見出し画像

114.For my Valentine

ごきげんよう。
また暫く間隔が空いてしまいました。
今回は、いわゆるバレンタインデーとは関係ない、2月14日にまつわる僕の個人的なお話です。

2月14日という日

先日は2月14日でしたね。
世の中的にはバレンタインデーです。

男性的には、
この日に「え?いや、2月14日って〇〇の日ですよね」と、別の意味を持ちだそうものなら
「モテない上に言い訳をしている人」
というレッテルを貼られる、恐ろしい日です(偏見かも)。
それでも、毎年この日は僕にとっては別の大きな意味を持つ日でした。

意味とは何かというと、

母の誕生日です。


一昨年、亡くなった母の。


あっと言う間の出来事

2020年の11月、僕の母は逝きました。
すい臓がんでした。

7月にがんが見つかり、入院したかと思うと
あれよあれよという間に悪化し、合併症が起き…
あっという間の出来事でした。

よく、ドラマや小説で、
余命いくばくもない人に最期の時間でしたいことをさせてあげようとするお話があります。
しかし、現実は身も蓋もありません。

どういうことかというと、
余命が残り少ないことがわかったときには、
もはやそんなことができる身体状態ではない。
ってこと。

外出する体力?ありません。
食べたいものを食べる?そもそも固形物が食べられません。

リアルというのは残酷なものだと思い知った経験でした。


失って、そして時が経って

折しも当時はコロナで緊急事態宣言のさなか。
実家に住んでいる家族すら、入院中の母の見舞いもままならない状況でした。

それでなくても僕は自分自身のことに手一杯で、
母の一大事だというのに、ろくに見舞いの時間はおろか、毎日連絡することすら怠っていました。

すぐに、もう二度と連絡することは叶わなくなったというのに。

遅まきながら連絡をマメにしはじめたころには、
既に意識が朦朧としてまともなやり取りができなくなっており、
11月、危篤の報せを受けて新幹線で帰る道中、
父からのショートメールで訃報を知りました。

あまりにもあっけなく別れを迎えたせいか、
葬儀の際には、正直、悲しみを感じるより、どこか冷え冷えとした思いでいました。

参列してくれた母の友人知人や親族が涙ながらにお悔みを言ってくれるのを見ても、
「ふだん大して接点もなかったくせに、死んでから急に嘆き悲しむなよ」
「亡くなってからどんなに讃えてくれても意味ないんだよ」
なんて、まるで反抗期の中学生のようなことを思っていました。
さすがに表には出しませんでしたけど。

その冷めた感情が、
悲しみや後悔に押し潰されないための防御反応だったんだと気づいたのは、一周忌も終えてからのことでした。

"あの時、ああしておけば"と思うなら

人はいつ亡くなるかわかりません。
あるいは、死別じゃなくても、どこでどんな形で「これっきり」になるかわかりません。

昨日まで当たり前だったことが、明日も当たり前にあるとも限りません。

それにも関わらず僕らは、
大切なはずの人に心無い態度をとったり、
感謝を忘れたり、
機会を見逃したり、
今日できることをさぼったり
してしまいます。

今もこれを書きながら、自分の言葉に耳が痛いです。

だけど、
間違うこともたくさんあるけど、
「そのこと」を経験したからには、
これからの人生、少しでもよい選択をしていける自分でありたいと、
そう思います。

”あのとき、もっとああしておけば”
そう思ったら、今これからの選択を変えていく。

そうあれるよう、これからも努力していきます。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?