ブリッドはレイに通ずるが、それで好きになった訳じゃない
NIKKE指揮官となってから、まだ数日だが楽しく、過酷な戦場を体験している。そんな中でも、初回のガチャにて仲間になり、いまや僕の筆頭のニケでいてくれているのが、ブリッドだ。
彼女は鉄道護衛部隊・インフィニティレールに所属している。アークエクスプレスの列車「AZX」の運転手で、機関車の業務と鉄道事業全般の事務を担っている。
その働きぶりはワーカホリック(仕事中毒)とさえ思われるもので、彼女は効率と合理を、その体と過密なスケジュールを記録したタブレット端末を駆使して、休みなく業務を“運行”し続けている。
彼女とはその容姿や以上のようなところからも、クールな人であるのが分かるだろう。休みがないということは、趣味や遊び、交流というのも無いに等しく、彼女はニケとして、仕事一筋に日々を過ごしているのだ。
そんな彼女を、当初僕は、メカクレでクールな美人として好きだった。だが、彼女の働いている姿を知ると、どこか綾波レイを重ねてしまう。
綾波レイ。僕が初めて好きになった二次元ヒロイン。全ての始まり。嫁・推し活ではなく、アヤナミストであると僕に固持させる存在。
無私……といえば道徳的な、倫理的な目的があるように感じるので適切ではないかもしれない。
彼女たちはただ、すべきことをしているだけ。言い換えれば、「すべき」という概念における優先順位が低いものを、とことんしていないだけなのだ。
ブリッドも、レイと同じく青がイメージカラーであるのも親和性がある。色彩心理というのは思いの外、人間に効果があるので、クール=青であるのの言わずしても、この一致は僕には単なる一致ではなく、ひとつの「タイプ」のように感じさえする。
つまり、ワーカホリックな感じの少女が、ただ使命のために日々を過ごしている、クールな在り方を、僕が好きであると。
たしかにそうとも言える。いわゆる「綾波系ヒロイン」にブリッドが組み込まれるかは怪しいけれど。
しかし、これは一方で個人的には正しくない。そこが、「俺の嫁」「推し」ではなく、僕をして「綾波主義者」を名乗らせる理由だ。
つまりは、僕は彼女たちに憧れている。僕もそうありたいのだ。
でも、そうあれないからこそ、せめて、ブリッドと珈琲を飲み、他の誰でもなく、僕だけが彼女と心を通わせられる存在だと自負したい。
同一化が難しいならば、彼女にも振り向いてもらいたい。それが主義としてのシンパシーであると同時に、二次元愛的な意図での「好きなタイプ」として形成されているのだ。
だが、これはあくまでも理性的な判断だ。ブリッド、君はレイに似ているから好きになった訳じゃない。
僕は一人一人、その在り方に惹かれたからこそ、そばにいたいと望んでいる。働いている姿も、頬を赤らめる姿も、珈琲を嗜んでいる様子も、他の誰でもなく、君だからこそなんだ。
僕はそこまで熱くなれたキャラだけ、グッズを買うようにしている。レイも、牧瀬紅莉栖も、その他の美少女も。
それはあたかも殿堂に、女神像を配置するように、ひとつの祈りとして、彼女たちの存在を常に感じる縁なのだ。
これは現実の好みや価値観とは全く異なる、超俗的で、自己観念的なセカイであり、ブリッドのアクスタを買ったのも、単に愛でるという意味ではなく、己への鼓舞であり、この時期、僕は「ゲーム」ではなく、「NIKKEをプレイ」していたと強く刻み込まれる事となる、ひとつの過程なのだ。
こうして人の趣味は形成される。個性などは幻想だ。あるのは、趣味への姿勢と軌跡である。
僕がクジラやクラゲのフィギュアを一緒に並べてるのを見て、他者は海と美少女が好きなのかなと推測するかもしれない。これはあくまでも個性的な価値観の上でだ。
でも、実際に置いた僕にはそのつもりはない。美少女なら誰でもいいわけでもないし、海の生き物なら何でも置くわけではない。
それは一つの「プロジェクション」であり、“ヴンダーカンマー”なのである。
だからこそ、物を買って消費している・個性を得ているのではなく、モノを通して自身の物語をその都度反芻し、趣味を深めているのだ。
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