"強い女性像"について



最近の風潮として、CMなどでは強い女性が描かれている


私も女性で、"強い女性"が好きだ。


でも、私の思う強い女性と、世間が描く強い女性は少し違うようだと感じる。

CMなどで出る強い女性なんかに多いのは、態度で強さを表す人な気がする。

そこには
"女性が強く意見を発信できる世の中"
を目指す意図があるのかなと思う。

そしてふと思う。

男性と差別されない為に必要なのは、果たして強い態度なのだろうか?
男性の中でも、態度の大きい人や声の大きい人、物言いのキツイ人は、普通に嫌われるのでは?
と思う。

別に男性だからそれでもいいだろうと、本人は思っていたとしても、おそらく周りは思って無いと思う。

もちろん世代観にもよるのかな?と思うけど…

男女関係なく

後輩から好かれやすいのは
主義主張ははっきりと言うけど言葉の選び方が上手い、余裕を演出できる人
だと思う。

そして先輩から好かれやすいのは
人の話をよく聞いて、自分の話の意図を汲み取ろうと努力する、向上心の演出ができる人
だと思う。

そして、この二つは極点に存在しているわけでは無いので、どちらも備えることができる。
人に尊重される人は、男だろうと女だろうと関係なく、どちらか一つでもいいから持ってる人だと思う。

もちろん、
横柄な態度や心ない物言いをするのに周りには沢山の人が居る
なんて人も多いだろう。
が、その人は本当に周りの人間から尊重されているだろうか?
高い地位や強い権利を握っているかもしれない。
が、そこには信頼や尊敬はあるだろうか…?

そして考えたいのが、

女性蔑視を無くそうとゆう動きは、地位や権利を手に入れる為なのだろうか?

当たり前を当たり前に。
これを目標に掲げるなら、強い態度で声を荒げるより、より多くの人に話を聞いてもらう努力が必要なんじゃないだろうか。

女性を弱い生き物だと思っている男性が居るとして、その人は果たして何をもって女性が弱いと思っているのか聞くべきではないだろうか。

生理や妊娠、腕力など、体の構造による弱さを懸念してるのか

それとも昔の結婚感が残っていて、最後は結婚に逃げると思っているのか

体の構造なのだとしたら、それは事実だ。

しかし、この21世紀。
過去現在の優秀な人間達が様々な方法を生み出してくれた。
生活習慣や薬で生理痛を和らげ、妊娠後も比較的早く復帰でき、トレーニング次第で腕力だってつけられるし、腕力意外にも限られた力で暴力を払い除ける事はできる。

そして思うのが、なぜ人間が生きていく為に必要である生理や妊娠とゆう機能で女性が敬遠されるのか。
それは勤怠に出る影響や退職のリスク。

正直、これは仕方ないと思う。
だから虐げていい理由にはならないが、事実それにより勤怠が悪くなり仕事の効率が落ちたり、急な退社で代理を探す仕事を増やしたり、そんな風に仕事に影響が出る事があるのは事実だ。

ただここで重要なのは、


その事実を踏まえた上でも、自分と仕事する事に価値がある


と思わせる事だ。

身体的な理由で仕事に支障が出るのは何も女性だけではない。
女性に多く挙げられるのが生理だとゆうだけだ。

そこで必要なのは、女性自身が生理に対する恥じらいを捨てる事と、個人差があるとゆうことの認知だ。
生理が重かろうが、精神疾患で心が弱かろうが、注意力が欠如していようが、怠慢癖があろうが、
問題となるのは、良くも悪くも業務に支障をきたすかどうかでしかない。

であれば、自分のリスクを伝えた上で、改善する方法を持っている事を主張するか、隠し通すかの二択だ。

それは女性的な問題も人間的な問題も関係ない。

もちろん、女性には男性よりも問題が起こりやすい事実があるとして、しかしそれは選択肢の多さでもある。

女性には妊娠出産ができる。
母乳を出すことができる。

これは男性がどんなに強く望んでもできないことだ。
そして、生理はともかく妊娠出産は自由だ。

自分の求める環境にそれが必要でないなら、しなければいい。

自分の人生を生きていかねばならない中で、
キャリアも求め、家庭も求めるなら、人一倍努力しなければならないとゆうのは
自分の理想を形にする為に必要な事で、人に強要されてする事ではない。

そしてこれは男性だって同じだ。

男女関係なく、
キャリアを求めれば家庭を築く事は難しくなり、
家庭を求めればキャリアを築く事は難しくなる。

1人の人間が望む物全てを手に入れるなら、性別に関係無く、それなりの努力をする必要がある。

諦めたく無いなら、努力せねばならない。

当たり前の事を努力するなんておかしい!
と言う人もいるかもしれない。

が、当たり前なんてものはどこにも無い。

人は生きているだけで努力しているのだから。
目を開けて呼吸するだけでは生きていけないこの世界。
最低限、体を動かし他の人間とコミニュケーションを取らないと生きていけない。
そんな中で、より自分の理想に近い生活を手に入れようと足掻くのは、努力以外の何物でもない。

そんな中で重要なのは、自分の理想がどこにあるのか理解する事だ。
明日の自分がどうあって欲しいのか
来月の自分はどうか、来年の自分は、5年後の自分は…
そして、この理想は常に変化してもいいと思うことも重要だ。

こうでなければならない!
とゆうのはとても危険な理想だ。

そもそも、
これをすれば絶対にこうなる
とゆう事はこの世に殆ど存在しない。
その時その時の自分の理想を目指して、その時自分にできる最大限の事をする。
そうしていたら、
目指していたものの形が変わる
なんて事は、きっと少なくないと思う。
なぜなら、理想を目指す為に、望んで沢山の変化を自分に及ぼしているのだから。


話は少し逸れるが、
男性に対して
家事に協力するのは当たり前だ
とゆうこの主張、かなり逆効果…とゆうかそもそも間違っていると思う。

なぜなら、

家庭に協力的だとゆうことは、男性であっても女性であっても評価されるべきこと

だからだ。

性別関係なく、家庭に時間を割くとゆうのは何かの時間を削っているとゆうことだと思う。

仕事をしたい人も、趣味に人生の重きを置いている人も、家庭を豊かにする事を願う人も、自分の人生に残された時間をそこに割いていることに変わりはない。

大切なのは、人が他人と生活を共にして、新たな人間を育てていくとゆうことは、誰にとっても大変であり、当たり前のことではないとゆう認識が大切なんだと思う。

女だから
男だって

そうじゃなく、お互いをただの人間として、お互いに受け持つ役割を理解して、褒めて、敬いあえば、それこそが人が人と生きていく為に必要な最たるものなのではないだろうか…。


そして思うのが、
先人達が声を上げたからこそ、私がこう思えるくらいの女性に対する人権が向上したのだと思う。

そして、時代は常に変わっている。

そのおかげで、当時の極端な差別が少なくなった昨今、
その頃と同じやり方で権利を訴えるのは
むしろ立場を悪くするのではないかと思う。

なぜなら、我々を優遇しろ とゆう風に聞こえるから。
そんな意図は無いとしても、結局人の価値観を変えるには、受け取り手の受ける印象を考えなければならない。

おそらく、強さの本質は極端な当時も、今も変わらない。


芯の強さだと思う。
しなやかだけど折れない、柔らかいけど崩れない
移り変わる状況に沿うしなやかさ、人の価値観を受け止める柔らかさ、その上で自分の意見をより自分の本意に近い形で受け取らせる強かさ。
これが人の強さの本質だと思う。
これは、男にも女にも差はなく、人としての強さだと思う。

沢山の人達の辛い経験や願いがやっと形になってきた今だからこそ、もっとより多くの人に本当に伝えたい事が伝わるように、言葉や伝え方を選ぶ努力をしなければならないのではないだろうか。

必要なのは、優遇ではなく、補助。

男女共に、自分のやりたい事、作りたい未来の為に、自分に何ができて何ができないのかを知り合う事が必要で、
それが直結しなかったとしても、それを助け合う事がお互いの望む未来に必ず繋がっていく事を知る事が必要なのではないだろうか。

知らないなら教えればいい
ハンディを掲げて助けを強要するのではなく、
それを助ける事でどうゆう未来があるのか理解してもらう

誰かのできない事を補う事は
自分のできない事を補う事に必ず繋がっている

情けは人の為ならず

これがまさに今の男女間、人間関係に必要な認識だと私は思います。

ちなみに!私の思う強い女性は

ナウシカ
クシャナ
エボシ
モロ
ジーナ
ティアナ
シンデレラ
その他いっぱい浮かびましたがとりあえずこの辺で…

おやすみなさい!


サポートってなんだろう…と思いながらこれ開いたんですが、サポートってお金なんですね?!サポートなんてしていただいたら喜びと不安の混沌が生まれそうですがこんな私をサポートしてくれる人が居るんだと思うと明日も生きていけそうなので是非よろしくお願いします…