#明智光秀
『乙夜之書物』にみる「本能寺の変」
■『乙夜之書物』(上)95条 ※Recoの翻刻
一、天正拾年の春より、中国毛利家為退治、羽柴筑前守秀吉、備中の国ゑ発向して、同国高松の城をかこむ。為後巻と、毛利右馬輝元五万余騎にて出張して秀吉に対陣す。依是、為加勢、惟任日向守光秀可下向旨被仰出、信長公も頓て御出勢可在と也。又、四国為退治と三七信孝を大将として織田七兵衛信澄、長岡越中守、筒井順慶、丹羽五郎左衛門、堀久太郎、池田勝入、以下各先、大
この土日は
菅野俊輔『真相解明「本能寺の変」』(青春新書)
萩原大輔『異聞 本能寺の変』(八木書店)
を読み返して、今までの記事を加除修正する。
【今までの記事】
◎本能寺の変
『乙夜之書物(いつやのかきもの)』にみる「本能寺の変」
https://note.com/sz2020/n/nf71ad0ba9b95
「光秀折檻事件」(『政春古兵談』と『乙夜之書物』)
https://note.co
萩原大輔『異聞 本能寺の変』
『乙夜之書物』も、『政春古兵談』も、学者は存在を知っていたが、翻刻が無いため、検討が後回しにされてきた。萩原大輔氏が読んだところ、「本能寺の変」の時、明智光秀は本能寺にいなかった、鳥羽にいたと書いてあることが分かった。これが史実であれば、今まで書かれた歴史小説や、制作されたドラマは史実ではないことになる。
ちなみに、学説は、「明智光秀は、13000人の兵で本能寺を取り囲み、織田信長を討った」で