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なかなか信じてもらえない、長月と病の今まで。その1

・事実は小説よりも奇なり

 今回は自分の病や命に係わる出来事をまとめて書きたいと思います。
 「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、自分の人生はもしかしたらその類に該当するかも…
と思うほど色々在った様に感じています。

 自分自身、人に話す時は「話を盛っている」と思われるのではないか…
不安になる事もあります。

・一度目の心肺停止

 実は私、長月は2度、心肺停止を経験しています。
 1度目は生まれる直前。
母に陣痛が始まったのが予定日よりもかなり早く、22週ほど。
 最初は薬で出産を抑える処置が行われたらしいのですが、母への投薬後、まだ胎児であった自分の心音が確認できなくなってしまったらしく、今度は慌てて出産を促進する薬を母へ投与。
 程なくして出産されたものの、半死産の状態だったらしく蘇生処置が行われました。
 産声を上げることができましたが、医師から家族には「助かる可能性は極めて低いので覚悟してください」といわれたそうです。
 幸い、その後何とか持ち直し、最初の危機を乗り越えることができました。
 今思うと、この時に既に自分の病との戦いは暗示されていたのかも…
と感じました。

・3度目のおたふく風邪? 

 ある程度大きくなり、人並みに育った幼少期。
 そして小学校へ通い始めて1つ気になる出来事が。
 俗におたふく風邪と呼ばれる流行性耳下腺炎(ムンプスウィルス感染症)ですが、一般的には1度、多くても2度罹患すれば免疫がつくらしいのですが、自分は何故か3回経験しました。
 当時は親もあまり深刻に考えず、「そんなこともあるのかなぁ?」程度の認識でした。
 その後 水痘水疱瘡)に罹ったりもしましたが、大きな病気も無く日々を過ごしていました。

・骨折と二度目の心肺停止

 時は経ち10歳のある日、小学校で遊んでいる時に自分でも覚えていないのですが、変な転び方をしたらしく、右腕を複合剥離骨折
 手術が必要な為、家の近くの総合病院へ入院することになりました。
 手術は2回。
 一度目の手術で金属プレートなどを腕に挿入し、骨をボルトで固定する事になりました。
 そして手術当日、事件は起きました。
 なんと麻酔科の専門医が手術室に居らず、麻酔の調整に失敗したらしく、自分は手術開始早々に心肺停止となった様です。
 今でも慌てふためくドクターと看護師、激しい眩暈の感覚、心電計の警告音、気管挿管の一部始終の記憶は鮮明に残っています。
 もしかしたら臨死体験をしていたのかもしれません。
 程なくして麻酔科医が駆け付け心肺蘇生が行われ、手術は続行された様です。
 そして数か月の入院の後、腕に挿入した金属プレートを取り除くため2度目の手術を行うことになりました。
 一度目の手術の時、麻酔に問題が在った為、局所麻酔で行う事になりました。
 意識ははっきりしている状態。
 安全のためか手足を手術台にがっちり固定された中で、腕を切られている感覚と若干の痛み電動機器での処置の振動など感じながら受ける手術はとても恐ろしかったのを覚えています。
 その後は順調に回復し、退院。
 ごく普通の小学校生活を送り、無事卒業することができました。
 数年後、入院、手術した病院は倒産してしまったらしく、現在はなくなってしまいました。
 もしかしたら、他にも問題があったのかも…

・突然の痙攣発作

 中学に入学して、から半年ほど経ち、ある日の夜、自宅でトイレに行こうと自室から廊下に出たところ突然の眩暈、すぐに意識を失いました。
倒れた音に親が気が付き、駆け付けたところ、全身が痙攣を起こしていたそうです。
 翌日、地元の病院を受診するも原因が判らず、脳神経の専門科のある病院を紹介され受診。
 脳波測定や血液検査など、いくつもの検査をするも原因が判らず、その後は病気か何か有耶無耶なまま過ごすことになりました。

・ジベル薔薇色粃糠疹

 ある日、ふと気づくと太ももの辺りに赤い発疹のようなものがいくつもあり、最初は蕁麻疹かと思っていました。
 そしてその発疹は日に日に面積を広げ、増えていったので、近くの皮膚科を受診。
 ジベル薔薇色粃糠疹という病気らしく、詳しいことは判っていないそうです。
 対処療法的にステロイド軟膏を塗り、1ヶ月程度で症状は収まりました。

・IBS(過敏性腸症候群)

 そして中学生活が2年目を迎える頃、じわじわとお腹の調子が悪くなり、毎日の様に下痢をする様になりました。
 医師には精神的なものと言われ、両親にもあまり理解してもらえず、中学生にとって学校での排便はいじめの対象となる事もあり、学校は休みがちになりました。
 高校進学時は中学での出席日数が足らず、地元の内科医に過敏性大腸炎、今でいうIBS過敏性腸症候群)と診断書を書いてもらい、なんとか進学することができました。

・謎の感染症

 発症の正確な日付は覚えていないのですが、或る時、人生で経験したことの無い激しい倦怠感と発熱に襲われ、地元の病院を受診。
 血液検査の為に採血をし、その場では原因が判らず一般的な風邪の薬を処方されて帰宅。
 しかし帰宅後も病状は悪化の一途をたどり、翌日も熱は下がらず、自力でまともに歩くこともままならなくなってしましました。
 受診した病院へ電話連絡を入れ再び受診。
 抗生物質等の点滴を受け、帰宅。
 少し楽になった様な気がしました。
 数日後、血液検査の結果が出たものの原因不明。
 医師曰く、「白血球が何かを捕食した痕跡は見つかったのだが、食べられたものまでは分析できなかった、おそらく何かの感染症だろう」との事でした。
 何か腑に落ちない気がしたものの、それ以上は調べようがなかったので、帰宅して、体が楽になるまで自宅で数日間安静にして過ごしてていました。

・激しい頭痛

 高校生活はお腹の不調との付き合い方もある程度身についた事と、学校での排便も特に弄られる事も無かった為、授業中にトイレに立つことはありつつも、何とか過ごすことができました。
 しかし或る日の朝、目を抉られる様な激しい頭痛を体験し、地元の大きな病院へ。
 診断は「自殺頭痛」とも呼ばれる「群発頭痛」でした。
 この頃から慢性的な頭痛持ちとなってしまい、頭痛薬が手放せなくなってしましました。

 その後大学に進学するも、レベル的に少し無理をして入学してしまった為ついていけず、中退。
 専門学校へ入り直し、今の仕事へと繋がる事となりました。
 大学入学から現在の仕事に至るまでは長くなりそうなので、また別の機会に書きたいと思います。

・血尿

 そして、専門学校を卒業後の或る日の朝、トイレで用を足そうと思ったところ、排尿時に違和感を感じたと思ったら、大量の血尿。
 血尿というよりも血そのものが出ている感じに近かったように記憶しています。
 すぐに地元の病院を受診。
 尿検査でも溶血、非溶血ともに(+)。
 造影剤を身体に入れて出血経路を探したものの見つからず、結局原因は判らずじまいでした。

・不定愁訴と新たな病院との出会い

 その後も、元々お腹が弱い事と、頭痛、肩こり持ちで、やや不眠。
 いつの間にか慢性鼻炎も発症し、冷え性や、身体の節々の痛み、時々不整脈を感じたり、気が付けば所謂 不定愁訴と呼ばれる症状をいくつも抱えていました。

 そんな中付き合いの長い友人から、
「東洋医学科の在る良い病院があるよ」
と教えてもらい、通い始めることに事になりました。

 かなり長くなってしまったので今回はこの辺りで…

 新たな病院との出会い以降は次回に記したいと思います。

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