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小説:54歳マイクエで奇跡をみた【1】自己肯定感の低い自分を変えるためにセミナー参加しマイクエ(マインド・クエスト/自己探求)を行った体験談をファンタジー調に加工した物語の第1話です。5万字の長編♪

あらすじ
「人生を変えたいが、変われない」方へ向けた奇跡の物語。これといった取り柄も自信もない54歳の僕シュンが自己・能力開発系のセミナーの「ドリーム・スクラップ」講座に参加して変化していった記録をファンタジー風にアレンジしたものです。昔から何をしてもうまくいかない僕は、ずっと「呪い」がかかっているのだと思っていました。セミナー会社から渡された脳内映像を投影する「CDG:クリエイティング・ドリーム・グラス」という特殊なメガネをかけて、マインド・クエスト(自己探求)のワークに取り組むのですが、過去のネガティブな記憶や不安が具現化して自分を襲ってくるという恐ろしい目にあいます。心の旅が映像化された世界オズウェイを舞台では本当の冒険の旅となっていくのです。セミナーに参加しているグループの人達との少し変わった交流もあり、徐々に「呪い」の核心に近づいていきます。敵にどう立ち向かえばいいのか?呪いとは何か?

54歳マイクエで奇跡を見た【登場人物】

シュン 主人公  54歳独身 サラリーマン
クトー 旅の仲間 小中学生のラグビーコーチ
アンリ 旅の仲間 心理カウンセラー
ホリアーティ 旅の仲間 占い師
ナスちゃん 旅の仲間 看護士
ニバミン 旅の仲間 ダイエット指導者
神林(株)ゴールデン•スパイラル 開発担当
千川部長 シュンの出向先の元上司
籠井先生 シュンの小学校の担任
平山先生 シュンの中学校の陸上部顧問
魂の指南役 正体不明
片次 シュンの描く漫画の主人公
もやい様 片次の旅仲間

【冒険】

時は江戸時代。なんだけど、西暦でいうと1600年代。ざっくりしすぎか。う~ん。やっぱ史実とか絡めないと、リアリティーに欠けるし、イマドキじゃないかな。後回し。描きたいのはそこじゃない。場所は人里離れたとある銀山。とある銀山じゃ舞台設定弱いか、いや実際の事件を物語にするわけじゃないから、これでいいの。次へ行こう。さておき銀山から命からがら逃げだしてきた少女というか娘。ええっと名前は…と、なんだったかな?いろいろ変えたから忘れた。まぁいい。とにかく、話を進めよう。銀山では、その娘の両親はじめ親戚、村人が悪徳代官らによって強制労働させられているのだ。助けを求め逃げて出した娘が出会ったのが本編主人公である旅人の片次(かたじ。14.15歳の少年)と、もやいさま(モアイ像だが、仏像として娘が信じている。片次の旅仲間)。ただならぬ事情と、片次の野望が合致し、なお少女に惚れたこともあり村人を助けるために銀山に乗り込むことに。村人救出の目前、敵の待ち伏せにあってしまう。
絶体絶命のピンチ。万事休す。ドラマのクライマックス。いよいよ奥の手が登場だ。片次はもやい様より授かった眼帯により蓄えたエネルギーを必殺の『左眼閃』として左目から放つことができるのだ。
しかし、肝心の片次がその力を信じきれずにいるのだ。というのは挑戦が不発に終わり、殺されかけた恐怖体験が身体に残っているからだ。
「片次さん!今ですよ!自信なくしてる場合じゃないですよ!」
もやい様が体をドスドス揺るがしている。
「うるせーっ!指図すんな。自信はある…」と片次。しかし明らかに不安な表情をしている。
不安な表情、こういうのを描くのは得意。いい感じに描けてる。

そう、これは僕が描いているマンガの話で、僕はマンガを描く人だが、漫画家なんかじゃない。その話はあとだ。さて、どうやって片次に左眼閃を撃たせるかだ。片次は撃てないかも知れない思いを払拭しきれないでいる。ここは最大の見せ場だが、単に敵をやっつけるだけのかっこいい場面ではない。主人公が成長したことを暗示するところでもあるのだ。ヒロインの願いで助けにきたのだから、もう一度主人公の心を動かすのは無理があるだろう。やはりここはバディであるもやい様を信じて勇気を振り絞るか?いや、信じてないから『左眼閃』と叫べないのだ。覚醒するにしても、特別な運命を負うでもなく、高貴な血統にも縁がない。ただの家出少年。となると「死なばもろとも」とやけくそで技を炸裂させるか。だとすると昭和のマンガだな。令和の読者は確実にドン引きだな。えっ?読者?そんなものいないのに…

いつも通り。ここで思考が止まる。

このマンガを描きはじめたのは、僕が就職して2年目といっても30年も前のことだ。折衝や交渉ごとの業務にストレスがたまる一方で、その解消として勧善懲悪な物語の漫画を描こう!と思った。漫画を描こうと思ったのは高校生の頃だが、なんとなく受験生に終始した。大学時代には漫画研究部に属していたが、当時流行りの「カレッジライフ~恋にバイトに」とお祭り気分なようなものに心を奪われて、本気で作品づくりに向き合うことが少なかった。そして就職。片次の漫画の描きはじめは順調だった。自由な時間がなくなったことで集中力が生まれたからだ。としかし、先の部分で突然止まった。どうしても『左眼閃!』と叫ばせることができない。やけくそや気合いで乗りきる展開は嫌だった。加えてそれ以外も浮かばなかったからだ。今思うのは、それでも完成させるなり、決着させておきたかった。令和の時代に根性や気合いで乗り切るとか、そもそも御都合主義の勧善懲悪のドラマなんて時代錯誤も甚だしい。
「ダメだ。」本編に関係ない余計なことばかりが脳裏に浮かんできた。僕はそっと、原稿用紙を引き出しにもどす。

僕は自分の人生の主役のはずなのにそう思えたことが少ない。ところで作中の片次には夢がある。百姓一家に生まれた片次は、勤勉な両親や兄弟たちについていけず、自分の出来の悪さがコンプレックスでいつも一人ぼっちだ。将来はこともあろうか、悪党もビビる大悪党になるのを夢みていた。どこかで聞いた大泥棒石川五右衛門の波乱万丈の物語に強くひかれたからだ。これがますます片次を孤独にさせた。大泥棒だとかぶるという理由で大悪党を目指し、家出同然で旅に出た。銀山を牛耳る悪党を出し抜くのが記念すべき第一歩だったのだ。
作中の人物にはこんなにも具体的な夢があるのに、自分にはない。そんな僕は今年で54歳になる中肉中背白髪混じりのおじさん。独身でそれなりに楽しく暮らしているから幸せな方だろうから、悩みを告白しても、世の中で大変な思いをしている人と比べたら、いくらでも頑張れるだろ!と叱責されそうだ。

僕には「呪い」がかかっているのだ。自分に自信が持てず、自己肯定感が低いのはそのせいだ。マンガの話をしてきたが、特技とか趣味だと公表したことはない。同級生から根暗と言われたことをずっと気にしていたり、親からも外で遊べと言われてきたりしたから、コソコソ、ほそぼそとノートに描いたりしてきた。商業誌掲載はもちろん。ほとんど投稿したこともないから実績もない。同人活動にも無縁だ。見てもらうのが苦手なのだ。要はラクガキ、だから途中で終わる。
描ききったこともある。39歳のときだ。40代のおっさんになりきる前に一作は完成させたいと、必死の思いで描いた。タイミングよく参加者全員にプロが添削してくれるというWEBのコンテストがあったので、応募した。『ここをこうしたら?』とか『ここはよかった』の批評がとにかく待ち遠しかった。
結果、予想と反して、想像していた良し悪しの批評もなく、作品が優秀賞をとってしまったのだ。うれしかったが寂しかった。雑な仕上がりだったし、「丁寧に描きましょう」でいいから、やり取りを感じたかった。その数年後に退職し、ブログで四コマ漫画を始めたが、それは賞とは関係ない。
そこから何度か転職して、何かが大きく変わるわけでもなく、48歳になった。また、前回と同じ思いになる。50代のおっさんになる前に、作品を残したいという強い思いで地元の名士を主人公にしたものを描いて投稿した。何の反応もなく終戦。ケリがついたと仕事を探して、今の職場へやって来た。少しばかり運に恵まれて会社勤めだけは長期連載のごとく続いている。人生最悪な出来事はない。
だから、路頭に迷うことなく今日も職場でコツコツ事務ワーク。居心地はそれほど悪くない職場だが、永遠には続かない。かつては定年なんて言葉は永遠のちょっと手前くらいのことだとタカをくくっていたが目前だった。それなりにいいことも悪いこともあったけど、定年後は好きなことに没頭できるなんて人はうらやましい。
焦る、焦る、焦る。
片次には左眼閃という必殺技を残しているが、ボクには不安しか残されていない。
焦る、焦る、焦る。
人生の次の一手を打つために、何をしたらいいのか?どう生きるのか?いかに稼ぐのか?そこで「引き寄せの法則」なるものに出会った。願うだけで富を得られるというものだ。願ったり叶ったりとはいったもの、これしかない。法則の理屈は簡単だ。潜在意識に自分は幸せなお金持ちだからお金は簡単に入ってくるし、やること全てうまくいくと教え込むのだ。そうすれば、向こうから勝手に富がやってくる。これこそ手にしたい魔法じゃないか。
馬鹿げきった話にしか聞こえないだろうが、魔法でもなんでもいい!僕を救ってくれ。自分では変われないのだ。もし理解してくれる人がいるなら僕もその人も幸せだ。
引き寄せの法則だが、あまりにも壁が高すぎた。心臓の動きを自分でコントロールできないように潜在意識をコントロールするのは、不可能なのだ。
そんなとき、「ドリーム・スクラップ」という考えがあることを知った。ざっくり言うと、夢や希望の写真等を大きなボードに貼り、それを毎日みることで、脳はそこに描かれたものが現実だと錯覚を起こし、潜在意識はその新たな現実にもとづいて行動を促す。考えや行動が無意識レベルで変わっているから、知らぬうちに物事がうまく運んだり、見える形で私たちは夢がかなっていることを知るわけだ。
これなら小学生にだってできる。ただし、欲しいものを単に貼ればおしまいというものではない。
それを学ぶために、「ドリーム・スクラップ」を提唱し実際にセミナーを開いている会社のことを調べ、参加することにした。実務的なセミナーには顔を出したことはあるが、こういうスピリチュアルなものはもちろんない。どーなんだ?洗脳されるのか?やはり水晶玉や壺を買うようすすめられるのか?等ヘンテコな妄想で頭がいっぱいになる。
主催は株式会社ゴールデン・スパイラル。「黄金比の無限の力を豊かな人生に活かして30年!」とある。この30年といえば、バブル崩壊、失われた20年、さらには未曾有の震災もあった。それらを背景に成長を遂げてきたのだから、よほど実績があるのだろう。申し込んでみた。とりあえずありがたかったことはオンラインでの開催だ。地方からの参加だから、上京するまでの交通費、宿泊費がかからないだけでも、実質的な負担が大いに下がる。壺を買うまで家に帰れないことはないから心の負担も少ない。気になったのは、オンラインだけに臨場感に乏しいところか。しかし、それも杞憂に終わった。ゴールデン・スパイラルの主催者より「限界を突破する冒険の旅をご一緒できることを楽しみにしています」とメッセージが送られてきたからだ。

限界を突破する冒険の旅。

この言葉に僕は衝撃を受けた。1848年米国カリフォルニアからもたらされた「金発見」のニュースを聞いた人も同じような気持ちになったのではないだろうか。冒険という言葉に胸踊らないわけがない。しかも限界を突破する旅だと!?少年マンガの王道であり永遠のテーマ。
好きな映画は?と問われたら「インディ・ジョーンズ」の一択だ。だからこそ冒険なんてドラマの中でしかありえないのが僕の中の常識だ。それを遵守してきたから、ここまでこれた。しかし、少数派の絶滅しかけたもう一つの自分が沈黙をぶち破り、感情の表舞台に姿を見せたのだ。感情は黄金螺旋を描いて、僕に夢をみるエネルギーを与えてくれた。半世紀にわたり、自分はダメで自分には価値がないという思い込み、いや呪いに支配されてきた。呪いという表現が自分にはしっくりくるし、直感的にそう感じている。とにかくだ。呪いを解き自分という限界を突破する旅を臨場感たっぷりに思い浮かべることができたのだ。
「ドリーム・スクラップ」のオンラインセミナーは3日間あったが、あっという間だった。内容も本で学ぶものよりも格段に深く、とても面白いものだった。久しぶりに得た充実感。
だが満足感は少なかった。冒険らしい要素はなく、呪いもとけた実感はなく、自信や夢がないことに変化はなかった。

しかし、ここから大きく動き出す。セミナー後半開始までの2ヶ月間「心の旅に出かけてください」とのアナウンスがあったからだ。そうセミナー前半は、後半へ向けた準備にすぎなかったのだった。合点がいく。話は進み、仲間12名とパーティを組むこととなり、『12名全員の願いをかなえる』旅に旅立つこととなった。
と書くとドラマチックだが、セミナー主催者が参加者を適当な人数で振り分けて、グループを作っただけの話だ。とはいえ、仲間の顔ぶれに気持ちがたかぶる。僕と同じでセミナー初心者もいたが、すでに書籍を出版していたり、カウンセラー等で独立、いわゆる成功者、セミナー参加は複数回目というベテランまで勢ぞろい。僕からすれば彼らは魔法使いや旅の先導者にしか見えない。頼もしい限り。しかも、仕事で癒やしを行っている賢者までいる。一つ、残念なことに呪いを解く魔法を使える人がいないことだ。自分で解くことになるのだ。
「ワンピース」のようにパーティ全員がそれぞれ叶えたい願いをもっている旅であること。「葬送のフリーレン」のように仲間との相互理解を深めていく旅でもあること。ルフィや勇者ヒンメルみたいな主人公の漫画を描こうと考えることはあっても、まさか僕自身が彼らのような冒険をするなんて、ワクワクしないわけがない。

これは、人生を変えたいが変えられない、そんな人に送る僕の物語だ。あなたには、すでに13人目の仲間だ。どうか奇跡の旅を見届けほしい。もちろん、あなたの抱える問題を解決する糸口も見いだせることでしょう。

《つづく》


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