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ネクタイピン有り無し問題

 自慢にもならないが僕はおそらくだが一般的には人よりも多めにネクタイを持っている。色や柄などのバリエーションを楽しんでいる他、その時々での相手への印象効果を考えて結んでいる。
 
 スーツにおいては、基本的には無地同系色もしくはその対となる色を選ぶのが良いとされている。
 19世紀の紳士階級によって黒などが基調とされて以来、フォーマルな場において色とりどりの服装をゆるされるのは主に女性であって、男性のスーツもしくはタキシードなどといった服では完全に型が決まっている。
 現代ではその辺りのルールもかなり緩くなっており、少なくとも日本においてはネクタイはわりと自由が利く。昨今ではアニメとのコラボ商品もあるなど、制服としてではなく自己主張の術としてネクタイを用いる風潮も決して稀ではない。
 
 そんな中で、ことネクタイピンに関してはまた難しいところがあるように僕は感じている。
 そもそもネクタイピンとは言っているが、現代の日本等で用いられているのは、王侯・上流貴族などとは違って概ねクリップ型である。
 スーツのマナー・服飾文化上、身につけても差し支えないアクセサリーは二点ほどと表現しても過言ではない。その一つは腕時計。
 そして、もう一つとして許容されるとすれば、それはネクタイピン(クリップ)となる。
 なぜなら、スーツとしては必要性に乏しいからだ。ビジネスの場ではいずれもあって損は無いが、服装としてはやはりアクセサリーといえる。

 さて、ネクタイピンの利点は当然、ネクタイの位置の固定にある。
 だが、そもそもネクタイピンを付ける位置すら妙な人は案外多い。ネクタイピンは第3・第4ボタンの間で挟むべき。
 主にシャツの胸ポケットの位置。ネクタイがぶらぶらしないためだけに付けている人は往々にして、ネクタイの下部につけたりしているが、あれはよろしくない。

こういうスタイルもあるのか?

 となると、実用もさることながら、やはり見た目が肝心なのである。
 第3・4ボタンの間ということは、ジャケットからもしっかりと見えるVゾーンである。Vゾーンはネクタイの色やバランスを見せる、スーツにおける最大の主張部分である。
 であるならば、ネクタイピンの持つ印象の強さも計り知れない。
 思い返せば、ネクタイピンとしてよく見かけるものは通り一遍のデザイン。ネクタイは何十種も扱っている店であっても、ネクタイピンは無難なものが5、6種類あればいい方か。何なら、ピンズの方が豊富だったりもする。
 
 スーツはこだわりを持つべき代物という価値観はさほど珍しくない。
 だが、ここで厄介な問題が生じてくる。
 ネクタイピンもこだわって、よく見かけるものとは異なる形状・デザインのものをつけるとする。それは果たして、相対的に見て、良い評価を得られるのかどうか、という問題だ。

 どういうことか。
 つまり、ネクタイピンそのものは、無くても構わない。だが、あえて購入し付けている上に、Vゾーンにあることで否が応でも目立ってくる。
 その上、例えば何かのロゴか付いていたり、ネクタイピンがあるモノの形だったりすると、もはやそれは過度となってくると思われる。
 これでは、社会生活の中で、ネクタイピンだけはこだわってはいけないなどという暗黙の了解が何やらみえてくるようではないか。
 小指以下の小物に過ぎないのに、ネクタイピンの持つ印象は思っている以上に大きい。だからだろうか、大統領など、各国の首脳陣でネクタイピンを付けている人をあまりみた覚えがない。

 さて、個人的な解答は以下の通りである。
 もはや人の服装にとやかく言う時代ではない。以上。
 だらしない着こなしであったからとて、「ネクタイピンの付ける位置は~」といきなり講釈をたれる人などいないし、居たとすればそっちの方がマナー違反に近い。
 もはや冷ややかな目を各人でしていればいいのであって、共通コードなど無いに等しいのだから、謁見や表彰の場でもない限り、好きにさせておけばいい。
 なぜなら、どこまでいっても、ネクタイピンはアクセサリーだからである。それも唯一スーツの着こなしの中で許された装飾品であることを鑑みれば、デザインが凝っていないものを付けている方が、むしろその意図や意義に疑問が生じると僕は思う。
 実存は本質に先立つという前提を基にした、過度な見た目重視という意味でのダンディズム、すなわち、造語ではあるが実存主義的ダンディズムはネクタイピンから始まる。

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