小林秀雄『実朝』 に見る源実朝横死事件
「吾妻鏡」は、実朝横死事件を簡明に記録した後で、次の様に記している。
「抑今日の勝事、兼ねて変異を示す事一に非ず。所謂、御出立の期に及びて、前大膳大夫入道参進して申して云ふ、覚阿成人の後、未だ涙の顔面に浮ぶことを知らず、而るに今昵近奉るの処、落涙禁じ難し、是直也事に非ず、定めて子細有る可きか、東大寺供養の日、右大将軍の御出の例に任せ、御束帯の下に腹巻著けしめ給ふ可しと云々、仲章朝臣申して云ふ、大臣大将に昇るの人、未だ其式有らずと云々、仍つて之を止めらる、又公氏御鬢に候するの処