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vol.083「自分の能力を抽象化してみる。『特技は2つ以上必須である』説。」

誰にでも、特技・取り柄がある、私の場合「人の話を、反応しながら聴いて、整理する能力」がそのひとつです、という話の、続きです。

◆自分の「能力」を抽象化してみる。

これまでに、仕事で、またはプライベートも含めて、「得意:世の中の平均よりスキルが高い」かつ「好き:やっていて面白い」と思えたのは、
(1) 話を聞いて、感じたことをフィードバックする。内容を整理してみせる。考えるための質問をする、
(2) お詫びや謝罪など、トラブル対応をする。材料が足りない状態で交渉や説明の場を持たせる、

の二つです。

共通点は、どちらも「受け身の能力」だということ。

気づいて棚卸ししてみると、創造より模倣。作家より編集者。プレイヤーより司会進行。
能動的よりも受動的。発信よりも受信。コンテンツ型よりも処理プログラム型。

一言でいうと「先攻よりも後攻」の能力です。

・相手の話を聴きながら、何を言って、何は黙っておくか、選ぶ。
・「自分の前にアドバイスした人は何を言ったのか」を確認してから、今から話す内容を考える。
・怒っている相手の話を、相手が話し終えるまで聴く。観察しながら、切り返す言葉を推敲する。
・交渉相手の、どのリクエストには応えて、どれは断るか(譲歩しないか)を決める。

すべて、起きたことを受けて対処している。
「いわゆるクレーム処理と、その後の解決の能力」などは、その典型です。

もともと、目指す方向性がつねに「迷ったら希少性の高いほうを選ぶ」です。「希少性が高い」という判断基準自体、そのとき既に起きてること(先攻)があってはじめて機能します。
相手を観察して、後攻めで態度・言動を決めている。人材のタイプとして、根本的に「後攻・受動」の属性ということです。

冒頭に挙げた2つは、「互いに独立した、距離のある能力」ではない。極論すると「1つの能力」だと言えます。

◆景色は常に「現在位置」からしか見ることができない。

世の中の人が、発信と受信とどちらのタイプが多いのかはわかりません。

1対1型コミュニケーションにおいて、「流通する情報量」の観点で考えると、両者は完全に等量です。内容は別にして、双方向に会話するし、メールする。もちろん、一組一組を見ると「よく喋る人と毎回聞き役の人」のような偏りは発生します。全体平均で俯瞰すれば、ということです。
発信型人材と受信型人材は同数である」と言えそうです。

違う説も採ることができます。
インターネットは、極少数の発信者(価値あるコンテンツホルダー)と大多数の受信者(鑑賞する人、消費者)で構成されている。ようにも思えます。
映画や音楽配信だけでなく、Twitter(現X)を見ても、少数の"バズった人"の投稿に、不特定多数がコメントしたり引用したりしている。

感覚的には後者の説、つまり、私を含めて「大多数の凡人(受動型の人材)がいる」が正解だろうと考えています。

ひとつ言えることは、すべての人が「自分の位置から世界を見ている」ということです。

「極少数の価値あるコンテンツホルダー」が、「私はもうゴールした、上がりだ」と満足しているかというと全くそんなことはない。
はたから、ウサイン・ボルト選手を見ると、「100メートル9秒6で走れたらそれで十分でしょ」と思います。稲葉浩志さんを見たら「いつでも『ALONE』や『ZERO』が歌えるなんてうらやましい」と思います。
だけど本人は、決して「これで完ぺきだ」「残りの人生はおまけだ」と思っていない。人は、自分の現在位置から、その先の景色を見ることしかできないからです。

◆「特技は2つ以上必要である」説。

これらを考えるきっかけになったのは、清塚信也さんのコンサートです。

三度目の挑戦でチケット当選。通知を受け取り、その場で会社のスケジューラに「夕方からお休み頂きます」と記入。当日はチームメイトにも断りを入れ、早く切り上げる。座席は2階テラスの最前列。左右前後に気を使う必要がなく、舞台まで遮るものもない、最高の席でした。

清塚さんは、ピアノはもちろんだけど、演奏の間の話が面白いことで知られています。
開園前のナレーションでも「ピアノ演奏つきトークショーへようこそ!」と案内があるほどで、噂にたがわぬ、というよりそれ以上の話術。
内容、身ぶり、歩き回る動線、オチ、その間(ま)の取り方。ものすごく練り込まれた、想像を超えた"芸達者"で、「清塚ワールド」の手のひらの上。すっかり惹きつけられ、さらに好きになりました。

感動のライブを聴いて、笑って、満足して、あらためて確信を深めたのは、「特技を磨く」「一芸に秀でる」だけではとうてい足りなくて、2つ以上の軸が必要だということ。
「口ベタで説明はできません。でも商品には自信があります」は、世の中に通用しない、ということです。

そしてその2つは、互いに距離のある、独立なものであるほどいい。もしくは、直接的に関わるけれども、普遍性があり、ほかの場面でも使えるものがいい。できれば賞味期限の長いものがいい。

前者は、ある専門分野のプロで、それとは別に趣味が、楽器・茶道・写真・トライアスロン・読書など。
一見無関係な軸で、「趣味」なのだけど「教養」に近いのかもしれません。

後者は、その専門分野について、話す、書く、宣伝することができる。その分野に詳しくない人の興味関心を惹きつけることができる。実用的、実益のある能力です。
けれども「自分の信じる良いものを、一人でも多くの人に届けられる」という点で、やはり「欲望」よりは「志」(こころざし)に近いものだとも言える。

好きになり、リピーターになった幾人かのプロフェッショナルは、例外なく後者に当てはまる。特に「話す能力」がめちゃくちゃ高い。
「話す能力」とは、「伝わる技術」=話す速度や滑舌や一文の長さ、伝わりやすさもあるけども、「素人がずっと聴いていたいと思うかどうか」が大きいと思っています。「伝わる」はとても測定が難しくて、話し手の問題ではなく、「本当に理解できているか」=受け取り手の問題があります。

「じゃあ自分は、2つ(以上)の独立した能力を持っているか?」
と考えてみたのが、冒頭の話でした。

◆関連して考えたことメモ。

もしかすると原因と結果が逆で、「話す能力の高い人に、魅力を感じて深堀りした」のかもしれません。人間は自分が苦手なことが出来る人を大きく評価しやすい。話すことに苦手意識、コンプレックスがあるから、強く惹かれている可能性はあります。

また、リピーターになった幾人かのトッププロの人たちは、前者の要素、つまり幅広い趣味をも持ってもいる。
話題の振れ幅が大きい。いわゆる引き出しが多い。それが、授業の中でも当たり前に登場するし、休憩時間の雑談にも自然とあらわれる。
「一流でいるためには教養・たしなみが必要だ」という基本意識がベースにある前提で、「興味関心を持つ力がとにかく強い」のだと観察しています。

この「興味を持つ力」、それに「感動する力」は、彼ら彼女ら"少数の才能ある者たち"と私(凡人)との大きな差です。


関心を持ち 感動する力、また、「軸の違う2つ目の能力」をどうやって手にするか。もしくは代替の対策をどう取るのかは、継続している課題です。

最後までお読みくださりありがとうございます。


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