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プリキュアと多様性とポリコレ縛り
新作のプリキュアは主人公が青!
男の子がプリキュアに変身?!
新成人もプリキュアだって?!!!
多様性を認める東映アニメーションは素晴らしいですね。よかったね。
と、思うけれども、それと同時に、それで納得して満たされて、プリキュアというコンテンツが素晴らしいものだと賞賛されて、で、それでいいんだっけと気持ちがぐるぐるしている。
元々プリキュアとは、プロデューサーの鷲尾天さんが「女の子だって暴れたい!」をコンセプトに作ったコンテンツだ。
日曜の朝の同じ枠で放送をしていた「おジャ魔女どれみ」「明日のナージャ」と違って、変身した女の子がヒーローのように肉弾戦を繰り広げるーー
今までの魔法少女ものとは明らかに一線を画した、新しいヒーローコンテンツのように感じた。
さらには「なぎさ」と「ほのか」の二人が、リアル世界にいそうな髪色と頭身で、暴れ回っているというのがカッコよかったと子供心に記憶している。
そういう意味では「ポリコレ」でプリキュアを語るなら、一代目もかなり時流に即した、気持ちのいい作品になっているはずだ。(そもそも、初代プリキュアは「多様性」という言葉が騒がれていなかった時代のもので、かなり先取りしていたと思う)
それからプリキュアも時代を重ねていき、プリキュアSS(スプラッシュスター)で売上が落ち込んできてからは路線変更して、プリキュア5は大きく愛される作品になって、毎年1年に1回、「プリキュア」という枠は変わらないけど違うコンテンツとして人気を博している。
気づけば「Go!プリンセスプリキュア」では粗雑な初代のなぎさと異なって、「強く、優しく、美しく」がテーマになって、またそれも乙女心をくすぐったり、
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セーラーウラヌスを髣髴とされる男装の麗人キュアが出てきたり
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子供を産んだり、マスコットキャラと恋に落ちたり、異世界人もプリキュアになったり、まあ月日とともにコンテンツは進化していくことを感じている今日この頃である。
それらが「Yahoo!ニュース」で多様性だと騒がれている。
本当にそれでいいの?
プリキュアは初期も、今までの女の子向けコンテンツと違った強い女性像を出してくれていて「女の子だから◯◯と決めていいというわけではない」というメッセージが確かに込められていた。
初代プリキュアはブラックとホワイト。
ピンクがいないって、今思うと凄すぎる。
それに対して、今の「男の子もプリキュアだよ!」「成人もプリキュアだよ!」はあまりに安直すぎるというか、、、
「男の子も女の子も、子供も大人も関係ない」というメッセージであるはずが、【男】【成人】という属性をフォーカスしすぎて、そのキャラクターの内面を見てないのではないか??という気持ちになる。
なお、前回までのシーズン「デリシャスパーティープリキュア」ではオネエ言葉で話すキャラクターが登場していたが、それが完全なる「フェアリーゲイ」であった。
「ゲイはオシャレで女の子の気持ちも男の子の気持ちもわかっていくれている達観している人物」というキャラクター造形であり、ゲイを一人の人間として見ず、【ゲイ】という枠で捉えていたのが残念だった。
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今回のプリキュアでも、同じことが起こらないといいが……
「史上初の男の子のプリキュア」が「男だから馴染めない、だけどプリキュアとして頑張る!」
「史上初の成人プリキュア」が「年齢差についていけない、だけどプリキュアとして頑張る!」
という安直な属性のみのキャラクターにならないことを望む。
プリキュアが「LGBTQ」や「エイジズム」と本気で向き合って闘うなら、デブ・ブス・おばさん・おじさんまでもプリキュアになってから、ようやく賞賛できるだろう。
例えば、多様性の表現を描こうとする「ディズニー」は『ミラベルと魔法だらけの家』で初のメガネのヒロインを誕生させた。
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ミラベルの誕生は、多くの視力矯正をする女の子の勇気となっただろう。
公開当時には、このような記事を多く見かけた。
「眼鏡をかけたディズニーのプリンセス」の存在を望んできたロウリー・ムーアさん(当時9歳)は、「眼鏡をかけたディズニーのキャラクターは、美しいというよりもオタクと見なされることが多い」という考えを明かした。ディズニー作品を見て育ったというムーアさんは「プリンセスは美しい」と思い、そして、眼鏡をかけたプリンセスがいないことで、「私は十分に美しくないのではないか」と感じ、ディズニーに向けて手紙を書いた(要約)
眼鏡のディズニーヒロイン誕生。かつて9歳の女の子は「眼鏡キャラはオタクと呼ばれ、不公平だ」と訴えた
現在のプリキュアは、メガネの女の子のキャラクターは、変身するとメガネを外す。
オタクっぽく、内向的な女の子が、美しい装飾を纏い、元気に闘い始める、というカタルシス。
……そろそろ変身後もメガネをかけたキャラクターを出していいのではないか?
「デリシャスパーティープリキュア」は食事がテーマで、和実ゆい/キュアプレシャスは食べることが大好きな女の子だったが、すらっとした美しい体型だった。
食をメインテーマ+近年のポリコレの東アニであれば、太ることについて言及されるかと思ったが、それもなかった。
本当の多様性だけで語るなら、初代を立ち上げた鷲尾天さんが、十分に『女の子』の呪いは解いてくれた。
だからこそ、いま、物語に深みを出すのではなく、要素としての「男」「成人」「ゲイ」を見て、手放しに賞賛していることに疑問が残る。
そもそも、東映アニメーションは、労働争議を起こしたLGBT当事者を差別したというニュースを記憶している人も多いはずだ。
「何が多様性のプリキュアだよ」と乾いた笑いが出てしまう。
そういえば、同じニチアサの枠で「初の男性ピンクレンジャー」を作ったプロデューサーの白倉伸一郎氏はこのように言っている。
そんな現状にドンブラザーズが風穴を……なんてことは、1ミリもかんがえてません。
ただ、ポリコレ縛りも、マーケティング主義も、どっちも違う。
両方ジャマ。
(中略)
男女の区別はあります。だから人生は面白い。
個人差や年齢差も面白い。
人間が生きている面白さを、ただフラットに、ヒーローという名の人間ドラマに盛り込みたいのです。
私はどうしても、今のプリキュアが、「ポリコレ縛り」「マーケティング主義」に【男】【成人】を使っているように思えてしまう。「あーはいはい多様性ね!子供向き教育コンテンツだもんね!出しますよ!男!成人!(だけど美人)」という投げやりで、それ以上の許容はできない、、と言わんばかりの。
登場人物が「女の子」「未成人」でも、その子たちが生きる面白さをフラットに深ぼってもらったら、それは多様性になると思うのだ。そんな、人間ドラマ「プリキュア」を望んでいる。
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