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君たちはどう生きるか

雑な考察と感想

君たちはどう生きるかという作品は
1)理想主義と現実主義の間にある葛藤を描いている.
2)理想主義と現実主義の間の葛藤は現実への不満=環境と個体不適合により発生する.
3)理想主義は現実逃避としての休息の選択肢であり,社会に対して向き合い改善していくのは理想を抱くことのできる現実主義者である.

という解釈を行うことができる.

本作品は,主人公が母親を失うところから始まる.その後すぐに父親は母親に似ている別人と婚姻を行う.その新妻はすでに妊娠している.主人公は母親を失った悲しみが癒えぬまま,父親の指示に従い環境の変化を強制させられる.

移行した環境には複数人の老人が家の手伝いを行っている.手伝いたちはそれぞれの顔や所作に性格が現れており,それぞれが生きた履歴を垣間見ることができる.

新しい,家,母,学校,複数の環境の変化に折り合いがつかず,主人公は不安定になり自傷行為を行うまで精神が不安定になる.それに連れて,下の世界への誘惑が強くなっていく.

日々,葛藤しながら青鷺による誘惑に対して立ち向かう主人公.

しかしある日,主人公より先に母親が下の世界へといってしまうのだ.

それもそのはずで,妊娠した女性が,夫に頼まれたからと主人公や手伝いに対して気を使い,現実と向き合い続けることの困難さは想像に易い.

女性というのは環境に弱い.それは性質としてそうであるに過ぎないし,だからこそ愛おしく,強い女性は美しい.

そんな愛おしい母親を助けにと嘘をつき,主人公は理想の世界へ,空想の世界へ降りていく.ただ自分が現実に耐えられず,”本当の母親に会えるかもしれない”という理想を追いかけたに過ぎないのに.

主人公は下の世界で最初ペリカンに迫られるが,女性に救われる.その女性は自分の手伝いの一人である.しかし容姿は若く,その理由はその時の存在であるからである.つまり,その女性は過去にも下の世界=理想主義の世界に入り浸っていた.

下の世界にいる生き物も,ほとんどがその造形を過去のものと見られるものばかりである.絶滅というのは環境との不適合であるので,彼らもまた空想の,理想の世界に逃げ込みたかったのかもしれない.

しかし,一方で理想の世界に溶け込むことができない種も存在していた.宮崎駿が”よくわからない部分があった”といっていた.それは理想の中でもよくわからない矛盾が発生してしまうという,創作者の不完全性の表現ではないだろうか.

その点,インコはうまく適合を果たしていた.真似るという属性が功を制し,人の文化の模倣に解釈が拡張された彼らは,生き生きと残酷に過ごしている.

主人公は下の世界で,インコたちに狙われながらも,強く美しい少女と出会う.彼女は違う時間での主人公の母親であり,形は違えど,目的を果たすことになる.

しかし,主人公は頑なに新しい母親を連れ戻そうとする.これは発言のサンクコストになるのか,現実向き合える強い意志なのか,現実を知らない若さゆえなのかわからないがいずれかによると予想できる.

嘘をついて理想に逃げ込むと碌なことにならないことがよく表現されている.

強く美しい少女の忠告を無視して,弱く愛おしい女性に罵倒されながらも主人公は現実に共に向き合うため,彼女に語りかけ続ける.結果禁忌を破ることになり,二人は創造主との面会を迫られる.

長い刻を孤独から現実を避けて理想の世界に迷い込んだ理想主義者の創造主は窮地に立たされていた.想像は枯れ,過ちは膨れ上がり,その世界を維持することが困難な状況に追い込まれていた.そして,その後継人を主人公に嘆願する.

老人は手に負えなくなった時にしか物事を手放さないことは恒例であるが,現実と違う点は主人公は強制されず,その提案を断ることができた.

主人公は現実に戻り,人生を生きていく.

君たちは,どう生きるか.

父親は作中現実主義の代表とも言えるほどに現実主義者であった.学校に対するやりとりや,工場を運営していることから分かるように,公私共に潤沢な生活=環境と個体の適合を果たしている.

以上から,
君たちはどう生きるかという作品は
1)理想主義と現実主義の間にある葛藤を描いている.
2)理想主義と現実主義の間の葛藤は現実への不満=環境と個体不適合により発生する.
3)理想主義は現実逃避としての休息の選択肢であり,社会に対して向き合い改善していくのは理想を抱くことのできる現実主義者である.

という解釈を行うことができる.

君たちは,どう生きるか.

余談

作中,下の世界へ青鷺が”友達”として案内を行ってくれている.私たちから見れば,作品とは断片的な追体験に他ならない.私たちが今立っているこの世界で,ジブリという作品群のストーリーを断片的に追体験させてくれるのは,理想主義の宮崎駿の理想や空想を,現実主義とも言える商業作品に落とし込んだ鈴木敏夫であり,青鷺は彼のシンボルだと読み取れる.

他方,先代の創造主は宮崎駿のシンボルだと読み取れる.不安定ながら作品を成立させ,膨らませ,矛盾を含みながらもそれが終わるまで作り続けた.

つまり,青鷺は鈴木敏夫.先代の創造主は宮崎駿.主人公は後世の人々(あなた自身)という具体的な人々に落とし込んだ解釈を行うこともできるのではないだろうか.


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