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【ミロンガ(パーティー)前編】桜タンゴフェスティバル

日本で一番大きいタンゴフェスティバルの一つとして有名な、「桜タンゴフェスティバル」。
これまで、2記事をアップしてみた

●フェスティバルへの参加の経緯や九州グルメ、Shinji&Natsune先生、恩人ルシウス様や地元の仲間の皆様との思い出を書いた生活編

● フェスティバルの核の一つになっているレッスン編

最後は、フェスティバルのもう一つの核になっている、ミロンガ(パーティー)について触れたいと思う。前編では、桜タンゴフェスティバルにおけるミロンガの魅力やエピソード、そして気になる誘い方についてなどを思い出してみる。

世界・全国各地の高レベルダンサーと踊れる喜び

ミロンガ(パーティー)では、レッスンなどには全く出ず、踊り明かすためだけに福岡に来ている、世界中のスーパーダンサーがいるのも嬉しい所だ!
ダンサーは、地元では先生をしているような上級レベルのダンサーだったりする。
だからだろうか。
土、日は特に人口密度が高く踊りにくい状態になるのに、自身のタンゴレベルはどんどん上がったように思う。

北米、ヨーロッパ、アジア、そして日本全国のダンサー達の感動的なリードのおかげで、これまで嫌いだった「狭い場所で踊る」ことに、嫌悪感がなくなった。

「こんなにちまちま踊ってたら、欲求不満になるし……」
とこれまで思うこともあった、狭い場所でのタンゴ。
しかし、このフェスティバル中のミロンガでスーパーダンサー達と踊っていると、狭い場所でも危険なくかっこいい技を次々と繰り出して下さり、それをフォローすることが出来た。
例えばヒーローの連続なども周りのダンサーとぶつかることもなく、気付けばエレガントにできてしまっていた。

そして、世界や全国からのスーパーダンサー達は、高難度の技はもちろん、音遊びや間の取り方などでも、私をハッとさせてくれたり、かかっている音楽の世界へと、どっぷり私を誘導してくれた。芸術的にテクニック的もスーパーレベルのダンサーと踊れたことで、私の魂は何度も喜びの声を上げた。

レッスンなどで出来た蕾の花が、ミロンガで花開く

このように、ミロンガのみ参加しているスーパーダンサー達との経験も貴重で最高に嬉しかったが、同じ位嬉しかったのが、レッスンで意気投合した仲間達とミロンガで踊り、レッスンで取得したことを互いが自然に出来た時だった。

初日のミロンガから次々と誘って下さるリーダーさん達と踊っていると、レッスンから気持ちを通じて踊れた中米君も近くにいることに気付いた。私達は小さく手を振り、微笑みあった。
そのタンダが終わると、私はそこへと引き寄せられていた。少し話をしたら、英語があまり話せない中米君とは、すぐに謎めいたコミカルな会話になった(それはそれで、コメディーのようで面白いのだけれど)。ただ、
「shall we dance?」
のニュアンスだけはしっかり理解でき、私は唯一知っているスペイン語で答えた。
「Si(はい)」
こうして私達は、アブラッソを組んだ。

一曲目にかかった曲は、大好きなバージョン-Lidia Bordaでの『Vida mia』!
中米君の技、ダイナミクスさが素晴らしかったのもあり、本当に気持ちよく、感情を入れて踊れた。
終活動画を撮りたかったと思う程、あのVida Mia は「忘れられないダンス」の1つになった。

自然と、あるレッスンで習ったパウサ(音楽に合わせて、動きを止める)やミュージカリティーを、互いが実現していた。レッスンの時に感じた魔法は、偶然ではなかった。

そして、なんとそのレッスンを担当下さっていたJulian先生も、その後私と踊ってくれたのだ!レッスンで教えてくれたことを、見事にミロンガで体現するかのごとく、先生は私の身体を溶かすように、甘くゆったり動かし、そしてパウサ(停止)した。Julian先生のタンゴが、この感動的なダンスでますます大好きになってしまった!

そしてこの『Vida Mia』を踊った中米君は、毎ミロンガで私を見つけて誘ってくれたので、連日彼と数タンダを踊れてラッキーだった。
あるミロンガのタンダの4曲は、とてもベーシックな曲だった。私はドラマティックな曲を彼と踊りたかったから少し残念だったけれど、それでもとても踊りやすい床、響き渡る音楽を感じながら、彼は早速その日に習った「スパイラルシークエンス」などを自然に踊りの中に入れて来て、私はそれをフォロー出来た。お互い成功した時は、より笑顔が弾けた。この仲間と踊っている時は、足遊びもとても楽しくできた。
16分音符が愉快に空間から聴こえた時は、なぜか16分音符を足で自然に刻めるようになっていた。
こんなこと今までやったこともなかったし、フェスティバル前の半年は、タンゴはほとんど休み気味だったのに、である!

花が開く時は、蕾から開く時、一時期までは時間がかかるのに、開き出してから満開になるのは早かったりする。
レッスンで習ったことだけでなく、16分音符を足で刻むことにおいても、私はこの桜タンゴで一気に開花できたのかもしれない(もちろん、先生達に確かめてもらわないといけないけれど)。

誘い方はカベセオ?世界の参加者は?

アルゼンチンタンゴは独特のダンスで、リーダーが視線で
「踊って下さい」
と誘い、フォロワーが視線で
「お受けします、私も踊りたいです」
とお受けする、「カベセオ」という方法がスマートだと言われている。

日本ではこの「カベセオ」が結構定着しつつあり、去年行ったスペイン・バルセロナでの2つのミロンガでも、カベセオ(視線)で誘って来るリーダーさんが半分位いた。
さて、桜タンゴフェスティバルの場合はどうだったか。

結果から言うと、世界・全国から人が集まっているだけあり、カベセオ以外にも、口頭、手を振り合った勢いでこちらへやって来る、近くに来て手を差し出される、など実に様々なタイプの誘い方があった。

タンダ(3〜4曲のまとまり)から席やテーブルに戻ってくるなり、色々な人から
「次、踊って下さい!」
「踊りましょう!」
と情熱的に口頭で誘われることも多かった。

同時に数人から口頭で誘われた場合は、平等に先着順にさせて頂いた。
その場合は、2番目、3番目の方は
「じゃあ、僕は次のタンダ予約させて下さい!」
「それなら、僕はその次でお願いします!」
などと別の方々は予約をされ、このように予約をするという方法もあるようだった。

他のお上手な女性達のように、集中してアルゼンチンタンゴを探求出来ている訳でもなかっただけに、こんな適当な私がまるで有名ダンサーのごとく次々と誘われたのには、驚いた。
細々でも5年位はこのダンスを続けている底力が、少しは発揮出来たのだろうか(笑)。

また、手を振り合ったことがカベセオの代わりになった場合も、あった。

コルティーナ(短い休憩のようなもの。組んでいたペアが解散する時間)の曲が流れ、踊っていたリーダーさんと笑顔でお礼を言い合っていると、ふと何かを感じ後ろを振り返った。すると、レッスンの時からよく練習に誘われていた北京君が、笑顔でこちらを見ている。
私も思わず笑顔になると、彼は手を振り、私も手を振りかえす。
それが互いのカベセオになり、彼は私の席のすぐ側に来てくれ、手を差し出した。

もし「カベセオ」が主流なら、上記の誘い方もナンセンスなのかもしれない。

でも私は、カベセオ(視線の投げかけ)で誘うことが大変で「タンゴを始めること、続けること」のハードルを上げてしまう位なら、手を振り合ったりすることでカベセオの代わりになり、それで踊り始めるのもいいのでは、と思う。

もちろん、カベセオもエレガントだと思う。でも、それをしていない人だって多かった。

フェスティバルだったということも、あるのかもしれない。
あれだけ人が多いと、誰かのカベセオを待つ、感じる暇などほぼなかった。
席の近くに戻ったら、即、別のリーダー様達がフォロワーを待ち構えておられることも多く、カベセオは私の周りではあまり存在しなかった。
それなら、他ダンスのように口頭で分かりやすく踊りに誘う「口セオ」、もしくはそれが定番すぎると思われるなら、手を振り合う「手セオ」も十分キュートで良いのでは、と個人的には思った。

嬉しい再会

この大型フェスティバル「桜タンゴフェスティバル」では世界・全国各地の方と出会える訳だが、その中には嬉しい再会も存在した。

私がアルゼンチンタンゴを始めたのは、今住んでいる場所ではなく、主婦時代を過ごした別の都市だった。

大学を卒業したてで主婦になり、当時はキャピキャピした、どうしようもなく軽い奥さんでしかなかったと思う。
レッスンも全く受けていない状態で
「アルゼンチンタンゴ、習ってる子いたよね。なんかイベント見つけたし、これ行ってみよっか♪」
と、学生時代、クラブのパーティーにノリで行っていた感覚でいきなりタンゴのミロンガ(パーティー)に友人と繰り出し、タンゴデビューを飾った。

こんなタンゴマナーのマの字も知らない困ったフォロワーにお説教もせず、皆さん笑顔で踊って下さったり基礎技を教えて下さった。
そんなデビュー都市の、優しいリーダーさん達……全員がもちろん、私の恩人である!
その上、私の仕事や元夫の仕事まで応援下さるという神対応の皆さんとは温かい絆を深めていたが、コロナやその他諸々の環境の変化を機に会えなくなっていた。

それから数年の月日が経ち、ここ福岡のミロンガで踊っていると、私は誘われたリーダーさんから曲間で言われた。
「君、昔OOにいたよね?タンツちゃんじゃない?」
私はアブラッソで全然見れていなかったリーダーさんの顔を見た。
「え……?嘘!OOさん!」
「そうだよ!忘れないでよ(笑)」
「キャァァ!!」
このような嬉しい再会が、何度も福岡のミロンガ中に起こったのだった。

「全然来なくなったから、心配してたんだよ。元気で良かった!こっちのテーブルにも、おいでよ!みんな、喜ぶよ!」
大好きだった都市の旧友(というか恩人さん)達は、他の仲間がいるテーブルに私を招いてくれた。

「タンツちゃんじゃん!元気だったんだね!次、僕と踊ろう♪」
「この子、びっくりするほど上手くなってたよ!今の場所で、ずっと頑張ってたの?」
「さすがにコロナの時はやめかけたんですけど、サポートして下さる素晴らしいい恩人さんのお陰で続けられて、今も細々だけど続いてます」

踊り終わった時は、旧友さん達から目を細められ、たくさん温かい言葉をもらった。
「僕達がヒーローを教えたあのタンツちゃんが、こんなに踊れるようになってるなんて……!嬉しいよ」
「すっかり“踊れる人“だね。続けてくれて、ありがとう」
「時々でもいいから、ずっと続けてよ。こうやって、ここで会えるんだからさ」

あの時の皆さんの温かいアドバイスや踊りがあってこそ、私はあの場所でタンゴを続け、今の場所でのタンゴに繋げられた。全てはあの時から、今の私に繋がってる。
心が、温かく懐かしい気持ちで満たされた。

旧友かつ恩人さん達は、連日懐かしさを胸に情熱的に誘い、踊って下さった。
過去、現在、そして未来を感じさせるアルゼンチンタンゴもまた、とても温かい思い出として私の心に刻まれたのだった。
こんな嬉しい再会ができるのも、桜タンゴフェスティバル・ミロンガの魅力の一つだと、しみじみと思う。

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