100年の孤独/放哉に想う〈Vol.43〉
1914年(大正3年)、放哉29歳のとき東洋生命保険株式会社大阪支店に次長として赴任し、天王寺に住んだことが年譜に記されています。
大阪では人間関係にたいへん苦労したようです。そんなことも影響したのか、1年足らずで東京本社に戻されています。
大阪の水……というか、放哉は大阪人の気質にどうもなじめなかったようです。
大阪の天王寺には、”隠れた名所”ともいえる天王寺七坂があります。北から南へ真言坂・源聖寺坂・口縄坂・愛染坂・清水坂・天神坂・逢坂――とつづきます。いまも石畳の通りにならぶ寺々がしっとりとした趣を呈しています。
当時、放哉が天王寺七坂を訪れたかどうか定かではありませんが、お寺好きの放哉ですから、ぶらりと訪ね歩いたかもしれません。
写真は天王寺七坂のひとつ、愛染坂です。