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2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第47回)「ある朝敵、ある演説」

サブタイトルは、私だったら「姉と弟」にするけどね。

それはさておき、「承久の乱」のきっかけは、『吾妻鏡』では、後鳥羽上皇の命令を断り、北条義時が、摂津国長江庄と倉橋庄の地頭職を停止しなかったからだとしています。

武家背天氣之起、依舞女龜菊申状、「可停止攝津國長江、倉橋兩庄地頭職」之由、二箇度被下、宣旨之處、右京兆不諾申。是「幕下將軍時募勳功賞定補之輩、無指雜怠而難改」由申之、仍逆鱗甚故也云々。

(武士が朝廷に反抗した原因は、後鳥羽上皇が可愛がっている舞姫(白拍子)の亀菊(後の伊賀局)の申し出で、摂津国長江庄(大阪府大阪市福島区)と倉橋庄(椋橋庄。大阪府豊中市庄内)の地頭職を停止するように、二度も命じたが、右京兆(北条義時)は承知せず、それは「源頼朝が勳功賞として与えた領地は、年貢の特別な不納がない限り、変更はしないとお決めになっている」と申し出たのが、後鳥羽上皇の逆鱗に触れたからだという。)

『吾妻鏡』

『鎌倉殿の13人』のナレーションでは、
「北条義時に人生最大の試練が近づいている。始まりはこの男(源頼茂)」
「この一件が、朝廷方と鎌倉方との命運を決める大戦「承久の乱」を引き起こす」
としています。
「源頼茂の謀反は、あっという間に鎮圧される。しかし、朝廷の象徴であった内裏は焼け落ちた」
そして、内裏再建の費用を、後鳥羽上皇は、全国の武士たちから費用を取り立てようとする。北条義時が拒否すると、「これで北条義時は孤立した。時は来た」と、後鳥羽上皇は、藤原秀康&三浦胤義に、京都守護・伊賀光季(北条義時の義兄)を討ち取らせた。
「これを北条義時追討の狼煙(のろし)とする」

■北条政子の演説(『鎌倉殿の13人』)

北条義時は上洛し、自分の首と引き換えに、全国の御家人から内裏の再建費用の取り立てを中止させようとし、姉・北条政子に別れを告げた。
北条義時「姉上、これは執権としての最後の役目でございます。鎌倉を守るためには、他に手はございません。頼朝様から引継ぎ、なんとかここまでやってまいりました。多少、手荒なこともしましたが、いささかも後悔はございません」
北条実衣「「多少」・・・「かなり」の間違いでしょ」
北条義時「私を憎む御家人たちもおり、よい頃合いかもしれません。あとは太郎に託します。これから、御家人たちと話してまいります」
北条政子「もう1度、よく考えて、小四郎」
北条義時「元はと言えば、伊豆の片田舎の小さな豪族の次男坊。その名を、上皇様が口にされるとは。それどころか、この私を討伐するために、兵を差し向けようとする。平相国清盛、源九郎判官義経、征夷大将軍源頼朝と並んだのです。北条四郎の小倅が。面白き人生でございました」
御家人を集め、上洛を告げようとする北条義時を止めるため、北条政子は、演説の原稿を大江広元に書かせる。大江広元は、「後鳥羽上皇 vs 北条義時という対立構図ではなく、朝廷 vs 御家人(鎌倉武士)という対立構図が良い」として、原稿を仕上げた。

北条義時「既に耳に入っている者もあると思うが、今度」
北条政子「待ちなさい」
北条義時「姉上」
北条政子「鎌倉で一番上にいるのは、この私です。あなたは下がりなさい」
北条時房「静まれ。尼将軍からお言葉があるぞ」
北条政子「(大江広元が書いた原稿を持って)私が皆にこうして話をするのは、これが最初で最後です。源頼朝様が朝敵を討ち果たし、関東を治めてこのかた、その恩は山よりも高く、海よりも(大江広元が書いた原稿を読むのをやめ)本当の事を申します。上皇様が狙っているのは鎌倉ではない。ここにいる執権義時の首です。首さえ差し出せば兵を収めると院宣には書かれています。そして義時は、己の首を差し出そうとしました」
北条義時「姉上、もういい」
北条政子「よくありません。私は今尼将軍としてしゃべっているのです。口を挟むな。鎌倉が守られるのであれば、命を捨てようとこの人は言った。あなたたちのために犠牲になろうと決めた。もちろん私は反対しました。しかしその思いは変えられなかった。ここでみなさんに聞きたいの。あなたがたは本当にそれでよいのですか? 確かに執権を憎む者が多いことは、私も知っています。彼はそれだけのことをしてきた。でもね、この人は生真面目なんです。全てこの鎌倉を守るため。一度たりとも私欲に走ったことはありません」
北条実衣「それは、私も知っています」
北条政子「鎌倉始まって以来の危機を前にして選ぶ道は二つ。ここで上皇様に従って未来永劫、西の言いなりになるか。戦って坂東武者の世をつくるか。ならば答えは決まっています。速やかに上皇様を惑わす奸賊(かんぞく)どもを討ち果たし、三代にわたる源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです。頼朝様の恩に今こそ応えるのです。向こうは、あなたたちが戦を避けるために執権の首を差し出すと思ってる。ばかにするな! そんな卑怯者はこの坂東には一人もいない。そのことを上皇様に教えてやりましょう!」
一同「オー!」
北条政子「ただし敵は官軍。厳しい戦いになります。上皇様につきたいという者があれば、止めることはしません」
北条泰時「そのような者が、ここにいるはずがございません。今こそ一致団結し、尼将軍をお守りし、執権殿のもと、敵を打ち払う。ここにいる者たちは皆、その思いでいるはずです。違うかー!」
一同「その通りだー!」
北条泰時「執権殿、これが上皇様への我らの答えです」


■北条政子の演説(『吾妻鏡』)

皆一心而、可奉。是、最期詞也。
故・右大將軍、征罸朝敵、草創關東以降、云官位、云俸祿、其恩、既高於山岳、深於溟渤。報謝之志、淺乎。
而今、依逆臣之讒、被下非義綸旨。
惜名之族、早討取秀康、胤義等、可全三代將軍遺跡。
但、欲參院中者、只今可申切。

『吾妻鏡』

皆心を一にして、奉る可し。是、最期の詞也。
故・右大將軍、朝敵を征罰し、關東を草創ししより以降(このかた)、官位と云ひ、俸禄と云ひ、其の恩、既に山岳よりも高く、溟渤(めいぼつ)よりも深し。報謝の志、淺からん乎。
しかるに今、逆臣の讒(ざん)に依り、非義の綸旨(りんじ)を下さる。
名を惜むの族(やから)、早く秀康、胤義等を討ち取り、三代將軍の遺跡(ゆいせき)を全うす可し。
但し、院中に參らんと欲せば、只今、申切る可し。

皆、心を一つにして聞きなさい。これが最後の言葉です。
源頼朝様が、朝敵(平家など)を征伐し、関東を開創して以来、官位といい、俸禄といい、その恩は山より高く、海より深い。その恩に報いようという気持ちは、浅いものではないですよね。
ところが今、逆臣の讒言により、道理の通らない綸旨(命令)が出されました。
名を惜しむ者は、足利(藤原)秀康や三浦胤義らを討ち取り、源氏三代将軍が残した鎌倉を守りなさい。
但し、院御所に参上しようと思う者は(後鳥羽上皇側に付きたい者は)、たった今、はっきりと(私に)言いなさい。

※申し切る:「言い切る」の謙譲語。(目上の人に)断言申しあげる。


▲NHK公式サイト『鎌倉殿の13人』
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/

▲参考記事

・サライ 「鎌倉殿の13人に関する記事」
https://serai.jp/thirteen
・呉座勇一「歴史家が見る『鎌倉殿の13人』」
https://gendai.ismedia.jp/list/books/gendai-shinsho/9784065261057
・富士市 「ある担当者のつぶやき」
https://www.city.fuji.shizuoka.jp/fujijikan/kamakuradono-fuji.html
・渡邊大門「深読み「鎌倉殿の13人」」
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon
・大迫秀樹「「鎌倉幕府の謎」源頼朝と北条義時たち13人の時代」
https://gentosha-go.com/category/t966_1
・Yusuke Santama Yamanaka 「『鎌倉殿の13人』の捌き方」
https://note.com/santama0202/m/md4e0f1a32d37
・刀猫    「史料で見る鎌倉殿の13人」
https://note.com/k_neko_al/m/m0f7e5011a2ac

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