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特別インタビュー 羆撃ち 久保俊治(前編)

聞き手=『狩猟生活』編集部(収録日:2016年11月1日)

長年、単独で山に入りヒグマ撃ちを行ってきた久保俊治さんに狩猟にまつわるあれやこれやを聞いてみました。

久保俊治さん

獲る者と獲られる者が対等なら、真剣にならないといけない

鉄砲撃ちに危害がない動物ならいいんですが、それが逆になったらたいへんなことです。いまはいいライフルが手に入りやすいから、シカ撃ちを基本にして、開けた場所で遠くの獲物しか撃たない傾向がありますが、猟の面白さはいかにして近づくかということです。

山のなかに入って撃つことを考えると、遠くの獲物を狙うだけではオールラウンドにならないわけです。その点、昔はライフルが一般的じゃなかったから、みんな近くでしか撃てなくて、それでも獲れたのです。自分のことを考えてみてもそうです。

――そこにある大きな頭骨は何でしょうか?
このヒグマは、つい最近獲ったものです。これはかわいそうなクマでして、牙は折れ門歯もこれしかありません。おそらく箱罠にかかって、檻をかじって歯が悪くなったのだと思います。
研究者は、そこまで気にしないから、そのまま放すでしょう。それでも野生のなかで生きていかないといけないんです。本州で遭った被害や北海道で人が襲われたという話でも、これが原因になっていることも考えられます。いわゆる手負いですから、人に危害を加えられた経験をもっています。

久保さんの自宅のすぐ裏で捕獲したこのヒグマの歯はボロボロだった。おそらく檻で捕獲されてから、放されたと思われる。このような手負いを出してしまう、ということを考えなくてはいけない

――クマはエサがある所に居着いているんでしょうか?
昔からみたら、クマの習性が変わってきています。

――久保さんが狩猟を始めたころと比べると、実際にはどのようになってきていますか
まず警戒心が薄くなっていますね。昔は、シカはこのあたりにはほとんど居ませんでした。ヒグマがたまにシカを獲ると必ず埋めていましたが、いまはまったくといっていいほど埋めません。ヒグマは、共食いでも何にしても、昔は必ず埋めていました。
埋めるということは、いわゆるなわばり宣言だと、私は思っています。それをしなくなったのは、なわばりという感覚がクマ自身になくなったこと。それだけ魚を食べたりシカを食べたりとか、エサが多様化しているということです。

――エサ自体は多くなっているということなんでしょうか?
北海道でヒグマが里に出たときは、必ず山にドングリが足りないから、というのをすぐに理由に挙げますが、私からみると7割違うと思います。いまみたいに肉食が多くなかった時代では、クマは2〜3番目に食べる代替物をもっていて、それを探し歩いていました。
今年みたいに天気が悪くても風が強いときでも、ドングリが残っている所は必ずある。冷害でも。春の開花が遅い所は遅霜にやられないとかね。そういう所を、彼らは覚えている。コクワひとつとってもそうです

――コクワを食べだすと、ひたすらコクワだけを食べるのを聞いたことがあります
そうです。コクワの場合は、木に上って食べるということをしませんから、落ちている実を食べます。ヤマブドウの場合は、ときどき上るときもありますが

――ヒグマは木に上るというのをあまり聞いたことがありません。ツキノワグマは、しょっちゅう上っているようですが
ヒグマは若いときだけですね。ツメの形状がツキノワグマと違いますから。それから、もっと面白いものを見せましょう

フンからその動物の食履歴がわかる。これは当歳子を食べたフンだろうと、久保さんは推測する。
それを食べたのは、前述の頭骨のヒグマと思われる

――これは何ですか?
ヒグマのフンです。

――この毛みたいなのは?
当歳子を共食いしたんでしょうね。こういうのを、山を歩いていて見つけてくるのも面白いんですよ(笑)

――食べているものによって、出てくるものが違うというのを読んだことがあります。コクワを食べていると緑色のフン、ヤマブドウを食べると紫色の皮と種のフンとか
どんぐりは、ねと〜っと粘土のようなものだったり。この毛が混ざったのは、このヒグマが食べたものじゃないかと思っています。
骨が混ざっていないんですよ。歯がないから骨が砕けなくて、身の部分だけを食べてしまったということなんだと思います。これだけ、一カ所で食べるというのは珍しいですよ。これは、春先に食べたものだと思います。穴から出てすぐでしょう。

――共食いは頻繁にあるものでしょうか?
あるはずです。昔はもっと多かった。エサが少なかったこともありますが、なわばり意識が強かった、というのもあるでしょう。だから、メスは自分の子を守るためにものすごく警戒心が強い。 いまは、ウトロあたりではほかのクマがいても魚を捕りに別のクマが出てきます。それだけ警戒心が弱くなっています

――このほかにすごいフンはありますか?
本(『羆撃ち』)にも書きましたが、成獣同士の共食いはすごかったですね。それも埋められていて、土を掘るわけではなくて葉っぱや木をかぶせるだけなんですけれど、その周りにはたくさんの毛のフンのなかに白い骨片がたくさんありました。
小さいのは全部食べてしまえるから、埋める必要がないんです。食べきれない分を何日間か通っています。埋めた場所と、潜んでいる場所がだんだん離れていき、食べ終わるとこなくなる。ウシが襲われたときなんかも、同じです。

――一度、食べたものを気に入ると、同じものになるんですか
そうです。牛舎が襲われることもありますが、あのウシの巨体を山奥へ引きずっていくんです。ホルスタインだと、だいたい体重が700〜800㎏ですが、それを引きずっていきます。苦労しているような運び方じゃなくて、軽々持っていく感じ。ウシを、その場で殺して、山へ持っていってしまう。

――ヒグマが来る前は、牛舎が一瞬静まりかえる、というのが著書にありましたが?
ヒグマが来るのを、5分くらい前からわかる。人間にはまったく音がしなくて、人間の感覚ではわかりません。ああいう感覚がわかるようになるといいのですが……。

――クマってひとくくりですが、やはりそれぞれが違いますか?
みんな個性がありますね。

――著書のなかで、牛舎が襲われ、そのクマを駆除したら、また別のクマが、駆除したクマとまったく同じルートをたどってきたという記述があって不思議だなと思いました
まったく同じでした。たどった道が書いてあるわけじゃないのに、一週間もたったら、同じようにその場所に入ってきて、ウシを獲ってもいいんだ、という意識になってしまっている。

――そのクマは、駆除されたクマのことを見ていたのでしょうか?
それはないと思います。ちゃんとした棲み分けができていたわけですから。多少、重なるところはあるにせよ、棲み分けがありました。
初めにウシを襲ったクマはいつも近辺を歩いていましたが、牛舎を襲うということはいっさいなかったんです。ところが、ある日突然、なんですね。その年、山のなり物、いわゆるドングリがなかったかといわれれば、そうじゃなく、ある日突然、やり始める。

――それは久保さんの著書に書かれていた、狂気クマのことでしょうか
そうです。あとから来たクマも、同じ方法でウシを獲る。先のクマは4頭、次々にウシをもっていったけれど、埋めなかった。毛の付いた皮だけを残していました。けれど、あとから来たクマは食べ残しを埋めていた。あとから来たクマを獲ったあとは、その後、一年以上、クマはその場所にはこなかった。

――気配というものは、いったいなんでしょうか? 動物って、すごいですよね。どうやって感じ取っているのでしょうか?
気配なんでしょうね。言葉がないだけに、気配というものがすべてなんです。だから、ある面では、いまのクマのほうが獲りやすいんです。まわりにシカがいますから、音をあまり気にしなくなっています、昔ほどは。
クマにとっては、シカも人間も同じものなんです。そこでもって、このような手負いが出てくると危ないんですよ

――手負いになると、人を襲うんですか? 避けるんですか?
ヒグマの場合は、ちょっと避けるほうが多いと思います。ちゃんと、クマ側が警戒するようなことを人間側に発信しているんですが、それがわからない人が多すぎる。
最終的に近づくな、というヒグマの声は、普通の人が聞いてもわからないと思いますね。腹の底から「フゥヮヮヮ……」というような唸り声じゃなくて、なんというか空気を吐き出すような音。それをすぐ近くで出すんです。姿は見えませんが。特に、夜が多いですね。それを聞いても、なんだかわからなくてそのまま行くと、アキアジの密漁者などはやられてしまうわけです。

――わからないだけに、怖いですね
昔のクマは、近づくということを許さなかったんですね。

――山に入ると、一頭で何日間ぐらい追うんですか?
のべつまくなしに山に入っている状態でして、毎日山に入っているんですが、一年に1回いいチャンスにめぐり合えればいいところで、10月から11月上旬では逃げられることが多かったですね。
そのころのクマは、逃げながらクソをたれるんだけど、緊張しているもんだから、ベタベタベタベタっていうたれ方です。いまのクマは、ほとんど一カ所ですから、それだけ緊張状態が薄れているということなんですね。
札幌近辺に出ているクマは、舗装道路で一カ所にクソをする。昔だったら、考えられないけれど。クマがそれほど人を気にしていないんだから、クマが手負いじゃないなら大丈夫だと思わないといけないけれど。こういう手負いにしてしまったものは危ないと思わないとだめ。研究する方々には、檻の種類や使い方をしっかりしてもらわないといけません。
あとは、檻から出したときのいじり方。経験者がもっときっちり教えてあげることが大事。いまは、鉄砲の手負いよりも、檻などによるダメージがかなり多いと思います。

――この状態になるのは、わかっているはずですよね
檻を嚙むときに血だらけになっているのがわかっているのに、それを放してしまう。放獣しても、狭い日本だから、60㎞の距離なんてひと晩あれば帰ってきてしまいます。

▶︎特別インタビュー 羆撃ち 久保俊治(中編)へ続く


Profile
くぼ・としはる
1947年、北海道小樽市生まれ。日曜ハンターだった父に連れられ、幼いときから山で遊んだ。20歳になってすぐに、狩猟免許を取得。父から譲り受けた村田銃で狩猟を開始する。'75年にアメリカに渡り、ハンティング学校で学び、その後、現地でハンティング・ガイドとして活躍する。'76年に帰国し、標津町で牧場を経営しながら、ハンティングを行う。著書に『羆撃ち』(小学館)、『羆撃ち久保俊治 狩猟教書』(山と溪谷社)がある



※当記事は『狩猟生活』VOL.1「羆撃ち久保俊治」の一部内容を修正・加筆して転載しています。