俺たちのアカデミー賞《短編小説》

『アカデミー監督賞を発表します。』
 優秀な通訳が発表を前に興奮を届けている。実際に現地のステージに登壇しているのは、何度もノミネートされ監督賞も獲得した名監督だ。
 そして、封筒に入った紙を取り出して読み上げた名前は聞いての通りだ。通訳の必要なかった。

『コージ・オーヤマ』
 テレビ越しに見る会場は大きな拍手に包まれた。拍手の渦が会場のみならず、私たちが控えていた映画スタジオにもこだまする。
 固唾を呑んで見守っていた私たちも、立ち上がり抱き合った。

 この小さなスタジオからアカデミー賞監督を輩出した歴史的瞬間だった。

「あいつ、やってくれるじゃないか。」
 幼馴染の世界的活躍に、沸きあがる喜びと少しの寂しさを感じながら、私はまた次の仕事に取り掛かろうとしていた。

 いい映画を撮ろう。

 そう思わせてくれるライバルは大切なものである。

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 アカデミー監督賞とは、選考対象となる1年間に全米で公開された全ての映画作品の監督を讃えるものだ。
 監督賞はほとんど場合、作品賞と同時ノミネートされる。つまり監督賞と作品賞は最も繋がりが深い賞と言える。監督賞を受賞するという事は、作品賞を獲得するのと同等の価値があるとも言えるのだ。

 アカデミー監督賞は、日本人監督としては初の快挙だ。
 日本映画界におけるアカデミー監督賞は、エベレスト登頂よりも厳しいと形容されたこともあった。
 実際に受賞した監督が1人もいないのが現状だった。過去にもノミネートされる事はあった。しかし、外国語映画賞を受賞した経歴を持つ名匠・黒澤明監督による「乱」以来、監督賞はノミネートさえされていないのだ。

 作品賞と並んで、監督賞は日本映画界の悲願でもあり、世間は日本出身監督の受賞に大いに沸いた。

 監督賞を受賞した作品の全国映画館での再上映が決定したり、監督特集番組や監督の別作品のリバイバル上映も企画された。サブスクリプション・サービスでは、監督作品が軒並みベスト5を締めたりもした。

 まさに日本映画界の復活の咆哮を鳴らしたかに見えた。

 しかし、夢はそう長く続く事はなかった。

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「もしもし、大山。大丈夫なのか。」
 一報をもらってからずっと落ち着かず、その日の撮影が終わってすぐに電話をした。
『あぁ、中野か。いや、良いとはお世辞にも言えないな。』
「今、どこにいるんだ。」
『療養の為に、地元に戻っているよ。ほら、近くのちょっと大きい病院。』
「そうか。明日撮影休んで伺うよ。」
『撮影休むのはダメなんじゃないか。』
「何言ってるんだよ。友達が倒れたってのに、居ても立ってもいられないよ。」
『ふふ、中野は変わらないな。映画への熱意はあるのに、それ以上に友達想い過ぎるんだよ。撮影がひと段落してからでいいから。』
「何でそんな事言うんだ。心配なんだよ。」
『大丈夫。そんなに簡単には死なないから。じゃあ、少し寝るよ。』

 電話を切ったのは夜の23時頃。大山の声は弱弱しかった。本当に弱っているのかもしれない。アカデミー監督賞を受賞し、栄華を極めたのは昨年の今頃。そこから新作の撮影をしながら、テレビ出演や舞台挨拶、インタビューもたくさん受けただろう。それが祟ったのだろうか。
 それにしても23時なんかに電話してよく出てくれた。明日は無理でも、週明けには時間が取れそうだ。
 すぐにスケジュール調整などのマネジメントしてくれている会社に直ぐに連絡し、週明けに2日間の休みをもらえる事となった。本来は1日だったが、こじ開けてもらう事にした。明日、現場に行って直々に謝って周らねばならない。
 翌日、事情を説明すると現場の人たちはすんなり受け入れてくれた。出演者やそのマネージャーも『一日休みが出来たね。親睦会でもしますか。』と盛り上がってくれている。
 良かった。一本の映画撮影は、"一つのユニットを形成する"という考えがあって、なるべく出演者と製作側が一体となって作り上げるように心がけている。そのいい部分が出たのかもしれない。
 週末の撮影は、詰め込めるだけ詰め込んで大変なものとなったが、週明けの休暇を心置きなく取れるだけの余裕が出来た。"ユニット"のみんなには感謝しかない。帰って来たらまた一段といい作品の完成へと向かう事ができるだろう。

 そうして二日間の休暇を頂き、私は地元に帰ることが出来た。

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「なぁ、今度の映画はどんなの撮ってるんだ?」
「大山、今回のはいつも以上に挑戦したんだよ。何故か宇宙に飛ばされたお父さんが漂流するんだ。ある事が起こって、地球に似た星に降り立つんだけど、そこで何も持っていない主人公は、兵士になったりするんだよ。結局、助かりはするんだけど、宇宙船乗っ取られそうになったりな。」
「おいおいおい、中野。そこまで言っていいのか。ほとんど内容しゃべっちゃってるじゃないか。」
「ははは、そうだな。」

 アハハハ、と病室に笑い声が響き渡る。個室で良かった。相部屋ならきっと隣のおじいちゃんに叱られていたんじゃなかろうか。
 大山は少し頬がこけているくらいで、表情を見る限り元気だ。病室に付くなり病状の話しよりも、映画の話しに花が咲いた。こうやって映画の事を語り合ったのは何年ぶりか。
 数年前、別作品の監督同士で同じ会場で会ったのが最後か。当時、私も大山も国内で少しは名の通った監督で、その年の作品はお互いに高く評価されていた。

 元気そうに見えた大山だったが、病室には人口呼吸器や点滴などが設置してあった。気丈に振舞ってはいるが、体が決して良いわけではないというのは本当のようだった。

「あぁ、もうこんな時間か。」
「そうだな。もうすぐ、夕食が運ばれてくる頃か。ここの夕食、味薄すぎるんだよ。しかも時間が早いんだ。夜中、お腹が空いてたまらないよ。」
「病院食に濃い味求めちゃいけないよ。時間早いのも当たり前。ここにいたら返って健康になるんじゃないか?」
「本当にそうだよ。規則正しい生活なんて無縁だったからな。お陰でゆっくりは出来てる。」

 どことなく名残惜しそうな雰囲気を残しながら、私も後ろ髪を引かれながら、その日は病室を後にする事にした。

「そうだ、中野。もし、俺に何かあったら...うちの女房に会いに行ってくれ。」
「そんな事言うなって。わかったよ。じゃあ、また明日来るよ。」

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 翌日、病室に来てみるとそこはもぬけの殻だった。すぐにナースステーションに行ってみると、看護師たちは慌しく、あっちこっちと駆け回っていた。聞くタイミングを逃してあたふたとしていると、エレベータ前にいた老婆が声をかけてきた。

「どうしたんだい。」
「あ、いや、看護師さんに聞きたい事があって。」
「そこの病室の子かい?」
「そうです。昨日来た時はいたんですけど、どこか移動でもしたんでしょうか。」
「運ばれて行ったよ。呼吸器付けてたから集中治療室かもしれないね。」
「あ、ありがとうございます!」

 謝辞だけを述べ、慌てて階段でICUに向かった。この病院には、母が入院していた事があり、構造をある程度把握していた。ICUもどこにあるかはわかっている。

 慌てて階下に駆け下りICUまで来たが、ここから中を確認する事はできない。どうしよう。落ち着かない。昨日は元気そうだったのに。自分を落ち着かせるべく、脇にあったソファーに腰を据える事にした。

 数分して看護師が通りかかり、大山の事を訪ねるとICUに入ってから数時間経っているがまだ予断を許さないという。私は身の置き所を探すようにそわそわしながら、しばらく待つしかなかった。

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「あら、中野君。」
「久美子さん。どうも。」
「来てくれてたんだね。気づかなくてごめんなさい。」
「いえ、それどころじゃないですから。大山は大丈夫なんですか?」
「今の所...意識は戻ってないの。先生からは、もしかしたらこのまま戻らないかも、と...。」
 最後は絞り出すように現状を伝えてくれたのは大山の妻・久美子さん。
 その言葉を聞いて私はただただショックだった。友人で、ライバルで、仲間だと思っていた人が帰らぬ人になるかもしれない。言葉にならなかった。その日、それ以上会話は続けられそうになく、また明日来ます、お大事に。とだけ伝え、病院を出てしまった。

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「ここの空気は美味いな...。」
 映画製作に戻るため、駅まで歩いていた。友人がどんな状況であっても、田舎にある地元の空気は澄んでいた。暮らし慣れた地元だから、そう思うだけかもしれないが、この場所から全てが始まった事を思い出していた。

 中学時代に同じ映画監督に憧れ、高校では映像研究部でショートフィルムを獲って発表したりしていた。大山と二人で映画を撮っていたのは高校の三年間だけだったのだが、この頃色んな事を語り合っていたのが懐かしい。
 それぞれに撮りたい映画があって、私はSFやアクション、大山は社会派ドキュメンタリーやノンフィクション。ジャンルは違ったが、お互いが打ち出す作品に共感し合い、刺激し合っていた。
 大学は別々になって、お互いが学生の映画祭に出展して賞レースを繰り広げちょっとした話題になっていた。動画投稿サイトの批評動画などでは、ぼこぼこと叩き上げられたりもしたが、同級生の大山と比較される事にそれほど嫌悪感は抱いていなかった。卒業後は映画製作をしている映像制作会社に就職し、監督業を目指し始め今に至るというわけだ。

 同じ街出身の同い年、同じ映画監督を目指した。結果として、大山は世界に羽ばたき、私は国内では知られているというくらい。
 いつか大山を脅かすような映画を作る事を目標の一つとしていた。その目標の灯が消えそうになっている。その事実に焦燥感を感じずにはいられなかった。

 大山を越える映画を作ってやる。そう決意して、東京へと帰ることにした。

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 それから一年ほど。
 当時、製作をしていた映画は1年後に封切りとなった。

 世の中に送り出したその作品は、滑り出しが非常に良かった。アジア諸国でも賞賛を得る事が出来、映画祭に呼ばれて行くことにもなった。
 やがて全米でも公開が決まり、なんとその年のアカデミー賞にノミネートされるという奇跡的展開となった。

 帰京してから脚本に大幅な修正を加え、数多くの撮り直しを行った。それが功を奏したのだろう。

 実はあの日、夕日の差し込む病室で語り合った大山との会話にヒントを得たのだ。彼は、やはり天才だった。少し内容を話しただけなのに、こうしたら、ああしたら、と提案してくれた。『お節介を言ってすまないね。』と控えめではあったが、私にとって大変貴重な助言となった。

 彼はまだ眠っている。

 アカデミー賞ノミネートによる渡米を前に、その彼に一言を報告するためだけに、地元に戻ることにした。

「ただいま。」
 もちろん街はおかえりとは言ってくれないが、無言で出迎えてくれているような雰囲気を感じる。
 日が少しずつ沈んで来る。最近、改修に入ったと聞いている駅の厩舎を出ると、ちょうど正面の通りに夕日の沈む様子が伺う事が出来る。その夕日を見ながら、小さな商店街を歩いている。

「あれ?中野監督?やっぱり中野監督だ!」
「はい、どうも。」
「映画観たよ!あ、ちょ、ちょっと待ってて!」
 病院までの道すがら、商店街は夕刻時に少しの活気を感じられるが、肉屋のおばちゃんは特に威勢が良い。学生時代はよくコロッケを買い食いしていた。肉屋のおばちゃんは、色紙がないからとノートの切れ端とサインペンを渡してサインしてくれと言う。

「おばちゃん、明日もう一度くるよ。色紙の方がいいでしょ。家に色紙何枚かあるから、持ってきてあげるよ。」
「ほんと!ありがとうねぇ。ビッグになっても全然変わらないわぁ。あ、コロッケ持ってきな。」
「あぁ、いいよいいよ。気遣わないで。」
「あら、そう。ま、でも、田舎の味を思い出してもらわないとねぇ。」
 その場にあるコロッケ全部詰める勢いで、大きな袋に入れようとするおばちゃんを静止したが、小さな紙の包みに1個だけコロッケを入れてくれた。
 懐かしい味。地元に帰ったと実感するのは、実家や風景だけではないんだと思い知らされる。帰り際、目に入ったのは、80円で売っていたコロッケも、今や1個150円になっていたことだった。どれだけ田舎でもやはり時代は流れている。
 コロッケを頬張りながら商店街を抜けるまでに数人かに声を掛けられた。この街から世界に羽ばたく映画監督が二人も出た事を喜んでいる人もいた。
 地元に一人で凱旋しているようで、少し誇らしい。まだ受賞したわけではないし、鼻高々とまでは行かないが、いつかこの街で映画を撮りたい、そう思わせてくれる。

 あっという間に病院に到着した。病院は田舎にしては綺麗で大きな建物だが、それは外装工事を行ったからに他ならない。内装も少しずつ綺麗にしているが、内部の構造が変わっていないのを知っている。
 ロビーにはもう約束していた久美子さんが先に到着していた。

「こんにちは...こんばんは、かな。去年ぶり。」
「中野君、久しぶりだね。いつも久しぶりだけど。電話はくれてたからそんな気しないけどね。」
「それもそうか。」
 会って早々和やかな雰囲気だ。それも当然と言えば当然で、久美子さんは高校生の映画研究部の部員同士。監督志望だった私と大山は、唯一の女性部員だった久美子さんを主演にしたショートフィルムを何本も企画し撮影した。共演者はその都度ゲストを呼んだり、撮影は写真部の友人にカメラを渡してお願いしたりしていたのも、今となっては懐かしい思い出だ。

 文化祭でそれぞれが制作を担当した二本立ての映画を上映した時のこと。二本連続久美子さん主演作を公開してしまったが為に、似た設定と同じ主演女優に混乱した観客たちから、終了後に質問攻めに合ったのが高校時代のハイライトかもしれない。

 一年前は、ショックの余りほとんど会話せずに病院を出てしまったので、久しぶりの思い出話に花が咲く。病室に入ると、スースーとただ寝ているような柔らかい表情の大山に再会した。

「大山、久しぶりだな。ついにノミネートされたよ。」
「…。」

 もちろん何も言ってはくれない。大山に声が届いていれば、と願いを込めて報告を続けた。

「大山監督の最新作も好評だぞ。まだ出来ていなかった完成間近の映画。私にも協力の要請が来たんだ。去年、ここで話してくれていた話があっただろう。それをちゃんと伝える事が出来たよ。」
 今思えば一年前の病室での会話にすべて集約されていたのだろう。お互いの理想や構想を包み隠さず語り合ったあの時間だ。

 大山は病に伏した時、何を思っていたのだろう。もしかしたら長くないのを察していたのか、私にその時の全てを託してくれた。

「あと一歩でお前に追いつける。追いついたらそのまま抜いてしまうぞ。」

 それでも私の目標は、『アカデミー監督 コージ・オーヤマ』だ。
 共に切磋琢磨し、大山の活躍を見て刺激を受けたお陰でここまで来れた。今度は私の活躍を見ていてくれ。そんな思いをここにはまだ置いておきたい。

「大山、行ってくるよ。」

 相変わらず返事はない。一年間一度も目覚めた事はないと聞いているが、しかし今にも起きて来そうな表情に変わったような、そんな気がした。私の感情の変化で見方が変わっただけで気のせいだろう。

「あと、、、そろそろ起きてもいいんじゃないか。」

とだけ投げかけて病室を後にした。

ー・-・-・-・-・-

 それから数日後、私はハリウッドにいた。
 数々の映画で舞台として使われたユニオンステーションにも行ったが、ただただ映画ファンとしてテンションが上がってしまった。嬉しそうに駅構内の写真をパシャパシャ撮る姿は、まさか映画監督だとは誰も思わなかっただろう。

 そして、当日はドルビー・シアター。
 乗った事のないような高級車に乗せられ、降り立つとレッドカーペットを歩かされる。
 非常に有名レッドカーペットだが、まだ受賞暦も何も無い日本人監督という事で、それほど目立つ事はないだろうと高をくくっていた。

「Oh!Mr.Nakano!!」
「Nakano!」
 信じられない。全米で公開になっている映画とはいえ、思った以上の歓迎を受けた。
 ビックリしてペコペコと頭を下げて周っていると、今回の授賞式では助手として来ていた助監督から「こういう時は手を振ったりするんですよ。ほら、ああいう感じ。頭下げてたら顔見えないですし」と諭されてしまった。自分が思っているより緊張していたらしい。
 情けない事に、この時ペコペコと頭を下げていた写真を笑いものにするタブロイド記事を見る事になる。それはまた別の話しなのだが、ほんの少しだけ後悔が残ってしまった...。


 映画の授賞式は国内で経験した事があるが、何度経験しても緊張はする。しかもそれがアメリカの世界的映画賞となれば尚更だ。

 ドルビー・シアターにて、アカデミー賞が始まった。

 助演系の俳優賞や脚本賞が発表されていく。
 そのひとつひとつが劇的で映画的な演出が成されていて、テレビで観ていた昨年まででは味わう事の出来ない感動の波が次々に訪れて来るのだ。
 美術賞やデザイン・メイク系の賞も前半に多く発表されていたが、日本ではまだ公開されていないオシャレなフランス映画の受賞者の多くは、登壇者自体が華やかな衣装やヘアメイクで目を惹いていた。


 映画にはストーリーがあり、表現の自由が許され、主張さえも盛り込む事が出来る。黒人差別問題や移民問題、反戦主張さえも時として高い評価を得ることがある。それが映画というものだ。

 日本ではテレビ放映されたドラマやアニメの映画化が流行する傾向がある。それも一つの手法で、本当に面白い作品も数々存在する。

 しかし、そこに主張や表現の自由は存在しない。
 私が映画監督を目指した理由は、《 表現に縛られたくない 》という事だった。

 そして終盤、監督賞の順番が回ってきた。

「緊張しますね。」
 助監督は、私以上に緊張しているように見えた。お陰で、こっちは少し冷静でいられる。
「なるようになる。自分たちで作り上げた映画がここまで評価されたんだ。」
「そうですね。完成間近で中野監督がもう一つスパイスを加えたいって言い出した時は焦りましたよ。」
「ドタバタになってしまって申し訳なかった。しかしな...あれは約束なんだよ。」
「約束...?」
「あぁ、俺の友人で、ライバルで、仲間だった男の最期のアイデアだ。」
 何かを察したのか。助監督はそれ以上何も言わず頷いて、再びステージに向き直った。

 ステージには華やかな音楽と共にプレゼンターが登壇。十年以上前、初のアカデミー監督賞を受賞されたアジア人監督が登壇し、それだけでも大きな拍手が起きた。

 発表までにプレゼンターが少し話す場面があるが、英語がめっぽう苦手は私には何を言っているのか理解できない。少し英語が聞き取れる助監督からは、『受賞時の感動を語っていて、今年もまた新たなアカデミー賞監督が生まれる事に喜びを感じる』と語っているとの事だった。

 いよいよ受賞者発表の封筒が届き発表された。
 封筒から取り出した受賞者が書いた紙を一瞬見つめ、客席側を端から端まで見渡す。そして...

「フミヤ・ナカノ!」

 次の瞬間、助監督と抱き合い大人気ないほどに喜びを爆発させてしまった。
「中野監督、おめでとうございます!!!」
「いや、これは皆のお陰だ。付いて来てくれてありがとう。」
 少しのやり取りをして、興奮冷めやらぬ中、ステージに登壇した。

 ステージに上がり中央へ歩みを進める中、客席を観ると今までスクリーン越しでしか観たことのないハリウッドスターたちが、私だけを見つめ笑顔で拍手を贈ってくれていた。客席は総立ち。

 信じられない。これがアカデミー賞なのか。別に俳優でもないのに、ハリウッドスターの仲間入りをしたような錯覚してしまいそうになる。

 スピーチは英語で出来ないので、同時通訳の方に同行をお願いしていたので、日本語で思う存分話しをさせて頂いた。

「えー、まず、日本にいる家族、今回の映画製作に協力してくれたスタッフ、今まで私の映画に携わってくれた全ての人に感謝の言葉を届けたい。ありがとう!」

 もうこの時点で、泣きそうな表情をしていたに違いない。

「今回の映画に懸けていた想いは、、、」

 受賞させてくれた映画のタイトルは『宇宙からの贈り物(英題:PRESENT)』。
 この映画を一言で表現するなら、『永遠に帰れないかもしれない宇宙を旅する父からの贈り物が届く』という物語だ。よくある親子愛、よくあるSF、それでも多くの人の心に突き刺さった結果だ。

「この作品は、友人に捧げる映画となりました。その友人は、私にとってライバルでもあり、仲間でもあります。そして、その友人は今、消えそうな命の灯を必死に灯そうとしている。何を隠そう、この映画に最後の命を吹き込んでくれたのはその友人の助言でした。」

 製作開始当時、思いもしなかったような『想い』を乗せることとなった。もちろん大山が病床に伏すなどと思わなかった。この映画の完成、そして世界的評価を得られたのは、大山のお陰に他ならない。

「偉大なる大山監督にこの映画を。そして、アカデミー監督賞を捧げます。ありがとうございました!」

 会場は喝采と感動がらせん状に渦巻くかの如く駆け巡った。

ー・-・-・-・-・-

 三か月後、報告のために地元に再び降り立った。主に実家やお世話になった学校などを回る予定だ。少し重いがトロフィーも持って来るため車での凱旋となる。

 そして、大山にも会いに行かないといけない。

 このトロフィーはお前と共に獲ったようなものだ。

 おめでとう。そして、ありがとう。

 それだけを伝えに、駅から少し離れた山を背に、車を降りて歩いて向かう事にした。

END

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