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百人一首㊲「白露に風の吹きしく秋の野は」 と 『赤毛のアン』


For Anne the days slipped by like golden beads on the necklace of the year.
(L.M. Montgomery "Anne of Green Gables")

一日一日と重ねってゆく日々は、一年と名づけられたネックレスに連ねられた黄金の玉のようにもアンには思われた。
(村岡花子訳『赤毛のアン』)


 『赤毛のアン』より、アンが進学に向けて勉学に励む日々を描写した一節です。キラキラと過ぎて行く楽しい日々を、金色のネックレスに喩えて慈しむ表現がステキすぎます。
 時は、春に向かって滑るように過ぎ行く冬。初秋の頃にこの一文を紹介するのは、題にもある次の和歌が思い起こされるからです。

白露に風の吹きしく秋の野は
つらゆぬきとめぬ玉ぞ散りける
(「百人一首」37番/『後撰和歌集』巻六、秋中、308、文屋朝康)


(意訳)
秋の野では、草に置いた露に風がしきりに吹きつけ、真珠の玉が散り乱れているような光景です。


 前者からは、バラバラだった玉が日を追うごとにネックレスに通されていく光景が、後者からは、糸に貫かれて規則正しくあるべき玉が、風に吹かれて散り乱れる光景が、目に浮かびます。玉の動きは方向が反対だけれど、どことなく似ていると感じるのは私だけでしょうか。

 風が吹き荒れる映像の一瞬を捉えたこの和歌の、露の一粒一粒にはもしかしたら、アンがアヴォンリーで過ごした日々の思い出が、描き込まれているのかもしれない。
 もしも一日一日を譬えた黄金の玉が、さらに白露の譬えだったなら、この一文は儚い青春をも表すのかもしれない。

 両者が作用し合って、片方だけだった時よりもずっと、想像が膨らみます。

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