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【ミロンガ(パーティー)後編】桜タンゴフェスティバル

日本で一番大きいタンゴフェスティバルの一つとして有名な、「桜タンゴフェスティバル」。
これまで、3記事をアップしてみた。

●フェスティバルへの参加の経緯や九州グルメ、Shinji&Natsune先生、恩人ルシウス様や地元の仲間の皆様との思い出を書いた生活

● フェスティバルの核の一つになっているレッスン編

●ミロンガ前編(魅力、レッスンとの相乗効果や誘い方など)

フェスティバルのもう一つの核になっているミロンガ(パーティー)については、2回に分けて書いてみる。
後編では、桜タンゴフェスティバルにおけるミロンガ中に見られるショーや、世界各国の参加者の傾向、地元仲間達と踊る頻度、そしてグランミロンガとアフターミロンガのそれぞれの雰囲気など、これまた盛りだくさんに思い出してみたいと思う。

異次元のショー

恐らく桜タンゴの中でも楽しみにされている方が多いのが、ミロンガ中に行われる、プロダンサー達のショーだろう。

我らがShinji&Natsune先生も出演され、ストーリー性のある舞台に会場は感動の渦だったという!他にも、今の場所へ引っ越す前に可愛がって下さった、日本を代表する先生達もデモのために福岡に来福され、素晴らしいショーを披露されていた。

日曜日は格安飛行機が夕方までしかなく、私は日本を代表する先生達のショーは生で見れなかったのが残念な限りだが、動画でもその魅力が存分に伝わって来たのは、さすが先生達だ!!

私がショーを見られたのは金曜日と土曜日だったけれど、大体の先生達は、3曲連続で踊っていた。キゾンバやズークのデモは大体1〜2曲だから、体力的にも大変だろうなと思う。しかし全てのダンサー達は何食わぬ顔で、数曲を通じて自分達を表現し切っていた。

Julian &Nataliaは、迫力もあり、それでいて可憐。挑むような雰囲気や強気な雰囲気を出してくるショーが多い中、その可憐な雰囲気は、良い意味で従来のタンゴとは一味違った魅力があったと思う。2人独自の雰囲気を出しながらも、確かでダイナミックなテクニックを併せ持っている所が、これまた素晴らしいと思った。

Jonatan & Laisaは、普段はペアではないらしいのに、すごい一体感と存在感で圧倒して来る。今回来日してレッスンして下さった先生達の中で一番小柄だったと思うが、ちまちま踊っている風にならないのは、身体の魅せ方が相当上手なのだと思う。足先や足首の見せ方がこれまた上手で、「身体全体、どうなってるの?!」と唸った。

Lucas & Paulaは、激しく情熱的な、私の中で「ザ・アルゼンチンタンゴだ!」というかっこいい踊りだった。一生に一度は、こういう強気で挑戦的な表現を踊りでもしてみたいと思っていたが、それには、そういう表現が合いそうな人が見つかるかや、自分がそこまでの技術を取得できるかにもかかっているのだろうと思う。

Rodorigo&Indiraは、Indiraのエティゾチックな雰囲気に常に惹き込まれている自分がいた。正統派と個性派がミックスされた化学反応のような、そんな魅惑的で個性的なダンスをこのペアもしていた。ペアとは、似たもの同士もその種の芸術を深められるけれど、違うもの同士でも独自の世界を作り上げられる所が、嬉しく魅力的だと気付かされた。

Los Totisは、ドラマ性や激しさよりも、技の正確さや伝統的タンゴの魅力で私達を魅了してくれたように思う。使用音楽の影響もあり、動いていても、なぜかこのペアからは静なる繋がりを感じた。レッスンで教えてくれた一見簡単そうだが実は難しかった技も、まるで歩くかのように自然に簡単にやっているように見えた。相当な繋がりとテクニックが、この2人の中にあるのだと分かった!

まずはグラン・ミロンガで彼らの踊りが見れ圧倒されたが、アフターミロンガでのショーはダンサーと観客との距離が近く、より全員で彼らを盛り上げる、一体感が強い感じがした。

Christian & Naoのワルツには、優雅さとダイナミックが同居していて、目を奪われた。翌日のレッスンでは、とてもフレンドリーに教えて下さったが、このショーではとても高貴な雰囲気に満ちていた。まるで皇帝と王妃が踊っているような、そんな踊り。このペアのワルツは、バロックやロココ建築様式の宮殿でぜひともまた見たくなる。

それ以外にも、更衣室にて
「素敵なドレスとメイクですね!」
と話しかけて友達になったJenniferが、ミロンガの途中で登場したり、レッスンで教えてくれたペア以外にも、日本やアジアからのカップルが、素敵なショーを披露下さった。

Jennifer達は勢いがすごく、圧巻のミロンガ、そしてタンゴだった!
まさかプロのタンゴダンサーだったとは、これまた凄い人に声をかけてたな、と後から照れまくりだった。
エネルギッシュな2人の舞に会場の気温は何度も上がり、「アンコール!」は絶え間なく響き……。
これまた、アンコールもすごく楽しそうな二人だった。
「デモでも楽しく踊れるなんて、才能かな……そんな日が来てほしかった」
と、人前での踊りを楽しむ二人を見て思った。

グラン・ミロンガードレスアップを楽しんで

レッスンの後、夕方〜夜にかけてまず行われるのが、「グラン・ミロンガ」。
西鉄ホールで行われるが、このホールが本当にゴージャスで「日本に来た!」という雰囲気に作り上げられていた。
地元のタンゴ友達Hさんも、その現実離れした特殊な雰囲気に大喜びで、
「僕の自撮りに入って!」
と誘われ、私も共に、二度の皇室風撮影を楽しませてもらった!

そこで踊っているだけで、数段自身の実力が上がり、女王や姫になった気持ちがするだろう。
自然に背筋が伸び、仕草も美しくなる。

1タンダは4曲で構成されているから、1タンダ3曲に慣れている人達は、人によっては「ラッキー、幸せ!」と思うだろうし、人によっては「ちょっと長い?!」と思うだろう(笑)。
音響もとても良く、いつも聴いている曲が流れて来ても、どこか遠い国で踊っているような錯覚を覚える。
また、全国屈指のDJが流してくれる音楽の中には、初めて耳にする曲もたくさんあり新鮮だった。

途中は上記の通りショーがあったり、そして生演奏もある。生演奏の時、ダンスフロアはより人口密度が高くなり、グランミロンガで一番の盛り上がりを見せていたような気がする。

クロークでも、嬉しい出会いや再会がいっぱいだった、グランミロンガ。
始まる前、そして終わった後も、ブエノスアイレスの宮殿にいる気分で、たくさんの人との触れ合いを楽しもう。

アフターミロンガー尽きない夜を楽しんで

正装してポッシュな気分を味わえる「グランミロンガ」の後は、少し砕けて、尽きない夜を楽しむ「アフターミロンガ」へ!
モナコで例えると、「グランミロンガ」がグランカジノでの勝負、「アフターミロンガ」はその後の打ち上げパーティーのようなイメージだろう。
アフターミロンガは、親しみやすくリラックスしている所が魅力とも言える。

両ミロンガの雰囲気の違いは大きく、ミロンガ会場が変わるからと、女性だけでなく、男性も服を着替える人がいる位だ。
会場は、レッスンが行われたティエンポホールなのに、昼が夜に変わり、少し赤みがかった間接照明が灯され、区切られていた部屋が開放され、ムードのあるタンゴ音楽が流れると、そこはブエノスアイレスや欧米のサロンのように感じられるのだから、なんとも不思議である。

初日木曜日のウェルカムミロンガは、人口密度も異常ではないから色々なダイナミックな技もしやすいけれど、金曜日、土曜日は、足場が取れないほどの人、人、人!
初日に『Vida Mia』で忘れられないタンゴの1つを踊った中米君とは連日アフターミロンガでも踊ったが、ドラマティックでダイナミックな踊りが好きな彼は
「スペースが欲しい……!」
と、スペイン語の混じった英語で懇願していた。
私も同じことを思ったから、ここでは初めて言語でも理解し合えた(笑)。

上の階でまったりした人の少ないミロンガもやっていたから、あまりにも人口密度が高い時はこちらに移動して、私は中米君から、欲求不満を晴らすダイナミックなリードの数々を受けることが出来た!

この上の階のミロンガも、一度は踊りに行ってほしい。
今時な曲もかかったり、なんと演歌までかかっていて、下の階とは趣向の異なる内容でとても楽しませてくれた。演歌に合わせてのタンゴが一番お上手だったのは、誇れるパレハ、Lucius様だろう!演歌の良さをも引き出した素晴らしい踊りに、DJも中米君もその場にいたメンバーさん達も感心していた!

このように、金曜日はその人口密度に耐えられない時間があったが、土曜日はアルコールも手伝ってその密度にも慣れ、狭い場所でも大いに暴れた気がする。
コルティーナでかかる曲がとてもノリが良く、メレンゲやバチャータが流れた時は、地元仲間のKさんやSさんとノリノリで踊り明かした。
アフターミロンガでもピアノの生演奏があり、リベルタンゴを生演奏で踊れたのも良い思い出になった。

人口密度が高くても、一日諦めずに踊ったら、狭い所で踊る楽しみも上手なリーダーさん達から感じて行くことが出来た。
始めの数時間、酸素が薄くてきつく感じても、上の階のミロンガで気分転換をしたり、人口密度を忘れるほど踊り明かせる相手と踊りに入り、この人口密度も味方につけてしまおう。
そしたら、世界中のミロンガも怖くないだろう!(おそらく……笑)

世界各国からの海外参加者の印象

たまたまこのイベント、この期間に出会った人達だけなので一概には言えないが、ひとまずこの「2024年桜タンゴフェスティバル」に世界から集まった海外参加者達との印象や思い出も、記念と参考に残しておこう。

欧米のダンサーは、中米君のようにとても分かりやすく誘い、踊ってくれる。
アメリカ、中米、ヨーロッパ、たまたまかもしれないが、結構ダイナミックな踊りをする人が多かった。
とてもフランクなアメリカさんは、踊りながら自分達の撮影までして来る!
「……?」
「ほら、smile〜!」
「ええっ、今写真撮ったの?器用!」
「なかなか日本には来れないから、撮るしかないでしょ!」
確かに。私もヨーロッパに行く時、踊りながら自撮りを試してみてもいいかもしれない。

韓国の皆様も誘い方もとても分かりやすく、踊りがとても楽しい人が多かった。
同じアジアの顔つきでも欧米人のような肉食系が多く、超絶に受け身で鈍感な私には嬉しい限りだ。
音の扱いがとても楽しい一人の韓国さんは、究極に情熱的だったり、探偵ドラマに出て来そうな怪しい曲のタンダの時になると誘ってくれ、彼独特の世界に毎回招待してくれた。
曲によってガラリとキャラクターを変えて来る人には、ゾクっとさせられる。

私がたまたま踊った香港や台湾の皆様は、これまた待ち構えてまで誘ってくるガッツのある方々だった!
体育会系だった彼らとは、明るい曲で踊ると更に気分爽快になった。
夜中のアフターミロンガにて少し眠気がき始めていても、香港さんの情熱的なリードに、一気に目が覚めた時もあった。

一番意外性があり、フェスティバルの始まりと終わりで自身の気持ちに変化があったのは、レッスンから一緒の中国の皆達だった。

もちろん、世界3番目の面積を持つ中国。
全員に意外性があった訳ではなく、他の国々のダンサーのように始めから積極的に誘って来る北京君のような人もいて、彼のような分かりやすい人とは、出会った日から磁石のように引き寄せられ、踊り明かした。

毎ミロンガで北京君とは踊れたが、短調のメロディーが美しい、スローの曲が続くタンダで踊った時は特に、魔法がかけられたような時間だった。

その日習った技が次々入れられ、フォロー出来たことに喜び合ったタンダもあったが、このタンダでは互いに、技より音楽と踊りの融合にどこまでも集中した。
メロディーに痛みが伴う曲もあった。
北京君は、その悲しみの旋律を感じ、それを相手に伝えるのが上手かった。
きっとこの人も、相当凹凸のある人生を歩んでここまで来たのだろう。
私の足も絶妙なタイミングで緩急をつけて動き、魂は短調の曲と北京君に入っていった。

曲の音が完全に静まった時、現実の世界に戻って来るタイミングまで、同じだった。
私達の表情は微笑みへと戻り、まずはハグを交わした。
「君とのタンダ、気持ち良かった。また必ず、踊りたいよ」
「私も、感動したよ」
「感動……その通りだね!君、アフターミロンガは行く?」
「うん。あなたも?」
「行くよ。また後で、踊ろうね」

グラン・ミロンガが終わり、地元のタンゴ仲間さん達とワイワイ盛り上がりながらエレベーターを降りた時も、何気なく顔を上げた所には北京君がいて、満面の笑みで手を振ってくれた。
中国のオアシスとなって行くことは、間違いないだろう。
彼のように分かりやすく感動や気持ちを伝えてくれて、その上踊りも上手で、言葉を交わしていなくても互いの気持ちが通じる人は、最高だと思う!

対して、練習中に何も質問や会話を交わして来ない人は、技術向上に夢中なのか、目の前のフォロワーと踊ろうと思っていないのだと思っていた。
当たり前だが、踊ろうと思われていない人に対してはこちらも興味が出ないから、ミロンガでも特に視界に入って来ない。

しかし、レッスン編の所で書いたような意外な出来事が、この中国の参加者達とはあったのだ。

北京グループには、レッスン編で書いた北京さんや上記の北京君以外にも、センター試験の前日のような切羽詰まった表情で、毎回先生に質問をしている人がいた。
その人は「周りは炎がついているのでは?」と思う程の気合いで技を取得していたから、ここで炎君と呼ばせて頂こう。
練習で炎君と一緒になったら、私も丸焦げにされるかのごとく、真顔で挨拶した後は無言で練習!練習!練習!と動きを止めない。
「勉強でいうガリ勉?熱意すごすぎ!!」
と気合いに脱帽しながらも、恐ろしさすら覚えていた。

しかし3日目のレッスンの練習でも一緒になった時、炎君は「Hi!」と初めて笑いかけて来て、手も振って来た。
動きは気合いが勝ちすぎて強かったし、笑顔も少しぎこちなかったが……(笑)。
それでも仲間意識が出来ていることが嬉しく、私も同じように手を振りながら笑顔を返した。
練習中は相変わらず無言で動きっぱなしだったものの、最後に、
「出来たね!」
ととても嬉しそうな表情をして来た。笑顔で頷き、そして心の中でこう続けた。
「笑ったら可愛いじゃん!(笑)」

3日目の土曜ミロンガは、私にとって桜タンゴの最後のミロンガだった。
本当に残念なことに、日曜日の夕方がフライトだったから。

上記の通り、アフターミロンガは感情に任せて踊り狂っていた。
自由奔放に踊り明かし、そのタンダのリーダーさんにテーブル席まで送ってもらうと、
「君は明日のミロンガも、参加する?」
と急に質問された。
声の主の方を向くと、それは炎君だった。

「ううん、明日は夕方のフライトだから、今日が最後のミロンガなの」
「本当?残念。この後は、最後までこのミロンガにいるの?」
「多分、残るはず」
「……今は踊れる?まだフリー?」
「うん!特に誘われてないよ」
「踊ろうか?」
「うん」

炎君はこれまで見たことのない、とても無邪気で可愛い、弾ける笑顔を見せた。
「Yeah(やった)! 本当は初日のレッスンからずっと君と踊りたかったけれど、君は人気者すぎて。全く気付かれないままだったけど、ついに踊れるね!」
豹変ぶりにびっくりしながら、私は言った。
「気付いてなくて、ごめん!でもあなた、レッスンの時も何も話して来ないし、私と踊りたくないのかと思ってた」
「実際は、全て反対だよ。やっと君と踊れて、僕は嬉しい! 」

初日のレッスンから、こちらは実の所圧倒され怖がっていたのに、炎君はそんな風に思ってくれていたことは嬉しい驚きだった。
世界一位を獲ったタンゲーラと踊るかのごとく、炎君は嬉しそうにアブラッソを組んでくる。
だから私も、温かい気持ちでそのアブラッソをフォローした。
ミロンガでの彼の踊りは、完全な技巧派だった。きっと彼は、相当すごい頭脳を持っているのだろう。
3日分全てのレッスンの習ったことが次から次へと自然に出て来て、しかも日本で受けたことがないようなリードもいっぱいかけてくれた。
レッスンの時と違って炎君がタンゴを楽しんでいることが分かったからか、私も初めて、彼とのタンゴを楽しめた。とても。

タンダが終わった時、炎君のテンションは更に上がっているようだった。コルティーナの音楽がかかるなり、
「え、もう終わったの?早すぎる!夢のようだったよ」
と残念そうな表情を見せる。
こんなに表情豊かで、こんなセリフを言うタイプの人だとは思っていなかったから、感狂ってしまいそうだった。
「私も、楽しかったよ!谢谢(ありがとう)」
「!中国語上手だね。僕は、君とのタンゴ忘れないよ。アリガトゴザイマシタ」

1タンダを踊ってあんなに喜んでもらえるなんて、私はいつからか世界王者になったのかと錯覚してしまいそうになるが(笑)、一般人で別に光る所もないはずの私のタンゴで、あそこまで喜んでもらえたことが嬉しかった。

政治では大胆かつ積極的な動きをしている印象の中国だが、タンゴでは欧米、他のアジアの皆様のように自信に満ちた目立った誘い方は苦手な人も多そうだったし、日本人以上にシャイな人もいるのかもしれない。
でも、実はずっと踊りたいと思い待っていて、はにかみながらそれを打ち明けてくれ、そして踊れたらこんなに喜んでくれた中国ー今回は特に、北京の皆様。フェスティバルが終わる頃には、圧倒されるのではなく、優しく温かい印象を彼らに持つようになった。

パレハ(ペア)の相手や地元の仲間と踊る頻度は?

ペア(パレハ)の相手や地元の仲間さんもフェスティバルのミロンガに参加している場合、どれ位の頻度で踊っているのかーそれは、人それぞれだった。

私のパレハであり恩人のLucius様は、普段のミロンガでは半分位は私と踊って下さっているから、パレハがいる場合は、半分位相手と踊る人も多いのかもしれない。

だからもし、
「フェスティバルでは、いつもと違う人のフォローをたくさん受けることでもパワーアップしたい」
と思う場合、先にお相手にその希望を伝えておくとトラブルは少ないのでは、と思う。
例えば自分の目標をきちんと伝えた上で、「1日2タンダ、もしくは毎ミロンガ2タンダは踊ろう」など、おおよその頻度を決めるのだ。

Lucius様は本当に器の大きい素晴らしいダンサーだから、私の気持ちもよく理解して下さった。
こうして私達は数タンダは集中して思い出に残るタンゴを共にし、それ以外は日本全国、そして世界各国のダンサー達とも踊り込め、互いに良い思い出が作れた。
世界中の素敵なフォロワーダンサー達にLucius様の魅力を知られることで、ダンスがとにかくお上手で人格も素晴らしいLucius様が日本、そして世界のLucius様へと昇華されていたら嬉しい!

地元の仲間と踊る頻度は二手に分かれた。
安心して踊れる人とどこでも踊ることを好む場合は、福岡でも、かなりたくさんのタンダを地元の方と安心して楽しく踊っているようだった。
反対に「地元の人は地元で踊れるから」と、ミロンガが始まると決して地元仲間とは目を合わさず、別の地域の人のみを誘ったり、誘いをお受けしている人もいた。
このように考え方が見事分かれるのが、面白い所だ!

私は、後者よりだと思う。
でも普段仲良くしている人とミロンガ中、目も合わさず全く踊られないのも、それはそれで残念だと思った。
そういう中間層(?!)は、1日や1ミロンガに1タンダ位は、地元の仲間とも踊っているようだった。
私もこのタイプで、誘って来てくれた地元仲間さんの誘いは喜んでのり、恐らくその日、もしくはフェスティバルで最初で最後のタンダを、大切な仲間さん達と心を込めて踊った。
イベントの間、ご近所のように暮らし、共に九州グルメを楽しみ、ひっきりなしにレッスンを受けているからか、フェスティバル中は互いが数ランク上達して踊れているように感じて、私と仲間さん達は、互いを称え合った。

「忘れたくないですね。このレベルアップと、このモチベ」
「分かる。戻ったら、復習だな。ますます楽しく踊れるようになって来たよ」

桜タンゴフェスティバルから帰った後も、地元でShinj&Natsuneファミリーの皆さん、そして恩人Lucius様と余韻に浸り、当時を思い出しながら先生達の復習ができる私は、本当に恵まれていると思う。
あの頃のような状況とは一変した環境にいる今でも、彼ら全員に感謝して、少しずつでも前進していきたい。

エピローグ

あのミロンガの数々のタンダ、そしてエピソードのおかげで、私は以前よりも更にタンゴ、そしてタンゴの周りにある楽しさや不思議な奥深さに触れられた気がした。
作家を目指していた時期もあるのに、悲しいほど適した言葉が今出て来ないのは、きっと今この時、私が本来いたはずの環境に身を置けていないことも関係しているだろう。

このように言葉での表現は今、悲しいほどに出て来ないが。

魂は、当時を覚えている。
身体も、当時を覚えている。
だからタンゴの音楽が流れ、OOOO時、私はOOOOと確信している。このOOOOはいずれ、ダンス小説で明かして行きたい。

桜タンゴフェスティバルに参加した人達は恐らく全員が、あの桜のようにはかなく美しい一期一会を楽しみ、それぞれの唯一無二の思い出を、魂に刻み込んだことだろう。

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