脚本製作中は、絶望中

脚本を作ってて思うことは、絶望を何度もするなぁ、ということです。というのも、脚本を書いて、書いたものに非常に納得すると言う事は、私の場合はほとんどない。書いて、見直して、書いて、見直して、それを何度も繰り返すことで、ようやく納得するものになる。俳優のセリフを初めて放った時と、何度も何度も練習した時との違いに似ている。初めて放った時は、他人の言葉で、練習を重ねることで、自分の言葉となる。自分の納得がするまでは、その脚本に絶望しか書かれていない。

絶望する事は、楽しいことではない。楽しい人がいるならば、どMだ。絶望はしたくないので、やらない方がよい。では、なぜ自分は作っているんだろうか? それは、絶望の果てに、楽しみがあるからだ。そしてその楽しみは、何度も絶望したことによって、自分が思う以上の強度を持っている。その強度に気づくのはずっと先のことだが、自分にとってはかけがえのないものだ。園内の全てがゼロから作られているディズニーランドやシーのように、唯一無二の誰にも真似ができない自分独自の世界が広がっている。そこを闊歩する楽しみを、最終的に得る衝動がおさえられない。

ということで、現在、絶望に絶望を重ね、いつになったら浮上できるのだろうかと夜の帳に問いかける日々である。

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