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「写真集を読む」第二回|『ソール・ライターのすべて』

第一回からしばらく間が空いてしまいました。
年末年始で色々書かなきゃいけなかったからシカタナイね。

写真集を読んで感想を書いて、写真に対する言語化能力を磨いていこうという連載企画の第二回目です。
今回は、ここ数年日本国内でも話題に上がる写真家、ソール・ライターの写真をまとめた一冊『ソール・ライターのすべて』をみていきます。

結論を申し上げると、スナップの魅力、もとい鑑賞者がスナップに対して何を求めているのか、という壮大な問いに直面して頭から煙を上げそうです。
でもがんばって言語化してみましょう

連載の詳細はこちらの記事をご参照ください。


ソール・ライターについて

ソール・ライターは1923年アメリカ生まれの写真家です。
20年ほどファッション誌でフォトグラファーとして活動し、その傍らでニューヨークの街を撮り続けていました。
しかしそのスナップたちは日の目を見ることなく終わる…ところだったのを、2006年にドイツの出版社から『EarlyColor』が発刊され、世界中で評価されることとなります。

1940~50年代のニューヨークでのスナップ、特にカラーフィルムが世に出始めた当初の色使いは、見る者の心をつかむものばかり。
詳細を述べていきます。

『ソール・ライターのすべて』

本書は純粋な写真集ではなく、彼のエッセイも書かれています。
また画家志望であったこともあり、制作した絵画作品も掲載されており、文字通り”すべて”なのでしょう。
渋谷で開催されたソール・ライター展も同じような構成、加えてファッション誌での仕事についても展示されていました。

写真集なら写真だけで飾るのがセオリーなのかもしれません。
しかし彼について知ろうとしたとき、それだけでは足りないのです。
印象派絵画を見るのに美術アカデミーのサロンとの対立やバルビゾン派からの系譜など、周辺の時代背景を知る必要があるように。

本稿では、写真そのものの感想のほか、彼の言葉をもとに私が考察したことも交えて記載していきます。

強烈な色

本書の表紙にもなっている、雪と赤い傘の写真。
この色使いこそ、私が思うソール・ライターの最大の特徴です。

どの写真を見ても、その画面構成、特に色の配置が絶妙。
実によく考えられた構図なのです。

色のインパクトというのは非常にナイーブなものです。
時々SNS上で論争になるくらい(ゲーミング成田山とか)。
鮮やかにすれば確かに目を惹くのですが、その一方で不自然さも生み、谷へ落っこちるか否かみたいな領域で色の調整を行うのが現代SNS写真だったりします。

方やソール・ライターも、色の鮮やかさという面においてはSNS写真と変わりません。
写真を見る限り違うのは「ワンポイントのインパクト」
その画面内で一色、強烈に主張する色が配置されていて、他の領域を支配しているかのように感じさせられました。

言うなれば引き算された色構成。
ごちゃごちゃしたNYの街並みの中に、愚直に引き算された色のコラージュを見出す
ような、そんなアートを見るのです。

都市景観と人物

ソール・ライターのスナップには人物が欠かせません。
これは推測ですが、彼がファッションの撮影を生業にしていたことからすると、服飾と人物、そして舞台である街との対比に関心があったのだと思います。

「写真を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時折提示することだ」と語っています。
各地を旅して絶景を撮り、その美しさを世界へ知らしめることは、写真が持つ役割の一つです。
一方で日常に潜む美、彼の視点ではNYの都市景観の中に、それを見出すことも写真の、そして写真家としての役割なのです。

写真に写る人物は、その街で生活をしています。
ビジネスに奔走する人、日々の買い物をする人、子供と遊ぶ人。
当時の時代観を見て取れるとともに、あらゆる人にドラマチックな切り取り方やシーンが存在するのだとも、改めて気づかされます。

「都市景観と人物」というテーマは私にとって重要なピースの一つです。
そういった意味でも、この膨大な作品たちを見ることは非常に収穫が大きいものでした。

スナップはどのように評価されるのか

昨年渋谷ヒカリエで開催されたソール・ライター展。
最終日に行ったら人だかりができていて、見終わったときにはヘトヘトになるくらい観るのに時間がかかったことを覚えています。

そのうえでこの一冊を読んだとき。
「はたしてソール・ライターが日本で評価されている要因は」という疑問が浮かびました。
彼の写真だからなのか、世界的に評価されているからなのか、スナップだからなのか、NYの歴史的資料だからなのか、分からないのです。

私は作風(と言えるほど確立しているかはさておき)として、スナップや風景写真を基礎としたポートレートを掲げています。
なので普段からスナップを撮るようにしているのですが、こと風景写真と比較して評価されるまでのハードルが高いという実感があります。
風景のように派手でなく、人物のように美しくなく、質素だからでしょうか。

いずれにしても、私が撮るスナップと、彼が撮るスナップには付帯する価値や評価が違うわけです。
ひとつ同じことを挙げるなら、彼も私も絵画について興味関心を抱いていることでしょうか。
審美眼を養うことは重要そうです。

また霜月まるさんのグループ展に先日伺ったとき。
私は一般大衆が撮るスナップに希望を抱いたのです。
スナップは基礎であり、スナップは人を魅了するのだと。
その視点で改めてソール・ライターの作品から得られるものがあるのかもしれません。

…まぁ何もわかっていないのですが。

まとめ

・スナップには希望がある
・色や被写体を含めた画面構成、とくに引き算の構成が重要
・日々の、身の回りの中に美しさを見出すことの重要さ

そんなことを得られる一冊でした。
またライターの言葉にはとても考えさせられるものが多くあり、写真に対するエッセイ集としても楽しめました。
アートの側面からうんぬんというよりは、単純に鑑賞して楽しい。

一方で写真と言葉、そして絵画という、私も取り組んでいる領域で結実するアウトプットのモデルケースとしても大変参考になります。
私であれば、モデルさんの素晴らしさはありつつも、私自身の考えや表現にフォーカスして写真集を出すならこんな感じ、というイメージ。

併せて。

「取るに足りない存在でいることは、はかりしれない利点がある。」

と述べていた彼が、世界的に評価を受けたその時、果たして何を思ったのか。
取るに足りない存在でいることは、つらく苦しくないのか。
そんな側面についても深堀りしてみたい。
また後日。

次回どんな写真集にするか非常に迷いどころ。
構想が決まったら早めに出します。
それでは。

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