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vol.101「期待はコントロールするもの:他者に期待しないこと。期待するのは自分。」

自分がコントロール出来ることに全集中する。
当たり前のようで、案外難しいことのひとつです。どうしようもない外的要因、すでに確定した過去を嘆く、恨む。他者のせいにする。誰にでも起こりうることです。

特に「他者に勝手に期待する現象」は、やっかいな問題です。
私も、やらないように気をつけている=自分はできていると思いたいけど、時々おちいっていると思います。※私は他者に厳しいほう、または怒りの感情を抱くと(表にどこまで出ているかはともかく)激しいほうだという自覚があります。

自身の定期読み返し用に、整理してみます。

◆本質は「期待せずに、行動する」。

前回の投稿「せんせい おかげで生きとられるわ」。
記事を読んでくださった方から個別のメッセージを頂きました。詳細をここで紹介するのは避けますが、びっくりするような、非常に嬉しい内容でした。「インプット、アウトプットしておくものだな」「自分の意見を持って、発信しつづけると良いことがあるな」と、意を強くしたできごとでした。

noteでの発信、その前のFacebook毎日投稿をしているとき自分に言い聞かせてたのが「反応を期待しない」こと。いいね!の数、誰からもコメントをもらえないことを気にしない。
これも言うのは簡単で、実際には定期的にスマホをチェックしたりして、私は気にするほうです。重要なのは「反応がなくても続けること」だとは思っていて、それは実行できています。「気にしない」はできていない。

今回は「淡々と自分のために書きとめた」ら、結果として嬉しい反応があった、というものでした。
期待はせず、行動はするって大事ですね。

◆自分の理想を重ねる現象。

しばらく前、友人とお茶をしていて、こんな話になりました。

提供しているサービスと違う内容を求め、それが供与されなかったら"傷つく"人たちが時折いる。
たとえば、技術や知識を提供しているのにメンタル面のサポートを求める。1対多の講義型に対して個人のケアを求める。コーチングに対して「一発で成功する方法」を求める、みたいなこと。
「前のほうがよかった。◯◯先生は変わってしまった」といってクレームになる、みたいなことです。
(注:友人はその分野のエキスパート。同じことができる人は日本人で何人いるだろうか、ぐらいの天才種族です)

これらの現象に共通するのは、「勝手に期待」していること。自分の中に、その人だけの理想像があって、それを相手に重ね合わせている。だから理想と食い違うと、「裏切られた」となる。

サービスというものは契約行為だから、取り決められた提供内容に合意して代価を払うものだ。つまり互いに供出するものがイーブン、同程度であることが前提です。
「友情」や「手助け」も同じで、お金をやり取りしないぶん、「与えられて当たり前」の錯覚が起こりやすい。※「友情」はタダではないと思っています。

パズーとシータは、住み込み手伝いの条件で仲間に入れてもらったのに、勇気をもらい 命を救ってもらい 励まし慰められ、帰路まで送ってもらえたけど、あれは例外。
ドーラという「海賊のプロ」の、度量の大きさ、面倒見のよさによるもの。また前段で、パズーの見返りを求めない献身的な行動が、シータの信頼を得て、ドーラの親切心を呼び起こしたもの。
要するに、パズーもドーラも、見返りを期待していなかった。だからシータを救い、ラピュタを発見し、崩れる城から無事に脱出できた。
『天空の城ラピュタ』のテーマは「見返りを求めない」だった。

◆「見返り」を期待しないこと。

自分が教える立場のときも同じです。
誰かに何かを教えたとき、意に沿う反応を期待しない。お礼や感謝を求めない、という感覚を持っておくことはとても大切です。
これが、けっこう難しい。

人間はともすると、教えたがり、聞いてほしがりな生き物です。
「自分が教えたい」だったはずが、いつのまにか「教えてやってる」に脳内変換されます。
好意的な反応を期待する。「さすがですね」「勉強になりました」と言われたい。できれば「おかげさまで成果が出ました」と言われたい。
思わしい反応が得られないと「教わる態度が悪い」「ありがたみをわかってない」と腹を立てる。「お礼がない」と人伝てでわざわざ知らせようとする。

「教える」の前段で「相談を受けたとき」も、まず「聴く」。
相談はこちらの承認欲求を満たす場ではない。そして「アドバイスしたのに採用されない」と気分を害するぐらいなら、助言しないほうがいい。

見返りを求めない。他者に勝手に期待しない。
できないなら、訓練するしかないと思っています。

◆人に薦めるときのポイント。

「アドバイスする」と同じく気をつけたいのが「人になにか紹介する」ときです。
ポイントは、おすすめの映画でも書籍でも、あくまでこちらの勝手な好意と位置づけて、「一方通行で情報を提供」すること。

口で説明するのなら短時間でさらりとしたリコメンドにとどめる。
理想はメールです。いつ受信したか、読んだか読んでないか、直接確認【できない】のが、メールの長所。SNSだと既読マーク等で判ってしまいます。「既読かわからないメールで送ってくれたのだな」という心理的安全性の提供がとても大切です。

仕事の指導は別で、とうぜん結果を把握する必要がある。職務としてやっているか、「頼まれてもないのに教えてる」かの違いです。
先輩が後輩に、上司が部下に、「おすすめのビジネス書を紹介」するようなときは要注意。私も過去にはやらかしていました(苦笑)。
「教える行為」は一方通行のものであって「採り入れるかどうか」「身についたかどうか」は強制できないものだ、という謙虚さが必要なのだと考えています。

なお、「他者」は「自分以外のすべての人間」。つまり家族も含みます。
というより、家族こそは最大の環境であり、変えられない所与の前提条件です。「勝手に期待」しやすい、それだけこじれやすい関係でもあると思います。


「コントロール出来ないこと」に時間とエネルギーを注ぐ。怒る。傷つく。
冷静なときに、または他人事のとき、「生産性がないよなぁ」と思う。でも自分がおちいると、その感情それ自体がある種の快感(報酬)になって、なかなか脱却できないのだろうなとも思う。

たぶん重要なのは、
「何かをしようと思ったら、非線対称になること」
だと考えています。
先にこちらがリスクを取る。見返りを求めずに貢献する。相手に関係なく上機嫌でいる。
ここはもう少し整理できたら書いてみます。

最後までお読みくださりありがとうございます。


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