小論文を書こう

小論文を書こうかと思いました!

何故なら小論文を書くことが文章力の向上に繋がるそうだからです!

「国語のことを苦手だとか、色々否定しといて、結局文章書くんかい!」と思われるでしょうが、厳密に言うとそれは違います。

t9nが国語の授業において、「ちょっと違うな?」と違和感を得たのは「国語の教育法」や「作者の心情」「ポエム」などです。

「国語教育(論理的な文章の理解)」について否定したわけではございません。

昨今は文章が読めない人が増えているそうです。

確かに「難しい小説の登場人物の心情を汲みとれ」、とまではいかなくても、せめて論理的な文章構造くらいは理解しても良いんじゃないかなと思います。

t9n自身がそうならないためには文章力を向上する必要があると感じ、そのためには自分で小論文を書くのがベストだと考えました。

何故書くのがベストなのか?

実は理論を覚えるより実践してみた方が習得が早いのです。

筋トレに例えましょう。

筋トレはいくらデスクで理論を覚えても、実践してみないと「筋肉の痛み」が理解できないかと思います。

ていうかそもそも筋トレを実践しないと筋肉はつかないのです。

理論を覚えても筋肉を増やすという意味はないに等しいのです。

それが国語にも当てはまるそうです。インプットより、アウトプットが大事なのです。

そこで小論文を書こうと思い立ったわけです。

小論文を書くに至って、テーマに添った問題提起をして、自分の考え方を明確にして意見を書かないと良い文章にはならないそうです。(実際にそうなのかはまだわかりませんが、この考えに則ってとりあえず書いてみたいと思います。)

だから前もって言っておきますが、特別どちらかの立場に肩入れして文章を起こすけど、それは文章を良く書くための建前としてです。

本音は割とどうでも良いと思っているかもです。笑

どちらかに肩入れして文章を書くとなると、反論がきそうなものですが、それは許容していきたいと思います。

何故なら提唱する理論は反論があると弱点が浮き彫りになり、それを補って文章を書くとより良い文章になる気がするからです。

「考え方や理論の穴を指摘しても、人格や魂そのものまで否定しない」というルールでやっていけたら幸いです。

要するに「お菓子を食べるのは好きじゃない、けど、”お菓子を食べている全ての人が嫌い”というわけじゃないよ?」ということです。

「お菓子食ってるから嫌われるんだよ!」と言ってしまったらそれは論理を踏み外した単なる悪口です…笑

どうしてもそれを言いたいなら「お菓子を食う」から「嫌われる」までの論理の道筋を示さなければいけません。

出来れば客観的数値を交えて論理を展開していけたら良いなぁと思います。

だけど客観的数値だけが正義となると新しいものは生まれにくいので、なるべく想像力を働かせた「きっとこうじゃないか?」理論も大好きです!

そういう穴がある理論は反論が来そうですが、論理の応酬となるのもディベートの魅力ですね!

ボクシングが拳の応酬が多いと面白いように。

つづく。

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