見出し画像

篠田英朗「戦争の地政学」

自分の政経歴史音痴・安全保障音痴を少しはなんとかして、せめて常識程度のことくらいは知っておこうと、2年前から少しづつ入門書を読んでいる。各地域の歴史を地政学の観点を交えて解説する本もあり、なるほど地政学というのは大事だと思ったし、現代の戦争や内戦・紛争を俯瞰して理解するには地政学は欠かせないのではないか、と思った。そのわりに学校で「地政学」を教えることはなく、その点は非常に不思議な感もあった。

そんなこともあって、去年の年末ごろ、人生の大先輩にこのへんの事情を聴いてみようと思った。すると水を向けただけで烈火のごとく怒りだしたのだった。

父曰く、

「地政学なんて学問でもなんでもない。あんなものをありがたがっているから世の中おかしくなるんだ」

そういうと、確かに「地政学」という学問はないらしい。そして「今起こっている戦争は地政学からいって起こるべくして起こっているんだよ」としたり顔で説明する人ばかりでは紛争に満ちた世の中は変わらない。さらには、過去の紛争を鮮やかに分析・説明し、それを根拠に、現状起こっている紛争を肯定し、あるいは戦争をしかける理由とする、そのように「世の中おかしくする」論であると言えるのかもしれない、と思うようになった。

なので、「戦争の地政学」という本のタイトルを見たときに、ちょうど私の問題意識に答える入門書と言えるだろうと思い、手にとった。2023年3月に出版されて最新の戦争の状況もふまえており、しかもベストセラーということだからちょうどいい。

ということで、このゴールデンウイークの後半に2日で読了した。

そういえば、今まで読んだ入門書で、地政学そのものを取り扱った本はなかったように思う。まったく不勉強としかいいようがない。言葉の意味やその内容についても知らずに、知っているつもりで話したり書いたりしていることがいかに多いことか、まったく反省させられた。

「地政学とは?」という基本から解き明かすこの本を読んでまず知ったのは、地政学にふたつの流派があるということだ。

一方は、イギリスのマッキンダーからアメリカのスパイクマンによって発展された「ランドパワー」と「シーパワー」の二元的な対立軸を明確にする「英米系地政学」である。

もう一方はドイツのハウスホーファー、シュミットによるもので、複数の生存圏を認め、それぞれの生存圏内の大国による覇権と拡張への意志を認め、多元的に世界をとらえる「大陸系地政学」だ。

私達が現在、地政学的視点としてよく見聞きするのは前者だ。世界の覇権をアメリカがものにし、私達が海に囲まれた日本に住んでいることを思えばあたりまえかもしれない。

そもそも地政学が興る前、明治からの日本の外交が、私達にとって当たり前の戦略として、海に囲まれた島国という地理的環境を考慮して進められたこと、しかし、その過程で結ばれた日英同盟がいかに当時の英国にとって新しい戦略であったのか、それがマッキンダーの地理学から説明され英米系地政学という視点を生んだこと、なかなか目から鱗であった。

つまり「英米系地政学」が生まれる以前から、日本の自然な振る舞いは、大陸から海を隔てた島国である英国と安全保障という点で共通点は多く、同盟国とのネットワークによる水平な関係の中で資源や市場を確保していく「英米系地政学」が合理的な戦略だったと言える。

しかし日本は欧米列強から多くのことを学び取り入れてきたが、ドイツの影響が大きく、「大陸系地政学」ともとにしたランドパワーの発想が強く影響した。つまり、自らがよって立つ生存圏を強く意識し、自らの資源や市場を独立して確保するべく、その圏内の盟主を目指す垂直な関係の構築に向かったのだった、それが第二次世界大戦への道であった。

だから、明治後の日本の政治・外交・国際関係は、地政学が生まれる以前の自然な「英米系地政学」から「大陸系地政学」へ傾き、それが失敗したことから戦後は「英米系地政学」に拠っていると理解できる。

このように日本の近世から現代への歴史を俯瞰して見ることができるのは新しい視点であった。と、同時に、なぜ、戦中に生まれ戦後を生き抜いた父がそれほどまでに「地政学」を忌み嫌うのかもわかった気になれた。

アメリカは、マッキンダー以前からアルフレッド・マハンによって海洋を押さえることの重要性が理解されていた。そして、スパイクマンによってリムランド(ランドパワーの周辺地域)の重要性が認識されることによってアメリカからの視点で世界を二極で捉えられるようになる。

また、ロシアの政策・行動原理が大陸系地政学の視点に依拠していることもわかりやすい。そして、中国が大陸系地政学を行動原理としてふるまったとしてかつての日本が目指した大東亜共和圏の盟主になろうと行動したとする場合の日本への脅威など、日本がどのような政策をとるべきか、考えさせられる。

海によって周囲から守られた英米系の視点から世界を捉えると、海を押さえることが覇権の基本であり、ネットワークを維持することが利益の確保につながる。自分に必要な何かを得ようと思えば、同盟国のネットワークを築けばよい。だから必ずしも自国の膨張を狙う必要がない。そしてすでに覇権を得た立場からは現状維持を狙うのが自然となる。だから、ランドパワーの国々が海へ進出するのを阻むことが焦点となる。

地続きの仁義なき争いの中にいる大陸系の視点から世界を捉えると、基本は「やらなければやられる」ということになる。自分の必要な何かを得てそれを守ろうと思えば、生存圏を自ら拡大することが大事、という発想となる。そのことから膨張拡大を狙い、その理由づけとして「その土地は歴史的に見て自分たちの土地であった」とするのは自然なこととなる。シーパワーもランドパワーもない。自らのよって立つ生存圏がどこにあるか、というだけの話である。

現状維持を基本に同盟国間のネットワークを基盤に持ちつ持たれつで行くのか、その際に大事なのはランドパワーの封じ込めとなる。

必要なものは戦ってでも自身の中に組み込んで確保し自主独立で行くのか。その際に大事なのは生存に必要な土地の確保となる。

しかし、お互いの視点は独立ではないことに気付くだろう。封じ込めのための戦略にしても、生存条件の確保のための戦略にしても、武力の行使を行えば侵略だ。

それぞれの国が自国の利益を追求するときに自らの地理的な条件をもとに最適な戦略をとろうとすることは自然であり、そのときの大国として位置づけができた・できるであろう国、イギリス、アメリカ、ドイツ、ソ連・ロシアそして、これからの中国やインド、このような国々が自分たちの視点で自分たちに都合のよい「地政学」を作ることは不思議ではない。

それぞれの地政学を是としてとらえても、そこで大きな紛争が起こらない条件があるとするならば、それは大国のパワーがバランスしてお互いに牽制し合って釣り合っている状態だけであり、その要件は双方で同じだろう。

考えてみれば地理と歴史そして宗教をふまえて各国・各民族の考え方や行動を理解しようという姿勢は当たり前のことであって、実は地理と歴史や宗教についてしっかり勉強しておけばよいだけなのだと考えられる。「地政学」という言葉は本来の範囲を超えて現状をわかりやすく説明するキーワードとして使われ過ぎてはいないいだろうか。「地政学」という言葉が最近になってよく使われるようになったのは、実は、地理や歴史と政治や宗教という基本的な勉強が足りず、わかりやすく口当たりのよい説明を求める私達の姿勢が表れているだけなのかもしれない。

そして、その解りやすさをテコにして現代の日本やアメリカの政策を是とし強化しようとする一種の統制が行われようとしているかもしれない。また、その逆の動きにも利用されていることであろう。

二つの「地政学」はこれまでの歴史や現状を分析する強力なツールであり視点である。では、現状を是とし現状をどう生き抜くかを考えるのか、理想を是とし現状をどう改革しようかと考えるのか。あるいは、その二つの考え方のバランスをとった道を考えるのか。

あるいは、第三の道、第四の道はないのだろうか。

「地政学」が現代を理解し生きて行くうえで重要な教養であることは認めるとして、そのような批判的な視点を持って捉えなければせっかくの「地政学」の視点を生かすことは難しいかもしれない。

そんなことを考えながら読了した。良書である。


■追補

他に、ロシアをユーラシア大陸のハートランドと考えるのと同様に、サハラ以南のアフリカをもう一つのハートランドと考え、サハラ砂漠を天然の障壁でありながら交易を許す海と同様に考えるマッキンダーの視点が紹介されているのも、本書を読んで目から鱗のポイントであった。

そのような視点にたってみれば、中央アジアも海のように考えることもでき、交易・商人の動きを軸とした紛争の歴史を考察することも大事なのだろうと認識した。そのようにして考えると中国の重層性が際立ってくるように思う。

いずれの視点によっても捩れた位置にいるシリア・パレスチナの地はあまりに厳しいと改めて考えさせられた。


世界中の紛争が早く解決しますように。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?