わたしとごはんと。~ほうれん草の胡麻和え

祖母が小さい頃から今もずっと、食卓のサイドにあるのは、『ほうれん草の胡麻和え』

さっと茹でたほうれん草の水気をしっかり切って、3㎝くらいの短めで切る。醤油と砂糖とゴマで和える。

少し砂糖が多めで、甘みが特徴。ずっと変わらないこの味。

冬は家のほうれん草だった。夏はいんげんになったりもする。

振り返ると、本当にわたしのごはんの思い出は、祖母に溢れている。

ただ祖母はある意味厳しかった。私のコンプレックスを作った根源かもしれない。

祖母は母方の祖母だ。というのも、わたしの実家は母の実家。

父方の祖母は3歳のころに亡くなった。わたしは父方の家系にそっくりだ。最近は父によく似ているなと自分でも思う。

父の家系は、ぽっちゃりで毛深い。鼻の穴が見えやすい形。あまり、よくはない。

小さい頃の記憶で1番に残っているのは

『あんたはあっちに似て、太い』

『鼻がぺちゃんこやし、不細工』

『不細工やから髪は短くしなあかん』

と言われていたこと。

逆に2歳下の妹は、両家系の良いところをすべて兼ね備えて、とてもかわいかった。だから、髪の毛も長かった。

今は、鼻筋は母に似てきて、体型も太くはないので、そういうことは言われなくなったが、

小さい頃に言われたことは、ずっと自分を苦しめていた。

私は『不細工でぽっちゃり』だから自信が持てなかったし、逆に変なプライドがついてしまった。

だからと言って、祖母を悪くは思っていない。
私が私の中でそうしてしまったのは、やはり私自身だからだ。

反対に私は祖母への感謝でいっぱいだ。

自分のことはいつも犠牲にして、私たち家族のことを思って仕事や家事、祖父の介護をこなしていた。パワフルおばあちゃんだ。

祖母がいなければ、私はどうなっていたかわからない。

食卓にいつもいた胡麻和えと同じように、ずっとそばに祖母はいた。

だから、寂しくはなかったし、祖母が大好きなのだ。

ずっと家族のために頑張り続けた祖母、
家族みんなたぶん甘えてた。
だから、私もよく祖母に怒りの矛先を向けることがよくあった。

それは、とても最近でも。

祖母は口は達者だったけど、どれだけ傷つけただろう。


歳を重ねて、
どんどんと小さくなっていくのが、
心がきゅっとなる。

体もうまく動けなくなった。

色々とできなくなって、祖母は言う

『わたしは何もできない・・・それが嫌』と。

そこには罪悪感があるように聞こえる。

それは、私もよくわかる、祖母といた時間が長いから祖母の性格とどこか似ていると思う。

次あったとき、祖母の作ってくれた沢山の思い出のごはんのことを話したい。

ありがとうと一緒に。




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