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vol.038「忠誠心はどこからくるか問題~部下を信じるか疑うかとシュレディンガーの猫問題。後付けの"正しいこと"なら誰でも言える。」

仕事で、また雑談の流れから、「中間管理職の心得」みたいなことを考える機会があり、メモ書き残しておきます。

文中、便宜上「部下」「上司」という言葉を使います。


◆管理職ココロエ

中間管理職の「最低限のココロエ集」、というものがあるとしたら、
①判断する。でなければ追認する
②反証しようのない価値観を持ち出さない
③興味関心を示せ。演技力を総動員しろ
④部下は私物ではないとわきまえる
⑤「生産性」のことをつねに考える

あたりだろうか。

①判断する。でなければ追認する

判断する。すべてを自分ひとりで分かってなくていい。
どんな単位でも、組織ツリーの一番上のノードがやることは、「判断すること」「結果責任を取ること」だ。相談に来るということは、判断してもらいたいということだ。感想や、評論は必要ない。
「材料が揃っていない」という理由で判断を保留する上司は「使えない上司」だ。潤沢に揃うなら、誰でも決定できる。不足してる状況で判断するのが仕事、そういう機能だ。感情や能力は関係ない。極端にいうと、サイコロで決めたっていい。
それもできないならイエスマンになる。判断しないよりずっといい。精度の高い判断をしようとか、恥をかきたくない、と思うとうまく行かない。判断できないのなら、せめて追認する。

②反証しようのない価値観を持ち出さない

「反証しようのない」とは、たとえば
・目に見えないもの、数えられないもの(「やる気をみせろ」)
・叱責する側に一方的に解釈権があるもの(「何がダメか自分で考えろ」)
・具体的な行動に置き換えられないもの。(「真剣さが足りない」)
・必ず正しく、反論のしようがないもの。(「申し訳ないと思わないのか」)
といったこと。一言でいうと「精神論」だ。
反証可能な土台で話すのを「科学」、反証できない土台で話すのを「精神論」と言っていい。精神論を持ち出す人間はその時点で非科学的だ。

うまく行ってないとき、リーダーがやることはメンバー=【他者の】【心がけ】を説教することではない。「仕組みで解決できないか」「リソースをどこかから調達できないか」と【自分の】【頭を使う】ことだ。

③興味関心を示せ。演技力を総動員しろ。

報告を聞いたり、相談を受けたときは、反応する。表情やうなずきを使う。質問をする。特にない場合でも「ひとつ質問する」と決めてかかる。相手によって態度を変えない。事案によらず反応する。不機嫌にしない。自分の気分を出さない。
これは、「報酬をよぶんに受け取っているのはどちらか」と考えるとわかりやすい。上司が機嫌を出していいが「公式ルール」なら、部下側にその分の給料が払われているはずだ。名づけるなら「感情労働手当て」とでもなるだろうか。
手当が払われておらず、上司のほうが給料が高いなら、「部下が上司の機嫌に合わせる」は正当なルールではない。少なからず勘違いするのは「役職が付いてる」→「立場(身分)が上である」と錯覚するからだ。

この視点を持っていると、「正解は上司が部下に合わせる」だとわかる。別に内心で常に意欲高くなくていい。反応や関心を、形で示す。上司側が鍛えるのは、プライドではなく演技力だ。
演技力は、主観で(我流で)「私は意識してる」では足りなくて、具体的に勉強することで伸びる。勉強は、「直接的=他者を観察する(優れているところ・反面教師)」「間接的=本など媒体を読んで観て聴く」のどちらかで向上する。
プロの役者は、プロの先生に師事して教わる。他の役者の作品をビデオや舞台で観察する。小学生が勉強するとき、教科書を開くか問題集を広げる。机に何も出さず「頭の中でやってる!」と言ったら、親は「なに言ってるの」と質(ただ)すだろう。
「勉強にはインプットが必須」という単純な原理が、中間管理職に置き換えるととたんに我流になる。プロが勉強しているのに、素人が自己流でやっている。

④部下は私物ではないとわきまえる

前述のとおり、日本型の会社組織では、管理職(上司)のほうが給料が高い。好き嫌いや感情で言動しないことに対して、あらかじめ多めの報酬が【先払いで】設定されている。
とすると、「部下が上司の話を、だまって我慢して聴く義務」は、公式なルールではない。正当な根拠のない「謎の慣習」だとわかる。愚痴に付き合う/感情をぶつけられても我慢する/話を最後まで聴く等の義務を負うのは「給料を多くもらっている側=上司・管理職」だ。その逆はない。
間違えるのは「役職が付いてる」→「立場(≒身分)が上だ」→「上の人間に合わせるものだ」→「自分には威張る当然の権利があり、部下には口答えせず受け入れる義務がある」と錯覚するから。報酬と義務の基本的な構造を理解できてないからだ。

部下は上司の私物ではない。仮にヒトではなく資産だったとして、株主からの一時的な預かり物だ。あるいは、時間の一部を提供することで給料と交換する「契約(管理者は関与してない)」で仕事をしている一人の人間であって、本人(とその家族)のものだ。(※「給料以上に働いて貢献する」「自分の価値を高めるために学ぶ」等はまた別の話で、本人が決めること)
こんな単純な原理を、前は今よりもっとわかっていなかった。

⑤「生産性」のことをつねに考える

経済的な観点。仕事というのはサッカーやラグビーと似たところがあり、むやみに止めると流れなくなり、ゲームの効率が悪くなる。観客(=つまり商品にお金を払う人)から見ても、面白くなくなる。
仕事を止める、たとえば細かいチェックで突き返してやり直しさせる、長時間説教するなどの行為は、引き換えに、それ以上のプラスのベネフィットがあって初めてやることだ。「本人のためを思って鍛えてやっている」といった情緒的な(主観の)根拠ではなく、具体的に、数値で置き換えられるものだ。
管理職の仕事を例えると、監督であると同時に、審判でもあるということ。時にはトラブル事案の収束で交渉相手の前面に立つこともあるから、選手も兼ねているということだ。

経済的な観点=生産性は、常に考えるものだ。生産性に優先させるものは、コンプライアンス、法令遵守、人権等への配慮を除いて、めったにない。
対面で打合せ、出社する/させる、資料の書き直し、惰性の会議、手書きで(気持ちを込める)、ゼロベースから考えよ、独創性を出そうとする、、、たいてい、生産性に寄与しない。命令する側の自己満足や形骸化した不文律によることが多い。

「やったほうがいいこと」はいくらでも見つかる。全部やるとか同時に(優先度同率一位で)やる、ではなく、何かを捨てる。判断の拠り所になるのは「生産性」だ。上位3つで全体の9割を占めるとき、6位とか9位の事案で細部にこだわって上司も部下も時間を費やさないことだ。

◆後付けで正しいことが言えるのは当たり前。

誰かのやったこと、特に部下の仕事で、失敗やトラブルの報告を受けて、「内心で思っていた」と言うことがある(※)。発表された正解を言うのは、誰でも言える。「だから言ったのに」と言うこともある。友人や後輩ならともかく、上司が言ってはダメなセリフのひとつ。承認したのは自分だ。"命令"したのは指揮官だ。たとえ完全に事後報告でも結果責任を取るのが仕事だ。
※信頼関係があり、(雇用や将来への)責任が取れて、育成のために"計画的に手頃な失敗をさせる"のならあり。やり方と表現方法による。

そもそも報告とか相談、プレゼンというものは、受けるほうが圧倒的に有利なゲームだ。説明を聞いているあいだに欠けているところを考えて、それらしく指摘する。わざと外した感想をいう。コースの分かっているPKを止めるようなもので、簡単なゲームだ。

自分が上司の立場で、相手(部下)がこちらの発言を受け入れたり、肯定したり、合いの手を入れてくれているときは、これらの諸法則に照らし合わせて、「本当に大丈夫か?→自分」と問うたほうが良い。

◆忠誠心はタダではない。

いわゆる部下の、上司に対する"忠誠心"の埋蔵量は有限だ。感覚的には、オーナー社長だと、まずまずそこに存在する。サラリーマン社長だと、部下の個々人の価値観による。中間管理職だと、少ないまたは特にない、と思ってちょうどいい。もちろん無料(タダ)でもない。(目に見えない)コストがかかっており、失うと回復に時間がかかる無形資産だ。上司側の振る舞い、言動を間違うごとに、1%ずつ着々と下がっていく、と考えていい。

それを「管理者としての当然の責務(権利)だ」「叱責(罵倒)されて育つもんだ」」のように考えるのは、昔ついた先輩上司=モデルが悪いか、勉強せず我流でやってしまうからだ。中間管理職は、部下の給料を払ってすらいない。「忠誠心を抱かせている」という前提で考えるのが間違っている。

戦国時代の武将から、現代の会社まで、本質的に「見放されて困る」のは、部下ではなく上司だ。上級上司から嫌われたところで一人を我慢すれば済むけど、部下から総スカンをもらったら何もできないからだ。「自分の機嫌くらい自分で取りなさい」という名言がある。情緒を安定させること、表情や態度を自分で管理することは、「優れたリーダーの5つの特長」などでは決してなく「最低限の義務」だ。

◆「シュレディンガーの猫」問題

新型コロナの登場でリモートワークが導入された際、「ちゃんと仕事をしてるかをどう把握(管理)するか」が話題になったことがあります。「会社側の(管理者側の)悩み」といった記事やニュースを見かけました。

結論を先にいうと「心配するだけ無駄」だと考えています。※個人の見解です。
オフィスに出勤していたとしても、すべての行動を監視するのは不可能です。極論、頭の中で何を考えているかは分かりようがないからです。

そこで、疑うか信じるかの二択でどちらが合理的か、を考えてみます。対象=部下は仕事をちゃんとしているorしてない の二通りなので、組み合わせは四通り。ちょっと考えれば「信じるほうが効率的」とわかります。「仕事をしてるのに疑う」と、すごく高くつくからです。(逆に「仕事をしてない」場合、信じようと疑おうと結果は変わらない)

これってなにかに似てるなと思ったら、「シュレディンガーの猫」だ。
箱に猫が入っててこちらからは姿が見えない。中には毒性のガスが出ている。このとき猫が生きている可能性は、確率分布の重なり合わせである。「開けて中が見えるまでは生きている」と考えることができる、というお話です。
同じように「仕事をしているかどうか」はわからないし、「していると考えるほうが得」な状況が生じる。


以上、備忘メモでした。
言うは易しとはまったくこのことで、実際には感情が優先したり、イヤなことは先送りにしたり、好き嫌いで言動したり、いろいろ起こります。
たしか、大昔の偉い人が言いましたね、「八十にして惑わず」でしたっけ。半世紀しか生きてない、まだまだ未熟者です。

お読みいただき、ありがとうございました。

画像はスタジオジブリ公式サイトからお借りしました。
「常識の範囲でご自由にお使いください」https://www.ghibli.jp/info/013409/

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