赤いボールは誰の物
子供の玩具の貸し借りについて
最近の私は、嫌な母親だと思う。
児童館や公園で息子が遊んでいる玩具を誰かが遊びたがっても、息子が嫌がれば貸さない。
「ごめんねー。今、遊んでいるからもう少し待ってね」
へらへらっと笑ってあしらい、さりげなく取られないようガードする。
(ああ。私って、感じの悪い母親だな)
少し前の私だったら、そんな事をされたら『なんて意地悪な人だ』と内心罵っていた。
だから、笑いながらも罪悪感がじわりと滲んだ。
≪赤いボール≫
私がこんな風になったのは、息子と通っていた体操教室での出来事がきっかけだった。
その体操教室は、母子同室だが3か月で1万円以下の格安な上に、人気講師が開いている為とても人気があった。
今回、運よく抽選が当たって入れたものの知り合いはおらず、周りが雑談に華を咲かす中、息子と2人で端の方にいることになった。
(まあいいさ。体操しに来てるんだし)
ぼっちなのは元々なので、特に気にせず参加し続けたある日のこと。
「今からバランスボールを出すよー」
講師はそう言うと、倉庫からバランスボールを取り出した。
ぽんぽん、と次から次へと室内を跳ね回る大小色とりどりのボールに、子供たちは瞬く間に夢中になる。
息子も例外ではなく、目をキラキラと輝かしてボールを追いかけ回す。
やがて、彼はひときわ小さな赤いボールに目を付けると、ぽんぽんと叩き始めた。
「良いの選んだね」
そのボールを一緒に叩いたり、座らせたりすると、息子は益々嬉しそうに笑った。
その姿は本当に楽しそうで、思わずこちらまで一緒にはしゃいでしまう。
「全員分は出して無いから、無い子はお友達と一緒に遊んでね」
講師はそう言うと倉庫を閉め、休憩を告げた。
(はて。どうしよう)
お友達、といっても、知り合いはこの場にはいない。
しばし悩むが、他の子が来たら共有して使えばいいか、と思い、息子とボールを挟んで遊んでいると、1人の女の子がこちらに向かってきた。
「一緒に遊ぶ?」
息子は同い年ぐらいの子が好きだ。
周りが同い年のお友達と次々とペアを作って遊んでいるのに対し、自分は母親とペアを組んでいるのに不満だったのだろう。
すぐにその女の子とボールを叩きあった。
しかし、その女の子はみるみると表情を曇らせ、やがて息子から赤いボールを奪い取った。
「あ!」
息子が短く悲鳴を上げる。
その女の子は、素早く自分の母親の元に行ってしまう。
私は一歩も動けずにいると、状況を把握した母親がすまなそうに違うボールを私に差し出してきた。
それは、一回り大きい黄色いボールだった。
「違うの!息子ちゃん、赤いボールが良かったの!!!」
それを見た息子は叫び、一方の私は困惑した。
あの赤いボールは、女の子ががっちり掴んで返してもらえそうにない。
「えーっと、えーっと・・・ごめんね。あれはみんなのものだから・・・」
黄色のボールを差し出されたとき、思わず受け取ってしまったのがまずかった。
(今更返せ、なんて言いづらい)
それにこれは公共のものだから、息子の物じゃない。
返せ、というのもオカシイ気がする・・・。
そんな事を考えながら、何とか息子にこれで遊んでもらおうとはしゃぐ振りをしたり、歯切れ悪く諦めるよう説得する。
息子はそんな私の様子で、自分の希望が通らない事を悟ったのか、しぶしぶと遊び始めるが、彼は教室が終わるまでずっとその赤いボールを目で追っていた。
≪もやもやする≫
(やってしまった・・・・)
1歳半が過ぎたぐらいからか、段々と物の貸し借りでもやもやする事が多くなった。
『他人が遊んでいるもので遊びたい』
それは、どの子でも共通するもので、すんなりと物の貸し借りが出来る子供はいない、と思う。
少なくとも、周りの同い年ぐらいの子供たちはみんなそうだ。
「だめよ。これはみんなのものだからね」
「少しぐらい、貸してあげたら?」
遊び場で、他の子が玩具を欲しがって来たら、そんな言葉を口にしたり、時には強引に息子の玩具を貸すこともあった。
他人が使っている玩具は『今使っているからね』と、違うものに興味を向けるように誘導もするが、なかなか上手く行かないのが現状だ。
今まで、模範的にしてた。
幼児向けの教材でも、絵本でも、『どうぞ』と玩具を貸せました、というのは褒められるべき行為で、子供にもそれを行ってほしい。
そうするよう、親が導いていくべき、だと考えていた。
けれど、すんなり納得するわけがない。
怒ったり泣いたりして、これは自分がずっと遊びたいと主張する。
その度に諭したり、その場から離したりしてきたけど
(これは、本当にこの子の為なんだろうか)
悲しそうに赤いボールを目で追っていた息子を見て、自問する。
(私は、そうやって、自分が“ちゃんと躾してる良い親である”というアピールをしたいだけではないか)
他人からの心象
世間の目
決して真実を確かめることができない、そんなものにびくついて、息子の心を踏みにじってはいまいか。
もやもやする。
この子、このまま玩具を取られっぱなしでいいんだろうか。
「貸して」と言っても貸してもらえず、「どうぞ」ばかりさせ続けて、この子は納得するだろうか。
私なら。
私なら、嫌だ。
搾取され続けるなんて、嫌だ。
誰にも渡せなくなるし、欲しいものだったらさっきの子みたいに強引に奪ってしまいたくなる。
「ごめんね」
教室が終わり、ボールにまだ未練があり不機嫌な息子に謝る。
今までの事を含めて、心から。
「あの赤いボール、取り戻すべきだった。ごめんね。今までできなくて」
≪嫌な母親になる≫
他人の物は貸してって言うこと。
暴力沙汰になろうとしたら止めにいく。
オモチャは貸したくなければ貸さなくていい。
そんな事を言って、公園や児童館で遊ばせる。
嫌な母親になるには抵抗がある。
絵本や児童書には、貸してって言われたら貸してる。
それは正しいことだ。
間違った事を堂々と行うのは、なかなかに勇気がいる。
けれど、今この子はその段階じゃないんだ。
今、この子は人との関わり方を学んでる最中で、大人の尺度では測れない世界で学んでる。
「貸して」
「どうぞ」
その行為に行くまでのステップが、今の息子には乗り越えられない。
だから、少しずつ進んでいこうと思う。
そうして、私は今日も嫌な母親になるのだ。
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