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今までの人生42(父の通夜)

最高に悲しい
最高のプレゼント

父の命と引き換え
私は地下鉄に乗って実家まで行き
父の通夜・葬儀に参列できた。

家族葬だったので母方の姉弟と姉弟家族、
私のいとこのみ。

従姉の胸を借り散々泣いた私は
父に会いに行った。

通夜の部屋へ行き
母と二人で父の棺桶を覗く。

散々泣いたのでもう涙は出ないと思っていたが、

変わり果てた父の姿。
眠っているような父の顔。
ふくよかだった父はガリガリに痩せ


私が想像していた以上の姿だった。

崩れ落ちた私の背中を、
母は優しくさすってくれた。

しくしく泣き始めた私は通夜が始まっても
号泣に変わり涙が止まらなかた。

そんな中でも通夜は粛々と進み
通夜の部屋をいったん退散。
待機室に戻り、食事の準備がはじめられた。

母や長男は親族に挨拶のおしゃくに回り
私は自分の席でまだ泣いていた。

昨日から何も食べていないのに
泣きすぎて食欲もなかった。

そんな中でも姪っ子Tは自分のいとこ等と
ワイワイはしゃぎその姿も、私には嬉しくも
羨ましく私にも子供がいたはずなのに

情けなく、悔しく、虚しく、悲しい気持ち
いっぱいだった。

そこに一番かわいがってくれて本州にお嫁に
行っていた従姉がやって来て
「おじちゃんが、せっかく○○(私)に
 地下鉄に乗れる勇気をくれたのに、〇〇(私)が
 ずっと泣いてたらおじちゃんも心配で天国に
 行けなくなっちゃうよ?少しでも食べよう?
 そしていっぱい話そう。」

と、声をかけてくれた。

私は出ない声で、ウンウンとうなずき
箸に手をのばし少しずつ食事を始めた。
姪っ子Tもたまにやって来ては、照れたように
〇〇(私)ちゃん ニコっとして去って行っては
また戻ってきて声をかけてくれた。

次男は本州の地元で葬儀社で働いており
私に気も使っていたのだろう。
姪っ子Tにたまに私に声をかけるように
気を遣っていてくれていたのだと思う。

いつか涙は止まっており、食事も普通に食べる
ことが出来ていた。

次男が私のところへやって来て、姉ちゃんには
辛かった出来事だと思う(流産のことだろう)

でも姉ちゃんには遠いところにいても
甥っ子も姪っ子もいるんだからな。
(たぶん淋しくないだろう?
という気持ちで言ってくれたのだろう)

ウンウンとうなずき
「無事に元気に産まれて来てくれて良かったね。」
私の精一杯の言葉だった。

私にとっては自分で子供を産めなかったこと
一番のうつ病要因だったので辛い言葉でもあった。

夜も更け長男家族は会場に。
母のところには次男家族。
私は近所の伯母のところに
従姉と泊めてもらった。

伯母がお風呂に入っている間に
従姉が自分の長女の話をしてくれた。
その長女の話を聞いて私は驚いた。


今日はここまで


最近朝いったん時間通りに起きれても
布団から起き上がるほど目が覚めていない。
眠剤のせいなのか?
寒いからなのか?
深く眠れていないのか?
やると決めた朝活が時間通りにできていない事に
少し落ち込む。
でも止めない。
どんなに時間がずれても継続する。
復職のためにこれだけは諦めたくない。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。