私は大の運動嫌い。 運動ができなくて、50m走はいつもべべ。 ドッジボールもいつも逃げ回るタイプ。 だからきっと学生時代を知る人は驚くはず。 こんな私が毎日走ってるなんて。 走るきっかけは、 結婚式に向けたダイエット。 結婚式が終われば筋トレはすぐにやめてしまったのに 走ることだけはやらないと気持ち悪いくらい習慣化した。もう4年くらいになる。 それはなぜなんだろう。 考えてみた。 運動嫌いの私が走る3つの理由1、達成感。 走り終えたときに、走った距離が見える化
今の私のコトだ。 正社員を捨てて、個人事業の道を選んだものの 上手くいかずに苦しんでいた、3年前。 どうにか今を変えたいと飛び込んで、がむしゃらに進んできたこの2年半。 そして今。 どこかでセーブをかけている。 それは、あのがむしゃらの時に、感じていた身体のしんどさに対してだと思う。 ここの線を越えたら、身体がしんどくなるなと思って セーブをかけているのだ。 それはある意味、いいのかもしれないけれど、 それをいい訳に使い始めるとだめなのだ。 だぶん、いい訳して逃
今日から勤務先の仕事初め。 複業スタイルを取っていると、 勤務先が休みのときも仕事をする。 だから答えに困る質問はこれ。 『今日は休みですか?』 勤務先も、発酵の講師も 全力で仕事なので、実はモヤッとする。 気にしている自分が浅いなあと思う。 心の中で休みじゃないよと ファイティングポーズを取ってる。 まだまだほんとに浅すぎる。 その反面、 「忙しいよね、いつも」 と言われると恥ずかしくなる。 忙しいバリアを張ってしまってる自分に、 忙しいなんて、みんな忙し
最近、よく思い出すことがあります。 それは小さい頃に誰にも言えなかった不思議な感覚のこと。 家のうしろにある公民館にあったブランコに腰掛けながら、 「私の目に映るこの葉の緑は、他の人も本当に緑なのだろうか。」 「私が思う緑と、他の人の緑は言葉は同じでも違うものかもしれない」 そういう身近な不思議からふと始まる心の問い。 このころから、私はコミュニケーションを取るのが苦手で でもひとりでいることは恥ずかしい、 プライドも人一倍高くて、遊びに付き合ってくれていた周りのお姉
とても久しぶりにnoteに書き始めることにしました。 書きたいなあ、書きたいなあと思いつつ、 「発酵の先生」と呼ばれる私。 日常の想っていることをそのまま書いてしまうことで 周りにどう思われるかとても気になってしまったから。 私は「生きづらさ」を感じているタイプ。 昔ほどではないけれど、100%なくなるかと言えばそうでもない。 性格的に残っているし、たぶんこれからもそう・・・ それも含めて残しておく場が欲しかったのです。 3日坊主だから、やっぱりこういう反応があるものだと