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正義について:プラトン「国家」

今年(2021年)の2月から、プラトンの「国家」を読んでいる。プラトンといえば、紀元前4世紀ごろのギリシャ時代に生きた、言うまでもなく西洋哲学の祖の1人として今でも多くの人に知られる古の知の巨人だ。

先月、ようやく上巻を読み終えて今下巻を読んでいる途中だ。これまでプラトンを読んでなかったということ自体、大問題だが、こればかりはしかたがない。過去は取り返しがつかない。

もちろん、プラトンの思想がどんなものであったか、ということに関して私も人並みには知っているつもりだけれど、一昨年と去年で、カントの「純粋理性批判」と「実践理性批判」を読み、やはりプラトンくらいは読んでおかねばと強く思った。前にも書いたが、やはり原書(翻訳ではあるが)をあたって自分のなかで自分の言葉で消化することが大事だというのは常々思っているところである。

また、世界の様々な地域や国々を見回したときに、COVID-19 パンデミックや、様々な大きな問題・摩擦・紛争、などを見聞きするにつけ、まず、「国家」とは何か、「正義」とは何か、そして、そのなかで私たちはどう生きるべきか、ということを強く考えさせられる今日このごろだ。

だから、プラトンの対話編:「国家」あるいは「正義について」という副題のついたこの本は、ちょうど今の私の関心事全てがあたっているわけなのだ。

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洞窟の中に住む人の比喩は、皆、知っているところだろう。すなわち、私達人間は皆、洞窟の中に住んでいて、焚火を背にして壁にむかって首を固定されて生きている。私達が見聞きし、経験することは、すべて洞窟の壁に写る影であって、本質は背中にある。多くの人はそこに疑問を持たずに壁に写る影に反応して考え語り行動する。しかし哲学者(知を愛する人=真実を愛する人)は隠れた本質・真実について考え抜く。考え抜くとは、どうにかして首を洞窟の外に向け、さらには拘束を遁れて洞窟の外を見てくる、ということだ。

ということは、理想の国家というものがあったとして、そのような国家は誰が治めるべきかと考えたときに、それは、このような哲学者(知を愛する人=真実を愛する人)でなければならない、とプラトンは説く(*1)。なぜなら、実体に基づいて政治をせずに、影に基づいて政治をするならば、誤った政策を実施するにちがいないからだ。正しい政治ができるのは本質を考え抜き実体を見抜く人だけなのだろう。

しかし、ただ理想を説いて説教しているわけではない。

そのような理想的な国家は空想の産物であって実現できないものではないか、と問われるが、それに対して直接は答えていない。しかし、プラトンは説くのである。洞窟の外を見てきた人はその明るさに目が慣れて洞窟の中に戻ると壁の影はよく見えない。そして、壁の影のみを真実だと単純に信じているほとんどの人には洞窟の外の話は理解できないのが道理で、そんな哲学者・為政者がいたとしても、その人は抹殺されてしまうであろう。

そのうえでプラトンは、国家と政治のありえる形態と性質、そしてそれらの形態の間の変遷について現実の姿を論じる。王者支配制、名誉支配制、寡頭制、民主制、そして僭主独裁制、の5種類である。その中でそれらの制度の形成と変遷を生み出す力の源は人間の欲望にあるとして順々に説明されていく。つまりは、正義によるものではないわけだ。だから、その中で「正義」がどのように扱われ考えられるのか、あるいは、そのような国家の中で「正義」を論ずるとはどういうことなのか、という話になっている。

読んでいると読者は思うに違いない。これは本当に 約2400 年前に説かれたことなのだろうか、と。現代の世界を論じているのではないだろうか、と。寡頭制、民主制の説明を読んでいると、現代の日本・ヨーロッパそしてアメリカのことを書いてあるようにしか読めないだろう。

また、なぜ国家を論じているのか、というと、人が集まって作る国家というもっとも大きな単位がどうようにあるか、ということを論じることによって、人はどのようにあるか、ということを論じることができるとしている。いわば、国家を、構成する人間の鏡と考えるわけだ。これは私達が経験している今を考えたときに、とても納得のいく視点だと感じた。また、会社やコミュニティなど、私達が属する様々な組織も同様に考えることができる。歴史や社会、組織、といったものは、私達の外にある対象なのではなく、私達の内にあり、私達が生きている場なのだ。

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さて、今、ちょうど、上にあげた5つの政体についての議論が終わり、人間の幸福度を吟味する部分にさしかかったところだ。

「判定を受ける者は全部で5人いるー王者支配制的な人間、名誉支配制的な人間、寡頭制的な人間、民主制的な人間、そして僭主独裁制的な人間」
(国家・下巻)

この 5 月中には読み終えるつもりでいるが、メモを取ったり、読み直したり、眺め直したりなど、来月末まで楽しむ予定だ。


■注記

(*1) 本の中では、ソクラテスが説いているのだが、著者プラトンがソクラテスに説かせている、わけなので、プラトンが説いている、としている。以降の私の表現は、すべて同様の主旨の表現だ。

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