見出し画像

今までの人生88(私のうつ病と伯母の認知症20)

「認知症って大変だね・・・」
とつぶやく母に
「本当にね・・・」
と応え

従姉と2人で伯母の退院のお迎えに行った。

ロビーで待っていると看護師の付き添いの元
伯母は手すりにつかまりながらだが
1人でニコニコこっちに向かって歩いてくる。

「どこ悪くて入院してたの?」

伯母はあっけらかんとしていた。
従姉は退院手続きと支払いを済ませ
タクシーに乗って帰宅した。

デイサービスは少しお休みをし
従姉は普段の生活に戻った。

私も帰宅しいつもの日々を送る。

父の命日がクリスマスなので
早めに年末の帰省をした。

伯母はデイサービスに行っていないからか
寝たり起きたりの好き勝手な生活を
送っていたようだ。

母の所に来ては昼頃に従姉が帰宅するから
ご飯支度に帰る。
という日々を一日おきくらいにしていたようだ。
母もだいぶ慣れてきたのか
同じ話を繰り返されると
昔話をすることにしたらしい。

アルツハイマー型認知症
昔のことは覚えている。
子供の頃の話をするとイキイキして
楽しく話した帰っていってたと
母はコツを掴んだようだ。

父の思い出話をするとまだウルっと
くることもあったが毎日遺影を見て
線香とご飯を供えてる母は
もうすっかり慣れた様子で手を合わせながら
いつもなにか話しかけている。

コロナで特別でかけることもない大晦日。
お正月をのんびり過ごし
実家滞在中に伯母と顔を合わす度

「○○(私)いつ来たの〜?」

「25日に来たよ〜!」

もう慣れっこなやり取りだ。
実家に滞在中、伯母が来ると数分おきに
このやり取りが始まる。

私は何回聞かれても何回も同じく返事を返す。
母はよく嫌にならないね!
と言うが、私はちっとも苦じゃなかった。

カレンダー通りのお正月休みも終わり
私は帰宅し
伯母はデイサービスが再開になった。

最初は文句を言っていたが
文句を言いながらもホワイトボードを見ては
ちゃんとデイサービスに通っていた。

これで穏やかな生活に戻れる。

と思っていたがそう甘くはなかった・・・

数週ほど通所して
デイサービスからお断りされたのだ。

理由は自立できる人が通所できるデイサービス
だったため。
伯母は痛がってはいなかったが
支えなくしてデイサービスでは
歩けなかったらしい。

これもまたなんとも難しい認知症
どうすればデイサービスに行かなくていいかの
知恵を自分でつけたのだ。

デイサービスに行かなくなった伯母は
案の定好き勝手な生活を送り・・・

また従姉に甘えるためなのか
本当に腰が痛いのか
さすってさすっての日々がやってくる。

そして私が実家訪問している間の雪の降る日
また困難が訪れる・・・


今日はここまで


天気予報は曇りだが
今の時間だけなのか晴れている。
東京湾での震度4の地震・・・
津波の心配は無いらしい。
地震が続かないことを祈るばかりだ。

30代後半でうつ病になり、 病気になった原因や、 51歳を機に第二の人生を歩もうと未来を望むことを決めた、 これからのことを綴っていきたいと思います。