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2Bのゴーグルは眼帯フェチに含まれるか

 近々、アニメも第二期が決定している「NieR:Automata」。その主人公的役割を担うキャラクターが「ヨルハ二号B型」、通称2B。
 彼女といえばコスプレ界隈でも人気が高い。確かに属性というべきアイコンが多く盛り込まれている。銀髪、ショートボブ、ドレス的な服装。
 その中でも個人的に愛でたいのはカチューシャと、もうひとつ。

 そう、ゴーグルである。一見すると目隠しだが、彼女らは非常に素早い機動力でロボットと対峙しているように、しっかりと視界は確保されている。また、着脱が自在なことからも、最初からそういう使用のアンドロイドでも、また器官として目が無いわけでもない。あくまもで装備の一つ。

 さて、2Bはあのゴーグルあっての2Bだと僕は思っている。それぞれの属性は魅力的ではあるが、もし最初から目隠しのような黒いゴーグルが無い状態で登場していたら、今ほどの印象や影響を及ぼしてはいなかったのではないだろうか。ありがたいことに、二次元には銀髪美少女など星の数ほどいるわけで。
 あのゴーグルがあっての、外した際の目の美しさが映えるというもの。

 ……そうではあるのだが、では、彼女のゴーグルを「眼帯」として愛好することはゆるされるのだろうか。
 僕は上記の記事で、はっきりと、眼帯は医療的であること(海賊のようなものや、シール型はあまり好まない)と明言している。
 彼女たちは戦闘のためにあのゴーグルを身につけているのであって、視覚上に問題があるわけでも、中二病的に妄想の世界で楽しんでいる訳でもない。
 とすると、やむにやまれぬ事情によって着用している点では、眼帯に近しい存在であると認められるのではないだろうか。

 次に、ゴーグルが覆っているのが両目である点が厄介だ。多くの場合、キャラクターが両目に眼帯をしていることは無い。そういった必要性がある場合は、包帯を目・頭に巻くことで表現される。おそらく実際の場合もそうなのでは。
 これが片目であれば、カカシ先生のような、キャラ論としてのアイデンティティの表現でありつつ、写輪眼を隠すという設定上ないしは生活上の必要性が担保されている。

 だが、2Bのゴーグルデザインだけを見れば、なかなか美しいものがある。
 例えば9Sの場合、黒い布を巻いただけに見える。
 一方で、2Bのものは、右側が頬のあたりまで流れていることで、美的なデザインに仕上がっている。
 また、これによって普段の状態にある時、メカクレヘアと右側のアクセントによって、「隠す」ニュアンスが発生している。すると、常時は眼帯の持つフェティシズム条項に適いだす。

 だが、何よりも眼帯フェチに適うポイントは、彼女がゴーグルを愛でられるのを求めていないことである。
 もし平和な時代が来たならば、彼女は真っ先にゴーグルを脱ぎ捨てるだろう。それのみを愛されるということは、彼女の側面しか見ていないのと同様であろう。まさしくこちら側が目隠しにあった状態であると、当人には映ることと思われる。
 その儚さや本来であれば無かったであろうハンディが、何よりも強調されてしまうことはおろか、時にはアイデンティティ・自己表現・美的センスの発露にまで発展する逆説性に、僕は彼女のゴーグルへの審美欲求を掻き立てられる。

 このように、眼帯というジャンルにとってはイレギュラーではあるが、その条件・現象としての類似性が多く認められるならば、僕個人の中では同様の扱いをすることとする。
 カチューシャを愛でる際は、「カチューシャとは、ヒロイン個々人にとってのティアラである」と言い換えているのも、このような思考プロセスに由来する。

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