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100年の孤独/放哉に想う〈Vol.31〉 須磨寺逍遥

放哉が神戸の須磨寺で過ごしたのは、1924年(大正13年)6月から翌年3月。この間、同寺大師堂の堂守をしていた放哉は、師の井泉水に宛てた葉書でこう書いています。「私は……一日物も言はずに暮らす日があります、知人は一人も無きことゆゑ無言でゐる事が大へん気持がよろしいのです……」
ようやく得た「独居無言の生活」に満足している様子が伺えます。
大師堂でロウソクやおみくじを売っていた放哉は、参拝者がいなくなる夕方や雨の日などに句作に専念していたそうです。

炎天でみた句碑の光景

                          参道につづく仁王門(正面)と上野山

須磨寺の正式名は上野山(じょうやさん)福祥寺。源平ゆかりの古刹としてつとに有名なお寺です。そして、芭蕉や蕪村、子規なども訪れており、境内にはそれらを含めた二十四の句碑・歌碑が点在しています。そのうち、放哉の句碑は大師堂前の「敦盛首洗池」の脇にありました(写真下)。
句碑は、師の井泉水筆によるもので流麗な筆致が印象的でした。句は須磨寺時代に詠まれたもので、この地は月の名所でもあります。

こんなよい月を一人で見て寝る

尾崎放哉全句集より
                             熱心に句碑を見る老夫婦

仲睦まじく夫婦で句碑を訪ね歩くとは、なんとうらやましいことか……炎天下、ひとり大楠の影に身を寄せてそう思いました。放哉も妻馨とともに平安な暮らしがしたいと願った日もあったでしょう。でも、もしそれが実現していればこの句も詠まれなかったに違いありません。

亀の孤独は100年つづく
仁王門をくぐって右側に観音池があります。「かめの池」とも呼ばれ、文字どおりたくさんの亀が棲んでいました。人影に餌を求めて寄ってくる亀の姿には、句にあるような孤独のエッセンスは感じられませんでした。しかし、亀の動きは100年前と大差あるとは思えません。そう、放哉の視座はそんな所作ひとつも見逃さない句境だったのでしょう。

沈黙の池に亀一つ浮き上る

尾崎放哉全句集より
                                 須磨寺観音池の亀


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