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今までの人生89(私のうつ病と伯母の認知症21)

そして私が実家訪問している間の雪の降る日
また困難が訪れる・・・

伯母のさすってさすって状態が以前よりも続き
従姉がもう限界だった。

電話で呼ばれ母はあまりいい顔をしなかったが
様子が気になるから行ってくる。
なるべく早く戻るね。
と言って伯母宅に向かった。

玄関は開いていた。
お邪魔します。
と部屋に入ると
半泣き状態で従姉は伯母の腰をさすっていた。

私   「またなの?」
従姉「夕方風呂に入った後はいつもこうなる。」
私    「お姉ちゃん仕事に行けてるの?」
従姉「ほぼ寝ないでウトウト状態で行ってるよ。」
私    「認知症で痛いことだけ覚えてて
           痛いと言えばお姉ちゃんがさすってくれる
           と言うことに甘えてるのかな?」
従姉「もう分からない・・・
           仕事に行ってる間は活動してるのか
           してないのかも分からないけど
           横になってても食べられるようにパンや
           おにぎり作っておいてもあまり食べて無い
           みたいなんだよね。」
私     「ダメ元で病院連れてこ?
            そして従姉のお姉ちゃんにも
            この状況ちゃんと伝えよう?
            1人で頑張りすぎだよ・・・」
従姉「うん・・・」

なるべく早く戻ると母に行った手前
一旦実家に戻り状況を説明した。

母も伯母と従姉の様子を見たいと
もう一度今度は母と2人で伯母宅へ向かった。

母が伯母に声をかけると

「あらいつ来たの?こんな格好でごめんね。」

起き上がろうとする伯母はやはり最初の頃のように
腰をとても痛がっているように見えた。

母も従姉に、病院連れていきなさい。
と、言って
救急車を呼ぶか
タクシーで行くか従姉に尋ねた。

救急車は近所が騒ぐから嫌だと言い
従姉がタクシーを呼んでいる間
母と私は出かける準備をするため
一旦実家へ戻り
私はその間も病院に電話をかけ伯母の様子を伝え
これから向かうことの了承を得た。

もう本当にみんな限界だ・・・
母も高血圧なため調子が悪い。
私はうつ病。
従姉が1番大変だっただろう・・・

腰が痛くて伯母がタクシーに乗ってる間は
体を斜めにして痛い方を浮かしていた。
本当に痛い体制があるんだろうと感じた。

病院につき歩行器を使って歩かせたが
痛がるので処置室のベッドに寝かせて貰えた。
その時の体の向きは痛くなかったのか

「ここどこ?また病院?どこも痛くないのに。」

と言ったと思ったら

「痛い痛い痛い何とかしてさすってさすって。」

こんな状態だ。
認知症は本当に大変だ・・・

3回目の入院・・・
今回は入院になるだろうと思い従姉は入院セットを
持参していた。

あとは入院手続きをし
看護師に任せて帰るだけだ。

伯母が入院して検査をした結果の連絡が
従姉から、自宅に帰宅している私に来た。
前回とは違う箇所がヘルニアになっているとの事。

今回はきちんとリハビリもし
自立して歩けるようになってから
退院する予定が組まれ
その間に従姉とその姉と姉妹2人で
話し合うことにしたようだ。


今日はここまで


最近精神が疲れているのが
自分でわかる。
寒さと悩み・・・
春になるまでに何とか乗り越えよう。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。