社会学って何ですか? 第2回 『社会学史』② ―「社会学」黎明期

◆社会学黎明期の思想家

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 前回は社会学の誕生以前、社会契約説の提唱までについてまとめた。今回はその続きとして、近代、フランス革命以降の社会学の誕生・形成までを見ていく。
 まず押さえておきたいのは、社会学の誕生に当たっては、17世紀から18世紀にかけての啓蒙主義(科学革命)において、中世の大学で学ばれていた四つの学問、即ち神学・法学・医学・哲学のうちの哲学が、真理に到達するためのアプローチの違いから、科学(経験重視)と人文学(直観重視)に分離したことだ。
 また、フランス革命の影響も大きい。フランス革命は、変化はポジティブであること、主権はこれまで周辺化されていた人民にあること、の2つの示唆を生んだ。ここで、新たな学問分野である社会科学は、こうした変化そのもの、あるいはそこでの意思決定のプロセスを理解するという使命を託された。
 以下、各思想家のまとめ。

◆コント

オーギュスト・コント(1798-1857)
キーワード:社会学、実証主義、三状態の法則
著作:『実証哲学講義』(1830-42)、「社会再組織に必要な科学的作業のプラン」(「プラン」論文)(1822)
ポイント:
・コントは、『実証哲学講義』において初めて社会学という用語を発明した。
・近代化に関して、師のサン=シモンは産業化と同一視する「産業主義」を唱えたのに対し、コントはよりメタなレベルでの世界観の変化、科学革命を重視する「実証主義」を唱えた。
・「プラン」論文では、「三状態の法則」を導入し、「神学的段階」(宗教)→「形而上学的段階」(理性)→「実証的段階」(科学)と、精神の段階的発達を法則性をもって捉えた。

◆スペンサー

ハーバード・スペンサー(1820-1903)
キーワード:社会進化論、産業型社会、個人主義
著作:『社会静学』(1851)、『総合哲学体系』(1860)
ポイント:
・スペンサーはダーウィンの生物進化論を応用し「社会進化論」を唱えたが、これは市場やこっかの適応競争という当時の現実に即していた。
・スペンサーは文明化の段階を「軍事型社会」→「産業型社会」とした。コントやルイス・ヘンリー・モルガンの『古代社会』(1877 マルクスの思想に影響。)でも、同様の図式が読み取れる。
・スペンサーはコント的な社会主義を否定して個人主義に強くコミットし、『総合哲学体系』においては他者危害原則(「第一原理」)による功利主義的な最適化を想定した。

◆マルクス

カール・マルクス(1818-1883)
キーワード:
生産様式、上部構造と下部構造、使用価値と交換価値、疎外論→物象化論、等価形態→一般的等価形態=貨幣形態、剰余価値、階級(class)
著作:
『ドイツ・イデオロギー』(1845-46に執筆、マルクス・エンゲルスの死後に出版。)
『経済学批判』(1859)
『共産党宣言』(1848)
『資本論』(第一巻は1867年、第二巻は1885年、第三巻は1894年に出版。ただし、第二・三巻はパトロンのフリードリッヒ・エンゲルスが編集。)
ポイント:
・『ドイツ・イデオロギー』でマルクスは、人間は自らの生活手段を生産する「生産様式」を持ち、人間同士が「交通」、つまり相互に関係し合いながら活動する、とした。
・『経済学批判』では、人間の物質的な側面と精神的な側面の関係を「下部構造」と「上部構造」として定めた。「下部構造」とは、生産力と生産関係(分業や階級など)を組み合わせた生産様式から、「上部構造」とは政治的・法律的上部構造とイデオロギー的上部構造の二者から成る。
(※イデオロギー=イデア+ロゴス マルクスの造語)
・『資本論』は、商品分析に始まる。商品交換において、「使用価値」(個々の商品の現実の有用性)は、等価関係に置き換えるため「交換価値」に還元される。資本主義社会においては、全ての物は社会の富の一部であり。商品となり、交換価値に還元可能になる。
・マルクスの思想は、疎外論から物象化論へシフトしたという説が在る。
疎外論では、神は人間が「類的本質」(ドイツ観念論の用語、「~たるゆえんのもの」)を自己の外部へと映したに過ぎないものとするが、神とみなす実体を自己の内部に認める点で神を完全には解体しない。
そこで、物象化論では、人間と神(に相当する実体)との間に、「協働連関」(生産労働における人間の関わり)という関係性を挟み、神とはこの関係性が客体として現れた一種の錯覚である、と捉えた。
・マルクスの貨幣形態論は、
①「単純な価値形態」…「相対的価値形態」=「等価形態」
②「単純な価値形態」を拡張(=等価形態'=等価形態''…)し、「拡大された価値形態」を打ち立てる
③「拡大された価値形態」右辺と左辺を入れ替えて、"かつ"で結ぶ
→→「一般的等価形態」≒「貨幣形態」の成立
というロジックから成立する。
 単純な価値形態の式では、左辺と右辺は非対称だ。相対的価値形態は、等価形態を持つものと交換できて初めて価値を承認される、関係性に依るものだ。このとき、等価形態を持つものの類的本質が、貨幣によって表される。
 上記の図式において、商品は貨幣とは商品同士の関係性を映した錯覚にすぎないと意識では理解するが、商品の行動は貨幣を普遍性を持つ神のように、無意識に信仰・特権視する。

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・マルクスは、前近代的主体→守銭奴→資本家、という段階を用いて資本家への理解を試みた。前近代的主体は、貨幣を具体的な使用価値への欲望を満たすために用いる。一方、守銭奴は、どんな具体的な使用価値への欲望も拒絶し、貨幣という、何らの使用価値も持たないものをただ蓄積する。だが、資本家は、貨幣の使用価値の無さを、あらゆる使用価値に転換可能な形式としてポジティブに理解する。
(※「剰余価値」は一般的には労働価値説から説明されるが、大澤先生は内容に対する形式の+αの価値として論じた。)
・階級(class)とは、マルクスの造語であり、ブルジョワジ/プロレタリアートという図式で表される。

◆「社会学」黎明期の流れ

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 次に、社会学の黎明期、およびコント、スペンサー、マルクスの理論の流れを自分なりに解釈してみる。大澤先生も本文中で述べていた通り、この時代の思想家にとってフランス革命、またそれに先立つ啓蒙主義・科学革命は前例のない驚きであり、それを意識し、解明せずにはいられない対象であっただろう。
 まず、コント・スペンサーに先に触れておくと、実証主義産業型社会という用語は、彼らが社会の変化をはっきりと見つめていたこと、さらに変化を歴史、時間軸で捉えようとしていたことを明らかにしている。
 では、科学革命から得たものとは何かといえば、例えば大澤先生が本文中で挙げていた物質世界を質量と速度によって表現するといった、個別的・具体的な物事を抽象化して思考するスキルや世界観だったのではないだろうか。当然、当時の学者・思想家であれば、それを大学という機関を通して学んでいたはずだ。マルクスも間違いなくその一人だろう。
 その抽象化のスキルを用いて、マルクスは現実の資本主義社会を分析した。その結果、精神的なイデオロギーと物質的な生産の間には実は密接な関係があること、あるいは貨幣の価値は実は人々の行動、行動が表す関係が規定している幻想にすぎないこと、を洞察した。これは、カントの、人間の認識の普遍的妥当性を示した「超越論的主観」を社会学に応用したことに近い、そう大澤先生も仰っていた。
 大澤先生も考察なさっているが、マルクス、あるいは『資本論』は、ただ資本主義社会の構造を分析したのみではない。むしろ、資本主義や市場の構造が象徴する人々の関係性、またそれがこれまで誤って認識していた「絶対的な存在」を解体し、それがいかに相対的なものかを論じたことにこそ、意義がある。物象化論のロジックだ。神も、王も、いるように見えるだけで、しかも人々は彼らの不在を本当は知っている。
 関係性、を重視する視点は、これ以降の社会学が「コミュニケーション」を中心に論じられている点につながっていくので、押さえておきたい。
 ただ、注意すべきは、マルクスの理論がまだ広く受容されていたわけではないことだ。人々もまた変化の途中であり、マルクスの洞察によって示されたことの意味合いに気づくには、まだ時期尚早だったということか。あるいは彼の社会主義に関する主張が資本主義世界の人々には受け入れ難いものであったためか。この周辺は今後の調査課題だ。また、マルクスの思想はより拡がりのあるもので、史的唯物史観など、しばしば目にするキーワードにも触れられていない。多角的な視点から考察すれば、一層このまとめから得るものも深まっていくだろう。

次回は19世紀から20世紀にかけての社会学を扱う。マルクスが長かった…

参考文献:
大澤真幸 (2019) 『社会学史』 講談社




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