私的ゴシック論
最初に断っておくと、ここで言うゴシックとは、中世の建築物などで用いられたゴシック美術・建築のことではなく、より近現代の趣味嗜好としてのゴシックを指す。つまりは、ゴスロリにおける「ゴス(ゴシック)」やゴシック文学と普段使う際の意味である。
そうなると、ゴシックというのは、『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』などといった英国ホラーのひとつの潮流として定義づけられることが多々ある。
ここで注意していきたいのは、ホラーにもいろいろあるよという単純な指摘。例えばスリラーとホラーはその趣旨が異なる。
前者は「スリル」という言葉があるように、「ハラハラドキドキ」が売りなのだ。したがって、サイコパスものや猟奇的なものをスリラーにジャンル分けされることがある。
更にいえば、その対象が心霊的であればスリラー、犯罪者によるものであれば「サスペンス」と呼称される場合がある。「古畑任三郎」はサスペンスと言えば、ある程度の方には伝わるはず。
サスペンスとミステリーの差は、読者・視聴者に犯人の正体が知られているかいないかであると一般に説明される。
そこで、ミステリーの中でも、真実が社会的なテーマであれば犯罪小説における「社会派ミステリー」や組織に関するものなどであれば「警察小説」とされる。
一方で、名探偵役による謎の解明がなされるのをメインとするのは、本格推理小説、あるいはかつての訳語として「探偵小説」と呼ばれるものだ。
そして、この謎に科学的―すなわち論理的―手法・回答があった場合、それは推理小説となり、謎の正体がこの世ならざるもの等であれば、それはホラーに分類される。
そして、恐怖を体験するのを主題とするのではなく、我々の世界のすぐ近くに、全く異なったもうひとつの恐怖やおどろおどろしい世界が存在していることを明かすのが、ゴシックというジャンルであろうと僕は考える。
このように、少し回りくどい補助線をひくことによって、ゴシックというものへとようやく近づけるところに、その本質があろうと思われる。
ここで改めてゴスロリが解釈を手助けしてくれる。ロリータ(服)というのは、幼児服を着ていれば良いというものではない。実際に、大人の女性がコスプレとして女児服を着て、それをSNS等に投稿したりする文化・同人はある。なので、ここで言うロリータとはやはり、「人形のような」、メルヘンチックなものであることが通例である。
そして、ゴスロリとは、ロリータ服にダークな印象・色彩をまとわせることを主題としている。
服飾で「ゴス」と言ってしまうと、今度は悪魔崇拝的な思想とセットで用いられることが多いようだ。「ドラゴンタトゥーの女」が所属しているグループなど。ゴスロリとゴスが異なるのは、地雷系ファッションと地雷が違うのと似ている。
そうなると、先に述べたように、ゴシックというのは、恐怖したり忌避するものというよりも、平行線上に存在する(かもしれない)もうひとつの社会の様子を明らかにしているのであって、そこから逃避したいという想いが前面に出てくるとそれはもはや「ホラー」になってしまう、極めて曖昧にして繊細なバランスで垣間見えるものだということ。
精神的なフライングバットレスによって構成された世界観こそがゴシックの見どころで、重厚な雰囲気が、少しのバランスを欠いただけで崩れ去ってしまうようなところに妙趣がある。単に病んでいるのでは、それはゴシックではないし、自身が怖いと思うものをゴシックとして心理的に賛美することはできない。
ダークコメディとしてのニュアンスがあれば、それはゴシックとして通用し得るのではないだろうか。風刺やブラックジョーク、あるいは迷信を、文芸ないしは「幻想的」なコンテンツとして楽しめるかどうかこそが、ゴシックに昇華されているかを左右する。
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