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【学び52冊目 鬼手仏心の経営】

強い会社であることと、いい会社であることは両立し得るのか

20世紀、特に失われた10年では、会社が強くあることこそが正義の時代がありました。市場原理に従い、株主の意向に従い、利益をドンドン追求していくことこそが正義であり、そのパラダイムにおいては,「経営のリソース」でしかありませんでした。この本の表現の仕方で言うと、「鬼手に偏った経営」スタイルが、まさにそれです。

利益を追求すること自体は悪くありません。利益は、会社の社会貢献度を図る指標だからです。ですが、指標(KGI)があるのであれば、その裏に戦略があり、その戦略は崇高な理念に基づいていなければなりません。ビジョナリーカンパニー4でいう20万マイル行進のような、行動の一貫性というのは理念が無い限り成し遂げられません。会社にとって一番崇高なものが数字であれば、その会社は長続きしません。鬼手に加えて、「仏心」も経営に取り入れなければいけない、ということが言いたいというのは、誰しもが本のタイトルをみただけで分かると思います。この本では、「文化的価値観、心、、人間性、人の論理」と説明しており、20世紀の経営モデルでは「人を生かす=活用」であるのに対して、企業全体が人間らしい人間を目指して、意思を実現し、幸福を実現できる会社を目指すことが必要、と説明しています。京セラの稲盛さんほど、「下に降りきてくれる」タイプの経営者になると、「ただ道徳的に正しいと思うことを経営理念にすればいい」とまで、簡単な表現で言っています。偉大な経営理念など思いつくものではなく、あとづけで過去の例を参考につけるものです。結局はワクワクし、かつ人が成長し幸福になれる理念であれば、何でもいいのではないかと思います。そういう理念を経営のパラダイムとし、それに基づいて鬼手の行動をするのが、長期的に社会に残り続けることができる会社です。社会に残り続けることができている限りは、社会から求められている、社会に価値を提供できているということです。存続が困難になっている会社は、理念の部分に仏心が含まれていない、もしくは鬼手の行動をできていないか、もしくはその構造的なパラダイムを理解できていないかのどこかに原因があるかと思います。それを診断し、解決してあげるのが、究極的には経営コンサルの仕事ともいえます。

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