のような社会の構造的な変化を考えると、デザインの対象が拡大するのも必然と思われます。
 競争によって社会を前進させる「競争の時代」は、デザインにも企業が競争に勝つための役割が求められ、企業が提供する商品の競争力を高めるためのプロダクトデザインやグラフィックデザインが重視された。各々の企業の中に閉じたデザインです。
 それが社会課題の解決のためにさまざまなアクターが資源を持ち寄る「共創の時代」になると、社会のデザイン、企業と社会をつなぐビジョンのデザインなど、デザインは企業の外に開き(なんかコンセントさんの「デザインでひらく、デザインをひらく」のパクリみたいになってしまいましたが)、その領域が広がっていく。
 そして、それこそが元来、デザインという概念が世に表れた理由、本来的なデザインの役割であったはずです。

デザインの領域拡大は時代の必然

 話題のSDGsについても、それが顧客ウケとか投資家ウケとかいった競争に勝つためのトレンドだということではなく(例の丸いバッチをつけてればいい企業に見えるとかそういう問題ではなく)、企業が活動する土俵やルールが変わっていることを認識すべきではないでしょうか。
 それは、自分起点・内向きの視点で、自社の社会的評価を高めるために取り組むという性質のものではなく、社会起点・外向きの視点で、そもそも社会が抱える課題を解決することが企業活動の基盤となっていく、と認識を新たにすべきです。

 さて、最後に知的財産ですが、企業が競合他社との競争に打ち勝つことを目的とするならば、価値の源泉となり、勝つための武器となる知的財産は、他に利用されないようにプロテクトしなければなりません。
 ところが、社会課題の解決に目線をシフトさせた場合、自社の知的財産(ここでいう「知的財産」は、特許とか商標とかいう狭い意味ではなく、固有の経営資源といったレベルで捉えるべきでしょう。)を閉じてしまうと、その活用領域に限界が生じてしまいます。課題を解決して新しい価値を生み出すためには、自社にはない外部の資源との統合、さまざまな知的財産をインテグレートすることが求めらられる場面が増えるはずです(ここも以前に書いたサービス・ドミナント・ロジックの考え方と共通します)。

知財をプロテクトするかインテグレートするか

 そして、個々の企業に目を移すと、知的財産活用の本質、知的財産活動に取り組む上で意識すべきことにも変化が求められることになります。
 他社との競争を前提にするならば、知的財産をプロテクトすることが企業の優位性につながるのに対して、社会課題の解決を目的とした知的財産の統合において生まれるのは、共創による知の重なり合い、知の相乗効果であり、常にアップデートされていく知的財産です。その企業がなぜ強いのか、なぜ多くの人に求められるのかという優位性の根拠は、知が常にアップデートされ、それがまた新たな知を引き寄せる、知的財産がアップデートされていく動的なプロセスに移行していくのではないでしょうか。
 知的財産活用の本質は、プロテクトからアップデートへ。それが社会の構造変化に伴い、必然的に起こり得る変化であると思います。

プロテクトからアップデートへ

 そうした変化は、すでに各所で起こっている様子が見られます。
 たとえば、能作の本社工場や、たねやのラコリーナ
 どちらも知がオープンになった、人を引き寄せる施設ですが、何か共通する未来感や、刺さるものがある理由は、そのあたりにあるのではないかと思います。

ギャラリーから一望できる能作本社工場の製造現場
公開されている能作の木型
製造工程もオープンなラコリーナのカステラショップ

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