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憧れと模倣ーシノワズリー

 文化趣味として、僕は長らく大正ロマンが好きだった。
 西洋のアンティークと和風とが奇妙な調和によって大正の御代15年間を色づけた。和魂洋才と謳われた明治のモダンな在り様が上手い具合に、それでもやはりエリート・上中流主義を残しつつ発展した感がある。大正ロマンとは他でもなく、日本から見た西洋社会への憧れなのだ。
 ところが、西洋社会にも中国や日本への憧れが一時、上中流社会を席捲したことがあった。
 それは中学校などではジャポニズムとして習うものだが、それだけではない。「シノワズリ」という文化をご存知あるいはご記憶だろうか。これは中国趣味とも訳される、西洋の美術文化だ。どうやらフランス語らしい。

 主に織物や陶磁器などに用いられる用語でもあるが、インテリアや価値観などにも敷衍できるであろう点は大正ロマンにも通ずる。
 シノワズリ自体は、そもそも西洋にある「オリエンタリズム」の一種なのであろう。当初はムスリム圏、すなわちアラビア等の文化を意図していたが、時代が下るにつれ、東インドや中国王朝との接近などの様々な要因が、「東洋」の意味をより広くした訳だ。
 イスラムから、アリストテレス哲学を逆輸入した中世のように、古代ローマにもあった陶磁の文化を、17世紀に中国の景徳鎮や日本にて再発見したのである。

 アリストテレスの師匠であるプラトンは、芸術は模倣に過ぎないとして、イデアと比べ低い位置にあるものとして指摘している。
 だが、今日、模倣は悪ではないのではないか。例えば美術館ではいかに精巧なレプリカを作るかが重大な課題となっている。それは頑丈なガラス越しに窺うのではなしに、実際に手に触れて追体験するためだ。
 コミュニケーションの世界でいうと、既にインターネットでの交流を、実際に会うのと比べて劣ったものとして捉える向きは下火ではないだろうか。もしそのような論調が展開されることがあるならば、その論者は対話ではなく体験に重きを置いているのではないだろうか。
 憧れは模倣からその本質を学ぶ。文章執筆も、スポーツも、この点は共通なものと僕は考える。

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