『白百合』第六号:受胎告知
キリスト教美術における百合
「受胎告知」
百合の純潔というイメージは、聖母マリアの象徴として長らくキリスト教美術では扱われてきた。ここでは、特に「受胎告知」に着目し、概容と百合との関わりを紹介したい。
いくつかの絵画はWikipedia「受胎告知」の美術項にあるため、それを参照すれば、より分かりやすいだろう。
なお筆者はキリスト教の文化歴史に関心を寄せているものの、いずれかの宗派に属しているわけではないため、いささか教徒にとっては不遜に思われる箇所もあるかもしれない。その点、フラットさを意識し、注意したつもりではあるが、ご容赦願いたい。
「受胎告知」とは
『(新約)聖書』「ルカによる福音書」第一章に、いわゆる受胎告知のシーンが始まる。「マタイによる福音書」にも描写がやや異なるもののある。
全てを引用するにはいささか長いのでここでは差し控えるが、『聖母の美術全史』には、15世紀のフィレンツェの説教者フラ・ロベルト・カラッチョロ・ダ・レッチェによって考察された受胎告知の五段階が紹介されている。
御使カブリエルへ聖母となったマリアがみせた態度である。
※以下、該当箇所は、『聖書』(日本聖書協会/1965)からの引用である。
戸惑い
「この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、」省察
「このあいさつはなんの事であろうかと、思いをめぐらしていた。」問い
「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」受け入れ
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」祈り
したがって受胎告知を描いた絵画は、このいずれかの部分を切り取ったものであると言える。様々な描かれかたがなされてきた。しかし宗教画にはクラシックとしてのルールがあり、画家のオリジナリティは時として逸脱ともなる。それ故、共通するのはテーマだけでなく、その構成も含まれる。
マリアの純潔性と白百合
「受胎告知」という状況がそうであるように、とにかく肝心なのはイエスがマリアの保護者であるヨセフの子ではなく、神の子であることの証明だ。
それを処女受胎・天使カブリエルによって告げられるという現象によって聖書は示している。
さて、それを絵画にするにあたり、天使とマリアを描くだけでなく、いくつかの象徴物を取り入れている。ひとつは「閉ざされた庭」。これが処女性のモチーフとして時折登場する。
そしてもうひとつが「白百合」である。
そもそも古くは、天使が持っているものは「権威杖」であることが多かったが、矢代幸雄(著)『受胎告知』によるとイタリア人によって謁見式のような光景から、直きに花咲く杖、花咲く木の枝へと変わり、やがて浄化の花・白百合へとなったという。
同書によると、当初、必ずしも白百合が受胎告知の花ではなかった。だが、古い信仰から治癒の力を持つとされていたことが、マリアに適合するとされたなど、いくつかの理由が想定されるようだ。
なお、『聖母マリア <異端>から<女王>へ』ではこのようなエピソードが紹介されている。
シンボルとしての百合
北星堂書店『シンボル事典』をみてみる。
索引によれば「百合」という文言が含まれている項は幾つかある。その中でも、「天使」と「花」の二つを紹介しておこう。
天使の項では、表として数名の天使が紹介されている。
「位階:中、名称:力天使(Virtues)、天使名:ユーグエル」が今回、該当する。
この天使の機能は神の美徳を守るとあり、表象は「白いゆり(純粋無垢)」「赤いばら(キリストの受難)」の二つが挙げられている。
他の書籍とも合致している内容である。
そして別に、花の項でも表となっているのだが、その中で「ゆり」は、まず色を白であると規定したうえで、表象は純粋無垢と紹介されている。
そして絵画他典拠は「聖母マリア受胎」と「ユーノー」とされている。
後者は、ローマ神話で女性の結婚生活を守護し、主に結婚、出産を司る女神の名である。それもローマ神話における主神ユーピテルの妻であることからも、大変、地位の高い女神であることがうかがわれる。
そしてこの属性は、やはり聖母マリアと父なる神、そして子なる神イエスとの関係性にも符合するように思うのは当然の流れだろう。
そういった際に、あくまでも純粋性を表現する指標が、特に絵画には必要とされ、相互作用によって今日、百合のイメージが定着したのである。
ちなみに、花の「パンジー」の項に、「ばらや百合の清浄な花の対である」と書かれていることも注目に値する。
白百合の与えた影響
白は聖母マリアの純潔を表す。この決まりは、元からあった百合への信仰と、絵画的表現技法と相まって定着した、民族的支えによるものであったのだ。
そのイメージ・モチーフが後世に与えた影響は計り知れない。
例えば、ローマ教皇の衣服は白色だが、その由来もこの純潔性を参考にしたものである。
ガールズラブジャンルとしての「百合」もまた、無関係とは言い難い。
今日、ジャンル名称として扱われる「百合」は、ピクシブ百科事典によると、聖母マリアとは関係しない。
だが、漫画・一枚絵の描写としてそれが定着したのは、マリアの処女性を示したのと同様の効果が認められたからであろう。
象徴として用いる例は多く存在しているが、「花言葉」という文化の歴史は19世紀の西洋で流行したという。これによって、百合が「純潔」「威厳」の象徴であることの不文律時代が幕を閉じ、イコールの関係へとなったと考えられる。
今回は「受胎告知」をメインに百合を捉えてみたが、その他、「イースター・リリー」など、多くの場面で確認できる花、それが百合である。
フルール・ド・リス(Fleur-de-lis)と呼ばれる歴代のフランス国王の紋章は意匠化されたアヤメ(ユリ目に属するとされた)の花である。直訳すれば「百合の花」。やはり、神聖なものに近い花であることが分かる。
以前、日本でも古くから百合が親しまれていたことを述べた(第三号)が、キリスト教圏においても類似した文化があった、そして現在も続いていることであろう。
聖書の本意とは若干異なるかもしれないが、まさにこれこそ、「ソロモンの栄華も百合には如かず」というところか。
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