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愛はうたかたの夢

「妊娠したの」

ガツン、と頭を殴られた気がした。
一発KO。
ワニワニパニックのワニより、脳天を強く撃ち落とされる。

人間、予想外で受け止め切れないほど衝撃的なことを言われると、「あ」と「う」の中間の音が喉の奥に引っかかって、なかなか出てこないのを初めて知った。

というのも、私にそう告げたのは、長年の幼なじみでも友達でも、年若い後輩でも無く、実の母親だったからだ。

ちなみに、私は30をとうに超える一児の母であり、私と母は30以上歳が離れている。

つまりそういう事だ。

「…………オ、オメデトウゴザイマス」

何とか、声を振り絞って伝えた言葉は平凡なもので。
しかし母は満足そうに頷いてその場から去っていく。

(まじで?)

いや、まじで?
おとうと?いもうと?
ちょっと存在を受け止めきれない。
人生史上最大の衝撃だ。間違い無い。

夏休みを利用して、田舎にある実家に帰ってきたばかりなのに。
東京と違って涼しいから、のんびり過ごせるね。
なんて子供と笑いながら電車に乗ったのは今朝の穏やかさは何処。

着いた早々、着物を取りに行くのを手伝ってくれ、と子供の面倒を父に任せて、母と離れの部屋に行ったらこの有様だ。

(え。私何しに来たんだっけ)



衝撃

数年前、私は「母」という存在になった。
この世に、自分の命すら投げ出しても構わないと心底思える存在があることを、初めて知った。

だからこそ、もう1人家族が欲しいと夢を見た。

一緒に遊べる子がいたら素敵ね。
そんな話をしている内に時が経ち、未だ兆候は訪れない。

焦りとか、嫉妬とか、歳を重ねるごとに上がる出産のリスクとか。
そんなドロドロした感情が渦巻いていた私にとって、これは複雑すぎる事実だ。

まさか母に?
いや、2人目の早さを抜かれるとか抜かれないとか、そういう次元じゃ無いけど…。

覚束なくなった足取りでふらふらと部屋を出て、水を求めてキッチンに向かえば、その当の母が椅子の上に立って寸胴鍋を出そうとしている。

「ちょちょちょーい!!なにしとんじゃーい!」

人生史上最大の衝撃、更新。


***


妊娠は一般的に、35歳を過ぎると厳しさを増すと言われている。
それは、流産や胎児異常の可能性が高くなるからだ。
しかしそれ以前に、出産までの10カ月の間、体内で胎児を育てる母体にかかる負荷は、想像以上のもので。
母体の耐久性は、年齢が上がるほど衰えていく。
耐えられなかった時、胎児の命だけでは済まない。

70歳に近い母の年齢で妊娠するということは、常にまとわつく死の気配との戦いと言える。

それなのに。
この母に高齢どころか超高齢妊婦である自覚はあるのか。

「え。だって、あなたたちが帰ってきたから今日いっぱい作らなきゃと思って」と、当の本人はしれっとしている。

何考えてるんだ。
いくら経産婦とはいえ、慎重に慎重を重ねたっていいぐらいなのに。

母から寸胴鍋を奪い取り、安全に降りれるよう体を支えながら、心底呆れる。

そういえば、病院ではどんな扱いなんだろう。
ハイリスク過ぎるこの妊婦を受け入れてくれる病院はあるのだろうか。
こんな田舎に、そうそう高レベルの医療を行えるところは無い。

場合によっては、東京の病院を調べておかなければ。

「ねえ、病院ってどこに行ってるの?」
「病院?最近行ってないわねー」

いや、おかしいでしょ。
行っときなさいよ。
そこは行っとかなきゃいけないところでしょ。
何でこんなに天然なんだ。

「腰も最近すっかり調子いいし。この前健康診断でもパーフェクトって言われたわ。

ああ。そういえば、着物取ってこなきゃいけないから、一緒に来てくれる?」




7/31

どうも、母のお腹の中の子はいたりいなかったりするものらしい。

(つまり、そういうことだ)

しかも私の前のみに現れるおまけ付きだ。
恥ずかしがり屋さんか。

どうしてこうなってしまったのか?
それについては心当たりがある。

恐らくだが、母は疲れている。

高齢の祖母の世話とか、長年飼っていた犬が死んだことや、一人娘の私が全然帰ってこないことや、次の孫がなかなか生まれないことや。

色々なことが彼女の中で絡み合ってしまって、
寂しい気持ちを寂しいと思うことに、心が耐えられていない。

ずっと、傷ついてもそれに蓋をして、無理やり前を向いてきた人だから。

(さて、私はどうする?)

どうしようか。
しばらく注意して見たところ、日常生活に問題ない。
言動も、私の前でおかしいだけだ。

なら、できる事は一つ。
放置一択。

あとはできるだけ母に休む時間を作るぐらいだ。


***


2週間の滞在の間、私は家事をしながら、いたりいなかったりする弟か妹の話をそれらしく、うんうんと頷いて聞くのに専念した。

ひぐらしが鳴く、夏の夕日が差し込む庭で、乾いたシーツの中に虫が入り込まないよう全力で上下に振って取り込むという重労働をしている間も、母の話に耳を傾ける。

「あなたのところにね、赤ちゃんが使ってた肌着とか、まだある?」
「あー。ありますねぇ」

次の子のため、と捨てられない赤ちゃん用の服が入った未練たっぷりの段ボールが、暗い怨念になって部屋の隅に鎮座している。
捨てるかどうか、冬には決めなければ。

「じゃあ、それ、出産間際でもいいから送ってくれる?」
「えー?あー、うん」

こちらがどんなに興味がなさそうな返事をしても、母はニコニコと嬉しそうに話す。
胎動も無いお腹を、幸せそうに撫でながら。

「予定日、7/31だから」
「7/31?」







それ、私の誕生日。




業と罪

30年以上前の7/31。
私はこの人から生まれた。
それは暑い、夏の日だった。
誰からも愛されるように、『愛』と名前をつけたと言った。

「この子ね、たぶんね、女の子だと思うのよ」

それは私。

「病弱だから、夜は眠れないわね」

それは、私。

「引っ込み思案で、心配だわ」

それは、全部、私のこと。

女の子で、身体が弱くて、いつも母に心配をかけていたのは、全部、全部私のこと。


「誰からも愛されるように、『愛』って名前をつけようと思うの。どう思う?」


そう言って、私の名前を呼びかけて、お腹を撫でる母に、夏の夕日が差し込んで、優しく優しく包み込む。


これは、母親の業なんだろうか。
母は、母であることを捨てられない。
心の中でさえ、子どもがいない過去には戻れない。
こんな不出来な娘の私を、忘れることができない。


これが、業だとしたら。
そんな母が眩しいことは、私の罪だ。


***


実家から帰り、部屋の片隅にある段ボールに手をかける。
大量に詰まっているのは、私の子がサイズアウトした服たちだ。

次の子ができたら。
でも、そんな日なんて永遠にきっとこない。

そんな、未練たっぷりのドロドロした真っ暗な気持ちが詰まった箱を開ける。


7/31は、とても暑い日だから。
汗をよく吸うこの肌着がいいだろうか。
女の子だから、可愛い服もあったほうがいいだろうか。
スタイは、まだ綺麗なのが使えるはずだ。

次の子のためじゃない。
未来に生まれる「愛」のために、「わたし」のために、1枚1枚広げて、広げて、広げて。
部屋いっぱいに、溢れていく。




泡沫の夢

それから、夏はすっかり過ぎ去って、次に母に会ったときはもう年明けの挨拶をする頃だった。

父にそれとなく様子を伺ったり、
たわいの無い事で頻繁に連絡は入れてはいたのだが、忙しくて帰ることが叶わなかったのだ。

リュックの中に入る限りの「愛」のための服を詰めると、
水通ししたのに、微かに残る匂いが、柔らかく鼻腔をくすぐる。

(あかちゃんのにおい)

がたん、ごとん。がたん、ごとん。

電車が揺れる。
心地よい振動。
ゆりかごに乗ってるようだ。

綿菓子みたいな眠りに誘われて、まぶたを閉じる。
甘くて優しい夢を見た、気がする。



家に着くと、

「なんでそんなに荷物多いの?」と、母は不思議そうな顔をして。
帰るまでの2週間、そのリュックを開けることは無かった。

「愛」は、母のお腹の中から消えていた。
もう、何処にもいなかった。

代わりに、新しく始めた趣味や、父との旅行の思い出が家のあちらこちらに散らばっていた。


そっか。

(もう、母にわたしはいらなくなったんだ)



これで良かった。
何事も無く元通りになったのだから。

ほんの少しの間だけ、母の心の水面に、夢がぷかりと泡沫として現れて、それが、目が眩むほど美しかっただけ。


リュックの中から、不要になった服を手に取る。
もう、広げることは無い。

「さようなら」

きれいな肌着。可愛い服。汚れの少ないスタイ。

さようなら。
母が見せた眩い夢。

さようなら。
私の夢。




ねえ、お母さん。

お母さん。


ありがとう。


もう一度、生もうとしてくれて、ありがとう。





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