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他人の体験を自分の体験と錯覚して気持ちをかき乱される人たちの危険性

真偽はともかく最近「家族がコロナになり云々」系の体験ツイートみたいなものが散見されるようになりました
自粛疲れもあり、ピリピリした人が多いためいささかヒートアップしている人も見受けられてきてなので前々から思っていたことをこのタイミングでnoteに書いてみることにしました

インターネットでのコミュニケーションが増えてきてから「他人の体験」「他人の感情」を自分のものだと錯覚する人が増えてきたように思います
私は「私の喜怒哀楽は私のもの」とずっと思っているのですが、最近はインターネットで見聞きしたことや親しいインターネットの人の喜怒哀楽についてさも自分のものかのように扱う人が多いです
そういう人たちは結局「当事者」でもないのに「当事者である」かのようにふるまって無関係なのに他人の感情に引っ張られて自分の判断すら他人の感情に任せてしまっているように思えます

「インターネットで見かけた体験談」がさも「自分の体験談」かのようになり替わり、感情を上下させているだけならまだしもその感情に任せての発言や行動をし始めたりします
結局のところ「自分のもの」ではないから見聞きした話からいつのまにか勝手に話が膨らんで、感情も膨らんで、本来であればその人には生じるはずではなかった喜怒哀楽を振りかざすわけで…

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私は親しい人とも見知らぬ人とも「インターネット上で語られる物事」については確実に一線引いておいてそこから見ることが大切だと思います
自分の体験でもないことで声高に何かを言っていたとしても結局のところ、その人の体験ではないので限界があります

あくまでもすべてを「ふーん」くらいの気持ちでいないと、その他人の季語哀楽を武器として振り回したとしてもそれはハリボテであることを忘れてはいけないし、それで自分の気持ちが疲れてしまうことに何の意味もないことだと思います

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他人の体験を自分の体験に置き換える人は、いろんな他人の体験をmixすることもあるので本当ならなかった作り話をさも真実かのように思い込む(いや、その人にとってはそう思うのであればそれがもう真実なのでしょうけど)ので本当はなかった出来事がいつの間にか真実になって広まっていく危険性があるということです

そしてその連鎖がどんどん続いていきいわゆる「尾ひれも背びれも胸びれ」もついた話になってしまうのです

それがその話が広がるだけで完結するのであればいいのですが、最近はなんでもすぐ人に広めることが習慣づいている人が多いのでいわゆる「風評被害」を引き起こすきっかけになっていることも少なくありません

他人の体験を自分の体験と思いこまないように、簡単なように見えて最近当たり前のようにSNSでコミュニケーション取る人にってはすごく難しいことだと思います

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